9 敵陣突入
楽しんで頂ければ幸いです。
半刻がたった。宗介に顔面を蹴られた男が目を覚ました。男は倒れている男を蹴飛ばして起こし、目から血を流す男の首根っこを持って歩き始めた。男達の後ろ姿を追いながら、宗介はもう一つの気配を感じた。それは宗介の後方であった。宗介はため息をつくと、後ろの気配に向かって声を掛けた。
「隆行さんは連れてこなかったのですか?私は危ないから帰って くださいと言ったはずですが…。」
物陰から藍が姿を現した。
「よくわかったわね、私がいるのを。」
「わかりますよ。藍殿は隠れきれていませんから。」
「ああ、ひどい!!私、頑張っていたのに。」
「ひどい!じゃありませんよ。隆行さんに連絡していないんでし ょう?後で怒られるのは私ですよ。」
宗介は困った顔をして、藍を見た。
「ほら、そんな顔しないでよ。あいつらを追うのでしょう?」
男達は武家屋敷に入っていった。
「ここは淡路の守藩主浅野長政様の御屋敷ですね。」
「乗りこめないかしら。」
「無茶ですよ。ここまでつきとめたのだから、あとは御行儀に任せるのが無難ですよ。」
「そんなの嫌よ。さっき宗介さん、私に嘘ついていたでしょう。」
「言っていませんよ。」
「さっき、宗介さんの目、私から逃げていたもの。そんなに言うなら私一人で乗りこんでやるわ!」
藍は宗介を振りきって走り出した。
「ま、待ってください。」
宗介も藍の後を追った。そのとき、屋敷の中から侍が二人現れた。
「良く来た。中に入れ。」
―見つかっていたのか―宗介は男達を睨み付けた。
―もう、相手の手の内に入ったも同然だ。逃げ出すより腹を括って飛び込んだ方が良いかもしれない。ただ、気がかりなのは藍殿がいることだが、そうも言っていられない―
「藍殿、参りましょう。」
「ええ、宗介さん。」
宗介と藍は共に門をくぐった。屋敷内は簡素に整えられていた。屋敷の東側に当たるらしく、朝日が庭に降り注ぐ。庭に通された二人は、少しの間立って待っていた。藍はやはり恐いのであろう。宗介の手をぎゅっと握り締めてきた。宗介はこれからどうやって逃げるか懸命に考えていた。障子が開いた。部屋の中には三人の男達がいた。左右の男は商人らしい身なりをしている。でっぷりと太り、眼の奥がぎらついている。真ん中の男はここの家主である浅野長政のようだ。
「よく来たな。約束のものは持っているのだろうな?」
浅野は、小さいが威圧的に言った。
「いったい何の事でしょう?」
宗介は藍の発言に焦った。相手を挑発したら厄介だ。
「私達はさっきここの人に襲われたのですわ。」
「あの文を見て来たのではないのか?」
「どの文のことです?」
宗介は藍の発言に度肝を抜かれた。
―なんて度胸だ。いや、これは無謀だな。どうしてこうも相手を挑発してくれるのか。よけいに藍殿が狙われるだけだ―
「まあよい。お主、香袋を持っておろう。見せてみよ。」
「御断り致します。これは母より頂いた大切な物でございます。」
「おのれ、わしをこけにしておるのか!…もうよい、ひっ捕らえよ。」
声と同時に周りに控えていた侍達が迫ってきた。宗介は藍を背にして手の中の針を投げた。たちまち五人が眼から血を流した。それでもまだ五人残っている。
「む、おまえ、なかなかの手練とみた。ただの小僧ではないな。武士の子か?」
「…。」
宗介は相手の力を見た。三人は宗介より少し劣るように思われた。後の二人はかなりの実力者のようだ。宗介の腕で勝てるとは思えなかった。
―どうやってきりぬけるか。せめて、藍殿だけでも逃がさなければ―
宗介は残りの二本の針を手にとった。侍たちは周りを囲んでくる。
―先に強い二人を仕留めなければならない―
宗介は針を放った。しかし、キン、キイン!二本の針は刀で弾かれた。
「狙いは良いが上手くいかなかったな。行けぇ!」
三人の侍が向かってきた。宗介は藍を庭の端まで下がらせて迎えうつ。刀を振りかざした相手の懐に入り、鳩尾をつく。力が抜けたところで、刀を奪った。一人が倒れると、二人目は正眼に、三人目は上段に構えた。宗介は下段に構え、ちらりと横に視線をやる。強いと思われる二人は一向に手を出そうとしない。
「やあーー!」
正眼に構えた侍が宗介に斬りかかる。宗介は受けとめた。宗介の細腕にどこにそんな力があるのか、侍と対等に渡り合っている。ニ、三度刀を交わらせ、宗介は、侍の腕に斬り付けた。
「ぎゃああ!」
侍の腕から刀が落ちる。宗介の後ろから上段で構えていた侍が斬りかかる。宗介は腰を落とし、侍の足を引っ掛けた。こけたところで、刀を遠くに放り投げた。
「なかなかやるな。」
二人のうち、背の低い方が呟き、前に一歩進み出た。侍は上段に構え、宗介は正眼に構えた。キイン、カン、キイン!刀が触れる度、宗介は手がしびれた。相手の刀を受け流し、腕を狙うが、一歩早く刀を引き上げて受けられる。刀を返され、今度は宗介が刀を抑えられてしまう。斬られる寸前に、しゃがんでかわし、足に斬りつけよとするが、軽くかわされる。二人は一度間合をとった。全く会話は無く、息の音だけが聞こえる。もう一人が藍の方へ歩み寄る。
「藍殿!!」
宗介が叫ぶ。
「さあ、香袋を渡してもらおうか。」
「いやよ!」
藍は短刀を取りだし、構える。しかし、
「ああ!」
侍が刀の先で簡単に短刀を弾いた。藍は青ざめ、じりじりと寄って行く侍から下がって行く。
「藍殿!!」
宗介が、もう一度叫ぶ。宗介は対峙している侍によって、一歩も動けなくなっていた。視線だけ藍の方へ向けるが、すぐに元に戻す。侍の剣気は宗介のものより高い。宗介は恐れを感じた。
「香袋を差し出せば、許してやってもいいぞ。」
「…仕方ないわ。」
藍は香袋を差し出した。侍が中身を覗く。
「例の物が入っていないぞ。」
「例の物が何かは知りませんが、無いのなら返してください!」
「どちらにしても、しゃべられては困るのだ。悪く思うな。」
侍が刀を振り上げる。藍は後ずさりしたが、もうそれ以上動けなかった。刀が振り下ろされる。藍は眼をつぶった。