入学前夜
今日も、待女に起こされる前に目を覚ましベッドから降りる。少し大きめの鏡台の前に座り、寝癖を直すべく、櫛を入れる。以前までならどうせ待女の彼女が直してくれるのだからと適当にしていたものだが、最近ではこうして自分でもある程度扱えるようになったものだと自画自賛する。人前に出ても恥ずかしくはない程度に長髪を整えた所で、いつものように扉がノックされる。
『お嬢様入りますよ。』
『もう入ってるじゃん。おはようセシィ。』
セシィも一言おはようございますと応えると。俺の座っている鏡台の方へと歩いて、今日の髪の具合を見てくる。
『お嬢様も髪を整えるのが、上手になられましたね。ここ一年ばかりで目を見張る成長ぶりです。少し寂しくもありますが。』
『まぁ、私ももう王都に行かなきゃだからね。学生寮に入る前に、自分の身の周りはある程度できるようになっとかないと。』
必要に迫られれば人間何とかできるようになるものだ。最近では髪を傷めない乾かしかたまで覚えた。我ながら立派な令嬢ぶりである。
冬になってから最近、着る機会の多い厚手のドレスに着替える。しかしこれとももうお別れかもしれない。もうじき春がやってくる。
『最近ではこういったお召し物にも文句を言わなくなって。私非常に選びがいがあります。』
セシィが目を細めて俺にそんなことを言ってくる。確かに暖かいし意外と良いかなと思うこともあるが。全くどの口がいってくれるのだろう。
『入学したら、一緒に服を選ぶこともなくなるからって頼み込んで来たのは貴方でしょ。別に今だって気に入って着ているわけじゃないわよ。』
『雰囲気もご令嬢っぽくなりましたね。先生が良かったのでしょうか。』
ぐ、それを言われると何とも複雑な気持ちになる。これから入学する学園は貴族が多数在籍していることもあり、それに応じた態度を学ぶようにと、父がマナーの先生を増やしたのだ。その増やされた先生が厳しいのなんの、前までは気が緩むとつい広げてしまっていた足も今では完全に矯正されてしまった。いつか必ず男の尊厳を取り戻してやる。まぁもっとも、今は女の子なわけだが。
『やめろ。折角この間最後の授業が終わったばかりなのに。思い出させないで。』
『口調も直れば良かったんですけどね。』
わっざとらしくため息までついてくれる。
『さってと、今日は。』
『テント先生様の魔法の授業ですね。これも最後かと思うと感慨深いですか。』
セシィが俺の気持ちを先読みして、今日の予定を告げる。
『そうね…。その後はお父様にもご挨拶しないとね。今までお世話になりましたって。』
『まるで嫁ぐみたいな言い方ですね。旦那様、泣いてしまいますよ。』
初めてアルベルト・テントという男が魔法の先生としてくるようになって、もう半年以上という言葉でも少し足りない位の時間が過ぎた。思えば早いものである。
『さてと行きますか。』
『はい。お嬢様。』
私室をセシィと一緒に出て、いつも通り、魔法の教室となった部屋へと向かおうとする。身支度の最後の仕上げとして、一つの首飾りをその首に通して…。
『アル先生!来たよ!』
『おはようございます。リリィさんにセシィさん今日で最後だと思うと感慨深いですね。』
初対面の時から短く無い時間が過ぎ、愛称で呼ぶくらい今では打ち解けている。先生からの敬称も自然といつの間にか変わっていた。最初のころは扉の前で待機していたセシィも今では俺の隣の席が指定席だ。これは正直ちょっと良くわからない。
『では本日は総集編と行きますか。準備は良いですか。』
『はい!』
返事をして、俺は立ち上がると魔法を発動させるべく心を落ち着かせる。アル先生からは特に様々な属性の魔法を行使するすべを教わった。師、曰く、威力はあとからついてくる。そんなものらしい。大きな魔法に対して憧れを持つ身としては少しばかり不満もあった訳だが、おかげさまで、
『どうでしょうか先生。』
俺は今、火、水、風、土、光、闇、の魔素を込めた球体でお手玉ができるようになっていた。
『はい。ばっちりですね。少し闇の魔素が弱く、光の魔素が強いのが気になりますが、その二つは特別ですからね。十分でしょう。』
アル先生が講評をくれていいる間に闇の魔素は消滅してしまう。先生の言う通り、光と闇の魔素はどうやら扱いが難しく、デリケートな魔法であるらしい。
『しかし、まさか一年もたたないうちに此処まで魔法を使いこなせるようになるとは。最初の教え子がリリィさんで、私は幸運ですね。』
『え!?アル先生って人に教えるの初めてだったの!?』
とても分かりやすく教えてくれるものだから、てっきりもう何人も弟子がいるものだと思っていた。
『そっかぁ。私が1番弟子かぁ。』
そう考えると思わず嬉しくて、頬が緩んでしまう。先生も突き合って一緒に笑ってくれる。
『もうリリィさんは、免許皆伝というやつです。これからも頑張ってください。』
『はい!御師匠ありがとうございます!』
その後は他愛もない雑談、思い出話などをして最後の授業は過ぎていった。
『ではまたどこかでお会いしましょう。』
『はい必ず。』
最後に正門の前で固く握手をしてアル先生と別れる。いつか会う約束をしたから別に寂しくはない。なんてことはない、本当に会えるかなんて誰にも分らないのだから。ただ最後の約束は少しだけ確実に、寂しさを和らげてくれた。
―――
『じゃあ次はお父様に会いに行こうか。どうかね。』
『お供します。お嬢様。』
今回はいつもの如く執務室、では無く父の私室へと向かう。今日はどうやら特別に時間を作ってくれたらしい。父の部屋の前ではエド爺が姿勢を正して待って居てくれていた。
『リリィ様此方へ、セシィは少し下がっていなさい。』
エド爺の案内で俺は部屋の中へと通される。
『来たか。今日は最後の授業の日だったか。取り敢えずお疲れ様だ。』
『疲れるなんてそんな。アル先生は最後まで、楽しく魔法を教えてくださいましたから。』
『そんな堅苦しい口調はしなくて良いぞ。父娘なんだからな。』
父の前では気苦労をこれ以上かけないように、なるべく丁寧な言葉遣いをしていたのだが、今の言葉からすると、余計なお世話というやつだったのだろうか。まぁ割とぽろぽろとボロは出てしまっていたので、俺のちっぽけな遠慮などお見通しというやつだったのだろう。
『明日から、か。』
何がとは言わない。
『明日からです。お父様。今までお世話になりました。』
『む。まるで嫁に行くみたいな言い方だな。残念ながらまだどこにもやらんぞ。』
『あ、私も当分行くつもりはないんで。安心してください。』
父が呆れたような顔をする。しかし呆れたような表情の中に、わずかに安堵の色が見えている気がするのは気のせいだろうか。
『全く。お前はますます母親に似てきたな。見た目もそうだが、性格もだ。』
いやいや、それは流石に母が可哀想だろう。何故なら俺は俺だからだ。女性にとってみれば不名誉の極みである。実際の所、母がどんな人であったかは。もう知る由もないが。
『母様に、ですか。』
『あぁ。優しくて、明るくて面白い奴だった。それに、綺麗だった。』
どこか遠い目をして母のことを語る父の表情は、悲しいというよりはどこか誇らしげで、見ていて誇らしくなった。
『悪いな。こんな話の為に呼んだわけじゃないのだが…。とにかくあれだ、明日からちゃんと真面目に学んでくるように。以上だ。』
『くすっ。分かりました。本題が割と雑な扱いだったのは何も言わないでおきます。』
『おお。何も言うな気にするな。今日は早く休んでおけ。明日朝一で馬車を用意するからな寝坊しないようにしろ。』
『はい。では失礼します。』
父との話を終えて部屋から出ると、入る時はエド爺がいた場所にセシィが立っていた。
『では戻りましょうかお嬢様。』
『そうね…。』
自分の私室に戻る。セシィも自分の部屋へと帰っていく。外はすでに暗くなっていた。
俺は首飾りを外し、丁寧に鏡台の上へと置く。眠りにつく前にそれを撫でながら、明日から始まる生活のことを考える。王都ではどんなことが俺に起こるのだろうか。たくさんの期待と少しの不安を抱えながら、夢の世界へと潜り込んでいった。
―――
起きて、身支度を整える。荷物はすでに馬車の中だ。セシィに連れられ正門へと向かう。
そこには見慣れた人達がたって俺を待っていた。フィール家の使用人たちや騎士たち。あそこで軽く手を挙げているのはフィルだ。そして、
『お父様!』
『流石に見送りくらいはしないとな。頑張って来い。』
『じゃあ!行ってきます!!』
俺は一通り挨拶を終えると大きな声を出して馬車に乗りこむ。一人は少し寂しいが。折角の学園生活だ、楽しもうと心に誓う。一人で親元を離れることに、父には少し悪い気もするがどうしても心が弾む。部屋でどんなにだらしなく寛いでも咎められることもない。そう思っていた。
『では参りましょうか。お嬢様。』
『あれ?』
隣にセシィが乗りこんでくるまでは。




