父娘の会話
『さてとじゃあ行きますか。』
朝食を食べ終え、席を立つ。この時間帯なら父は執務室で今日の仕事の段取りでもしているころだろうか。それとももう書類に囲まれて四苦八苦しているか。簡単なことならいつも、伝言で済ませてしまうというのに、それほど大事な話なのか。
『多少大事な話でも、ディナーを一緒に取れた時に話せば良いかって具合なのにね。お父様は執務室?』
『はい、朝食を食べ終えたら、お嬢様を執務室までお連れするようにと。』
『今日は暇なのかしら。』
『書類の前で悲しい目をされていました。』
『それは、なんというか、もう。』
我が家であるフィール家は、リンゼル王家に従う伯爵家の一つととして、港街であるポートミルの統治を任されている。決して歴史が長い方の家柄では無いものの、海上貿易の要衝であるこの地を任されているのは一重に、歴代当主がその能力をいかんなく発揮して、王家の信頼を勝ち取ってきたからであろう。
海上貿易の要衝、というかリンゼル王国で海を越えた貿易が公的に認められているのは、ここポートセルだけである。その結果、いくら陸路を利用した貿易と比べると小規模だといっても、それを一人で抱える現当主である父、リカード・フィールへの負担は大きいだろう。主に関税とか、権利とか、良くわからないが大変なはずだ。
そのうえ、そもそも海に面した領地が少ない王国内において、貿易で活気もあるフィール量は観光地としてもそれなりに人気があるらしい。王都からは遠く離れた辺境領地ではあるが、それでもそれなりに人の往来が行われている。
さびれた雰囲気などは微塵も感じさせない。自慢の故郷である。
まぁその分、父への負担は2倍増となっているようだが。
『禿るんじゃないかな。私のお父様は、そろそろ。』
そんなことを考えていると、父親が書類に囲まれて悲しい顔をしているという執務室の前についてしまった。
相変わらず簡素な扉である。ここが執務室であると事前に知っていなければ。素通りしてしまいそうだ。豪華閲覧趣味とは程遠い父親のことだ、これから先もきっとこのままだろう。俺はそんな父の貴族らしくない所をとても好ましく思っている。
後ろに着いて歩いていたセシィが一歩前に出て、扉を軽く叩く、
『旦那様、リリィお嬢様をお連れしてまいりました。』
『ああ、良い。入れ。』
『失礼します。』
『失礼します。そしておはようございますお父様。急にどうされたのですか。珍しい。』
挨拶をすると、それまで書類に向けていた顔を少し上げてこちらを見て、何を思ったか首を横に振り、書類から完全に目を離してこちらを見て微笑む。
そんな姿を見て、わが父ながら絵になりやがるな、などと考えてしまう。もし俺が、令嬢では無く令息としてこの家に生まれていれば、こんな風に年を重ねていけていたのだろうかと思うと妬ましい。きっと若い頃は言い寄られてさぞ楽しかったことだろう。
いや目の前の父の性格を考えると、女性関係でも一苦労してそうだと思う。むしろその方が可能性が高い。そんな中でも妻は一人しか娶っていないのだから相当な傑物なのだろう。
『あぁ、ちょっと話があって。来てもらった。悪いな。…ところでどうしてそんな憐れな者を見るような目で私を見ているのかな。』
父はセシィにもご苦労様と告げると、本題に入ろうとする。
『まぁ実の所、そう大そうな話ではないのだが、お前も今年で15になった。来年には王都の学園に入るだろう。そこで新しく教師を付けることにした。』
『うげっ。』
『お嬢様、変な声出さないでください。』
そんなことを言われても、ただでさえ作法やらなにやらで習い事が多いのに、それが増えるのだ、思わずしかめ面してしまうのも仕方ないだろう。
父に抗議の視線を向ける。
『そんな顔をするな。今回は前から学びたがっていたものだよ。学園では魔法に関する授業もあるらしい。ある程度、事前に学んでおけ。』
『それ本当!?お父様!私も魔法使っても良いの!?』
『最近は体調を崩すこともないしな、そろそろ大丈夫だろ。』
この世界には、魔法というものが存在している。そう知ったのは赤ん坊のころだったか。
初めて見たのは、父親が落とした書類を浮かべて拾うだけという簡単で地味な物だったが、初めてみる魔法に俺は興奮した。なんてファンタジーだと!そして興奮して倒れた。
リリィ初めての気絶である。
一般的に、10歳を目途に貴族の子供は魔法を習い始めるらしいが、前世と現世とのカルチャーギャップで少々体調を崩していた俺は、身体が弱いと思われていたことで、魔法を使いたいと、頼みでても中々許可が出なかったのだ。
そしてついに今日念願かなって許可されたわけで。
『ありがとうお父様!大好き!!』
俺が満面の笑顔でこう言うのも仕方のないことだ!
『あれ、でもそのくらいのことなら伝言でも良かったのに。』
ふと思った疑問を口にすると。
『仕事の合間に、愛する娘の笑顔を見て励みにしようと思ったんだ。喜んでくれたか。』
そう言って優しい父は笑うのだ。