アリの重さ、鳥の重さ
アリの重さ、鳥の重さ
命の価値、思春期の子供なら誰もが考えさせられるこの問題
中でも『俺』は小さい頃は、哲学に憑りつかれていた
自分がズレテイル事を自覚していたから
他の人より優れている。と、感じたかったから
そして
『俺』はヒナの為に何匹かアリを捕まえた。
ふと、思う
(ヒナを生かす為に、アリを殺す行為は正しいのか?)
馬鹿な考え
ズレテル『俺』は
(まぁ、同じ哺乳類の情けだ)
すぐこんな理論武装をした
結局、ヒナはアリを食べず。普通に箱から這い出したのだが
今思う。
昔の哲学者(笑)から、
今の快楽主義者(偽)にクラスダウンした『俺』は命についてどう考えるか?
これはそんなくだらない事について、纏めたつまらないメモである。
さて、とー
まず、昔の俺の哲学者(笑)の考えを出すうえで、外せないのが
【人間=悪説】
・・・いきなりの危険思考。中二病患者
読んで呆れたかと思う。だが、理がない訳でもない
人は生きていくのに、大量に様々な物を消費する生き物だ。命であれ物であれ自然であれ
社会で生きていくなら、消費は必須だと言える
しかも、頻繁に同種である人間をも殺す。
道徳が古より発展した現代日本においても、減ることはない。
むしろ、増えてるのぅ
不思議だ
ズレテイル『俺』はそう感じた。
そんな事実の元、俺が出した結論が【人間=悪説】
・・・いやあ、人類滅びろっ!!なんて事は思ってなかったよ
数字で示されたって、あんまり実感がない。
『俺』は薄情だしね。
それに、人間がアリコ○リとか、対虫デストロイヤー兵器(いや、本当に全滅するの、コレ)を使った時の方が数を殺すと思うの
対して今の『俺』
快楽主義者(偽)
ちょっと長く生きると(10年そこら)、色々なことを知るものだ。
端局に言うと、俺は人間も好きになった
ガンジーの『非暴力、不服従』主義
耳に新鮮だった。なんという答えを出す人間がいるんだ。と
まさに理想
しかもそれでインド解放を果たしたという。
凄まじい人がいるものだ。まさに『英雄』
・・・まぁ、死に方も非常に『英雄』らしかったが・・・、なんて事をするんだ。ヒンドゥー原理主義
ノンフィクション、一リッ○○の涙
人生の中で一番泣いた。
不謹慎ながら、美しいとまで思った。
少女の命の潰えるまでの軌跡
余りかわいそうだとは思えなかった。
だからこそ、心底救われてほしいと思った美しい命(俺主観)
天国があるならば確実に行けるだろうな、
他にもまだまだある。
ただ、極端な例が多いのは、人としてのサガかもしれないな、とも思うが
そういう人もいて、その『種』が周りの人にもあるんだ。と想うと人間に対する悲観的過ぎる考えが、緩くなったのを自覚した
新鮮
それから、俺は他人の良い所ばっかを拾って感じるようになった。
快楽主義者(偽)にクラスダウン
都合の良い所ばっかを拾っているだけかもしれない。だけど楽しい。から、やめられない。
善悪、浄汚合わせての現実だとはわかっていたけど
それはともかく、
(人にとっての)命の価値は、人それぞれ、好きか嫌いかでも上下する。
・・・・・エゴ丸出しの答え
ヒナのこともアリのことも、命の価値は『俺』が決めた
気にしすぎても仕方ない、と思う価値観は人それぞれすぎるからね
戦争を望む闇商人の方々は『俺』みたいに、戦死者を数字としてしかみれないだろうし
通り魔殺人の方は、他人を自分の中の勝手な空想でしか、見れないのだろう
・・・多分
・・・というか、こういうことを考えられる余裕があるということ事態が、
自分が恵まれている環境にいる証明になるんだよ、とも思う