極楽
【男女七歳にして席を同じうせず】とは、教育都市【蓬莱】の由来となった国の教えである。
要約すると「7歳くらいの歳にもなれば、男女の区別をしっかりとして、節度を持つこと」となる。
更に噛み砕いて例を挙げると、「小学一年生まではプールの時も一緒に着替えていいけど、二年生になったら別々の場所で着替えましょうね。」と言うことである。
しかし、この都市【極楽】ではその有難い教えは全く守られてはいないと言っていい。
極楽ではコジロとコユキを含めた多くの世帯は5、6歳くらいの年齢の時から、一つの世帯に一つの家をあてがわれ、男女二人で生活を共にしている。
それがどうしてなのかはよくわからないが、100年前にこの都市が出来てからも、ずっと繰り返されている。
元々は兄妹の様に暮らしていた二人だったが、思春期に入ると幼馴染の異性の事を妙に意識してしまうのはよくある事だ。
もちろん、コジロやコユキも例外ではない。
少しずつ歳も重ね。少しずつ様々な知識を得て行ったコジロは一つ気がついた。
「あれ?そう言えばこの生活ってよく考えたら同棲と変わんなくね?」と。
チラリと見えるコユキのうなじにドキッとしたり、なぜかやたらと手を繋ぎたがるコユキに無邪気さや、可愛らしさを感じていたコジロだったが、ふとした時から、妙な感覚を覚えていた。
…最近なんかコユキを見てるとちょっと緊張するんだよな…。
胸の奥がチクリと痛む。
コジロと同様にコユキも同じような事を感じていた。
…なんだか最近コジロがカッコよく見えるのはどうしてでしょう…?
あんなにやる気が無さそうなのにあの広い背中を見ると頼りになりそうだと感じてしまうのはどうして?
二人はその答えを知っている。
知っていながらも、その先に踏み込めないのだった。
◇
時刻は早朝6時。
霜月 小雪の朝は早い。
彼女はベッドから起きるとまず、化粧台に座り、自身の自慢でもある長い髪の毛をつげ櫛で梳かす。
腰まである長い髪の毛を梳かすのは少し手間が掛かる。しかも、一日だけやればいいわけではない。艶のある髪を維持する為には毎日2、3回は手入れしてやる必要がある。毎日手入れするのは面倒くさいので、短めにしている。と言う人は割と多いはずだ。
しかし、全く苦もなくコユキは慣れた手つきで髪に櫛を梳かしていく。鼻歌まじりにリズミカルに髪の毛を手入れしている姿はとても楽しそうだ。
普段面倒くさいと感じることも、好きな人に関わってくると、それは楽しみに繋がるのだ。そう。同居人のコジロは長い髪の毛の和風な女性が好みだった。
「よしっ!今日も綺麗にまとまりました。」
時刻は6時40分。髪の毛を梳かし終えると、コユキはそのまま髪の毛をまとめず部屋を出る。
服装ももちろん寝間着のままだ。
満足げに長い髪の毛を揺らしながら向かった先はコジロの部屋だ。
やけに達筆で書かれた部屋の札には『小次郎の部屋』との記載がある。
コンコンと控えめにノックをしていつも通り返事が返ってこないのを確認すると、ガチャリとドアを開けた。
ガサツなコジロは意外にも寝相がいい。
スゥスゥと小さな寝息をたてるコジロを横からしばらく眺めた後、コユキはコジロを起こし始めた。
「コジロ。起きてください。」
まずは肩を揺らす。いつも通り反応はない。
「コジロ。早く!」
次に鼻をつまむ。やはり起きない。
時間を確認するともう6時50分。早く起こさないと自分の朝ごはんを食べる時間までなくなってしまうことに気がついたコユキは本腰を入れてコジロを起こす事にする。
「コジロ!早く起きてください。今日の朝食当番はコジロですよ!…もう。仕方ないのですから…。えいっ!」
手にしているのはコジロが毎日素振りをしている竹刀。コユキはそれでコジロのひたいをペシッと叩いた。
「痛って!何すんだコユキ!」
「やっと起きましたね!コジロ!ご飯です!早くご飯を作ってください。」
「そういや今日は俺が朝食当番か…。」
身体を起こし、片膝を曲げて目をこするコジロ。まだ完全に覚醒しておらず、かなり眠そうだ。
「早く作ってくださいね!私は服を着替えてきます。」
そう言ってコユキは慌ただしい様子でコジロの部屋を出た。
残されたコジロはベットに腰掛けるとうんと背伸びをした。
「今日は魚でいいか…。」
◇
女性のコユキと違い男性のコジロの準備はかなり早い。制服に着替え、髪を濡らし、顔を洗い、歯を磨く。
これだけ。コジロはわずか5分で出かける前までの準備を済ますと、食事の支度に取り掛かった。
下処理をした魚をグリルに入れていると、制服に着替えたコユキがリビングへと現れる。髪の毛はまだ結んでいないようで、片手にいつも身につけている水色のリボンを手に持っている。
「もう来たのか。魚はすぐに焼けるから味噌汁とご飯だけ食べててくれ。後、漬物もあるから」
手際よく料理の準備をしているコジロ。
彼に初めて会う人はガサツな印象を受けるが、割とやることはしっかりやる男である。
「はい。わかりました!」
そう言ってコユキは手際よく髪の毛をまとめ始めた。
その様子をコジロは気づかれないようにチラチラと見ていた。
コユキもコジロを変に意識しないように宙に投影されている今日の気温などの情報を見ながら髪の毛をまとめていく。
彼女は朝食の時間まで意図的に髪の毛を纏めようとはしない。しかし、コユキの部屋には化粧台があるので、そこで髪をまとめる方が圧倒的に楽ではある。
では、どうしてわざわざ食事の前にリビングで髪を結ぶのか。
それは、同居人の様子を伺っての事だった。
どうやらコジロは自分の髪の毛を結ぶ姿に関心を寄せているような気がする。
そう感じてからは、自分が食事当番の日以外は彼の前で髪の毛を結ぶことにしている。
そう…。これは彼女なりの不器用なアピールなのだ。
「よしっ!それじゃあお先に頂きますね。」
髪の毛をリボンでひとまとめにし、所謂
ポニーテールと言う髪型にしたコユキは丁寧に両手を合わせた。
背筋を伸ばし、丁寧な所作で食事を始める。
ボードの情報を見ると、どうやら今日は夏日らしい。
半透明のガラス状の膜に覆われているこの街、極楽は外の世界とは違い、完全な温度管理をされている。
この街はかつて栄えた和の国をモチーフにしている為、春夏秋冬を再現する為にあえて快適な温度ではなく、このような温度設定にする事も少なくない。
「今日は暑いみたいですから、汗拭きにタオルを忘れないようにしましょうね。」
「暑いの苦手なんだよな…。」
「学校までの我慢です。着いたら冷たい飲み物でも飲みましょう。」
だるそうに呟くコジロを嗜めるようにコユキが笑顔で言う。この家ではよく見る光景だ。
コジロも、コユキもこの空気が心地よかった。
「よし。うまく焼けたな。今日は焼き鮭がメインだ。」
擦り下ろされた大根とともに香ばしく焼けたシャケがコユキの前に置かれる。
「コジロもいつのまにか料理上手になりましたね。最初の頃は黒焦げだったのに。」
「まぁ、そりゃそうだ。練習すればなんでも上達するもんだよ。」
「その調子で勉強もすればいいのに。」
「いや、勉強はめんどいからいい。興味のある事だけでいいわ。」
「もう。相変わらずなのですから。」
こうして朝の時間は過ぎていく。