朝、いつもの日常
いやぁ、もうびっくりだよ。なんか信号無視してきた車に引かれたら赤ん坊になってて、少し成長したら女の子ってわかってびっくりして、もう少し成長したら超美少女だったからね。もうびっくりしすぎて何回か倒れた。おかげで俺は体が弱いと思われている。前世で男だった時とほぼ同じ感覚で動かせていることを思えば、むしろ女の子としては健康優良児なはずなんだけど。
『では次はお着替えですね。』
セシィがじりじりとにじり寄って来る。とっても嬉しそうにこっちに来る。
『いや別に着替えくらい一人でやれるから出てって。』
俺はすかさず冷たく言い放つ。さっきの仕返しである。しかし先程の恐怖から涙目だったりしたこともあり、少し声が震えてしまう。セシィが素早く距離を詰め右手で俺の肩を抑える。どこから取り出したのか左手には今日の分の着替えを持っている。
『そんないけません!待女としての大事な仕事です!大丈夫!怖くないから!』
『じゃあなんでそんなに息荒い!え、力強すぎ!?怖い怖い!キャーー!』
『大丈夫だから!今日も可愛いから!』
『お似合いですよ。お嬢様』
着替えが済むと、淑女然とした微笑を浮かべたセシィが俺を褒める。
『うん。ありがとう。で、聞きたいんだけど、着替えにしては少し時間かかったと思わない?』
『貴族のお召し物はどうしても時間がかかってしまうものです。』
『うん、そうだね。でもさ、着替えの工程に抱き着くというものはないと思う。』
『ありますよ。本日のお体のコンディションを調べるために!お嬢様の健康管理も、待女として必要な業務です。』
いけしゃあしゃあと良く言えたものである。完全に暴走してただけだろう。だってあれだもん。目が理性の輝き失ってたもん。やばい思い出すと泣きそう。でも泣かない、女の子だから、じゃなくて目の前の化け物が怖いから、俺泣かない。
俺が泣きそうになるのを間一髪こらえると、目の前から軽い音が聞こえてきた。
『舌打ち!?舌打ちしやがった!どうなの!?待女というか淑女としてそれはどうかと思う!!』
『してませんが。別にあと一歩だったとか思っていませんが。』
流石にこの態度にはため息も漏れる。
『はぁ。私は私よりセシィのことが心配だよ。』
この特殊な変態モンスターは誰かに貰ってもらえるのだろうか。年齢とか関係なく。
『なにが、心配なのでしょう?』
『ヒィッ!ごめんなさい!何でもないです!』
あ、やっぱり少しだけ泣いた。
――――
『ではお食事を運んで参ります。くれぐれも大人しくしていてくださいね。』
『わかってるよ。もう子供じゃないんだから。』
心外だとばかりに告げる。
『先ほどまだまだ子供だと、ご自分でおっしゃっていましたが。』
そう言うとセシィは朝食を取りに、俺の部屋から出ていく。彼女の足音が少しずつ離れ、小さくなって行くのを確認する。十分距離が離れたであろう所で、俺は背中からベッドに倒れこみ、楽な姿勢を取る。
『はぁ、折角美人なのに性格があれじゃね、あれもこれもありませんわ。あー勿体ない勿体ない。』
ここぞとばかりに悪態をついてやる。だが気持ち声は小さくしておく、壁に耳あり障子にセシィ。けして油断はできない。一瞬の気の緩みが致命的隙になることを、彼女との長い付き合いから学んでいる。着替えの際に俺を捕まえるあの身のこなしはまるで、
『ほんとに待女かよ。アサシンとかの方がしっくりくるぜ。昔はもっと可愛げがあったと思うんだけどなぁ。』
俺が10歳になった時にセシィはフィール家にやってきた。リリィの待女としてである。その時の彼女は、前世で言うところのまだ高校生くらいの年で、可愛いから綺麗に移り変わり始める、まさに青春時代を感じさせる年頃だった。貴族の館に来たということもあり、緊張した面持ちが見えた少女は、とても魅力的な少女に見えたのを覚えている。
『どーしてコウナッテシマッタノダロウ。』
彼女が待女として付くようになって、他の令嬢と待女を知らないので案外普通かもしれないが、打ち解けるまでそう時間はかからなかったように思う。彼女の髪が俺にとっても非常になじみ深いものであったのが幸いしたのか、少なくとも俺は2、3日もすればそばにいてくれるのが普通になっていた。
『セシィが私を殺しに来た暗殺者だとしたらどうでしょう!もちろんあっという間に殺されます!セシィが敵、やばい俺泣いちゃうかも!』
ひとりで被害妄想をして泣きそうになる。そのタイミングで扉がノックされる。
『お嬢様。朝食を持って参りました。』
『え、ちょっと待って。間が悪い。』
無情にも扉は開かれる。
『どうされたのですか!うたたねして怖い夢でも!これは背中をさすって差し上げないと!』
『落ち着いて!って早っ!』
目にもとまらぬ早さでセシィは距離を詰めてくる。ちゃんと朝食の乗った台車も一緒に。器用にも朝食を一切こぼさない動きは正に匠。いつも通り綺麗でおいしそうな朝ごはんである。
『大丈夫です。落ち着くまでそばにいましょう。朝食は…、お口を動かすだけで良いです。私が運びま す。どうぞお召し上が…、ハイ、あーんしてください。』
右手で背中をさすりながら、スプーンを差し出してくる。俺はそれを奪い取る。
『やめてよ、食べづらいから離れて。貴方右利きでしょう。スプ―ンが震えてるわよ。』
『スプーンより口移しの方がよろしかったですか!まさか強引に素手の方が!どこで!誰から!そんなマニアックなことを学んだのですか!教えてください。殴ってまいります。』
『いや知らないよ!マニアックなのはどっち!何処でそんな発想を覚えた!誰から学んだ!教えなさい!ぶん殴ってやる!私の清楚な待女を返して!』
ふぅ。大きく深呼吸をする。
『まぁ良いわ。ところで今日って何か予定とかあったっけ、気持ちいつもより服の質が良い気がするのだけれど。』
落ち着いたところで、朝ごはんを頬張りながらセシィに今日の予定を尋ねる。何時ものことなので慣れたものだ。
『お嬢様食べながらお話されると、お召し物が汚れてしまいますよ。』
『いつものことじゃない。それで、何かあったっけ?お見合いとか私まだ早いと思う。』
『私もそう思います。ダメです。まだダメです。何やらご当主様からお話があるようですよ。結構真面目な顔でした。』
お父様は何時だって真面目だろうが。それにしても中々一緒にご飯も食べられないくらい忙しいのに、珍しい。それこそ見合い話だったらどうしよう。野郎と結ばれるとか、いやそりゃあ貴族の令嬢として生まれた以上仕方のないことだとは思う。思うけど。
『本格的に見合い話だったらどうしよう。逃げ切れるかしら。』
『一緒に逃避行ですね任せてください。』