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鬼の軍勢  作者: のきさき
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第2話

「エリカ!!俺だ、トマスだ!集会所に逃げるぞ!」


 俺は、ドアを叩きながら大声で彼女を呼んだ。ドアは固く閉ざされていた。入り口にテーブルでも置いてバリケードを作っていたのだろう。物を引きずる音がしてから、ようやくドアが開いた。


「トマス!良かった。無事だったのね。ローデンさんたちは?」


 彼女はほっとしたような顔で、微笑んだ。


「いや、ローデンさんが言うには、門は持たないらしい。今、おじいさんたちと一緒に、小鬼たちの襲撃に備えてる。集会所の建物が安全だって言うから、近所の人たちに呼びかけて、俺たちも行こう」


「…わかったわ。急いだほうがいいよね?」


「うん。あの様子だと、そんなに長くは持たないと思う。手伝うから早く行こう!」


 俺たちは、最低限の荷物を袋に詰め込んで、彼女の家を後にした。最後にしっかりと鍵をかける。


「また戻ってこれるよね?」


 彼女は、不安そうな顔で俺の顔を見上げた。


「…大丈夫だよ」


 大丈夫、大丈夫…自分に言い聞かせるようにそう言った。


 俺たちは、周りの家に聞こえるように、避難を呼びかけながら集会所へ急いだ。


「小鬼の襲撃です!ローデンさんが、集会所に避難するように言っています!俺たちもこれから向かいます!」


 声を聞いて、急いで走り出す人、ドアの隙間から様子を伺う人。対応は様々だ。


 十分ほど走ったところで集会所についた。集会所には明かりが灯り、すでに複数の家族が避難しているようだった。


「エリカ、トマス!良かった。こっちよ!」


 近所のおばさんが俺たちを見つけて、中に入れてくれた。集会所は二階建てで、一階に入るとすぐにホールになっている。家族ごとにまとまりながら、皆、不安そうな顔をしている。


 俺たちは、集会所に入ると隅に腰を下ろした。俺たちが入ってきてからも、続々と人々が避難してきている。


「やっぱり、女の人とお年寄りと子どもが多いね」


「うん、みんなこの時期は出稼ぎに行っているからな…」


 寝ているところを起こされてびっくりしたのだろう。赤ん坊の泣き声が所々で聞こえた。幼い子どもたちは、状況がわかっていないのか、夜の外出に興奮してはしゃいでいた。母親と見られる女たちは、不安げな様子で話し合っている。


 しばらくすると、ホールの奥から白髪の男が出てきて、大声で言った。


「すでに、隣村に向かって、助けを求める使いを出している!この集会所は、前の戦のときに建てられた頑丈な造りをしているから、安心していい!避難者が途切れたら、扉を閉めるぞ!」


 男の声を聞いて、安心したような空気がホールに広がる。


「あれって、長老会の人だっけ?」


「たしかそうよ。お祭りのときに見た気がする」


 ホールの中は、人でいっぱいになってきた。ざっと百人くらいいるだろうか。先ほどの男が話した通り、避難者が途切れたところで、集会所の扉は閉められ、太い横木で閂が下ろされた。


 後は助けを待つだけ…。ローデンたちはどうなったのか…。


 自分がいてもどうにもならなかった。しかし、戦う老人たちを後にして、安全な場所に避難していることに、俺はすっきりとしない気持ちを抱えていた。


 隣には、エリカがいて俺の腕を抱えている。どうしたら、彼女を守れるだろうか…


 ざわざわとしていた村人たちも、しだいに静かになり、ホールは静まり返っていた。朝になれば助けがくる。そんな、根拠のない希望を抱えて不安な気持ちを押し殺しているのだろう。


 ゴトン、と音がした。


 静かなホールに緊張が走る。暗闇の中、俺はエリカと顔を見合わせる。音のした方向は、集会所の扉からだった。


 ゴトン、ゴトンと扉から続いて音がする。音は次第に連続していき、


 ガンガンガンガンガンガンガンガンガン


 と、雷のような音に変わった。


 小さな悲鳴が上がる。その気配を敏感に察知したのか、赤ん坊が泣き出す。慌てて赤ん坊をあやす母親だったが、もう誰も泣き声を止めようとはしなかった。…俺たちは小鬼たちに見つかってしまったのだ。


 雷のような音が鳴り響く中、俺は何もできず、ただ恐怖に怯えるエリカを抱き寄せることしかできなかった。脳裏には、門の外に見た小鬼の群れが浮かんだ。石斧を振るい、狂ったように門を叩く鬼たち。


 この集会所の扉は、戦のために作られた頑丈な造りだった。


 …どれぐらいの時間が経っただろうか?


 騒音は、やがてその厚みを減らして行き、そして、ホールにはまた静寂が訪れた。


 年配の女が、そっと扉に近づき、耳を当てる。


「…何も聞こえないわ」


 女の声がホールに広がると、所々でため息が上がる。俺も、久しぶりに息をしたような気持ちになって、エリカの顔を見た。


「ドアが開かなくて諦めたんじゃないか?」


「うん、そうだね!死ぬかと思ったよ…」


 彼女は、そう言うと安心したように俺の胸に顔をうずめた。


 彼女の頭をなでてやりながら、俺も脱力しながら答える。


「こんな頑丈な建物があって良かったよ。救援も呼んでるって言うし、このまま朝になれば…」


 そのときだった。


 コツンと、扉から物音がした。


 ホールは、急に静まり返った。誰もが息を止めて、何が起こったのか感じ取ろうとしているようだ。


「……けて」


 か細い、小さな声。


「誰か……たす…けて」


 それは、扉の外から聞こえてきた。少女の声。


「外にいるの!?」


 扉の近くにいた女が問いかける。


「………うん、妹と逃げて……」


 扉の外から赤ん坊の声が聞こえた。


 女は、人々を振り返った。


「………」


 訴えかけるような表情で人々を見回す。誰も彼もが、お互いの様子を探っていた。扉を開けるべきか…


 赤ん坊の声は、続いている。このまま、泣き続けていれば、また小鬼を呼び寄せてしまうかも知れない。


「開けませんか?見捨てるなんてできないでしょ…」


 沈黙の中、俺はそう言った。


 人々は黙っていた。誰だって、少女を見捨てろとは言いたくない。だが、先ほどの襲撃は、この頑丈な扉があったから耐え切れた。扉を開けるということは、凶暴な獣を前にして、無防備な腹をさらけ出すようなものだ。


「…開けますよ」


 俺は立ち上がって一歩踏み出す。脳裏には、小鬼の大群を前に、農具を持って挑もうとした老人たちの姿があった。


「…私も…助けたい」


 エリカも立ち上がって、俺について来てくれる。エリカの気持ちが嬉しかった。俺と彼女は、手を繋ぎながら扉に向かう。


 暗闇の中、不安そうな人々の顔が見えた。口には出さないが、眉間にしわを寄せて不満げな表情もいくつか見える。だが、数人が俺の後に続いて扉に向かってくれた。


「もし、何かあっても、さっと扉を開けて、子どもたちを中に入れちゃえば大丈夫よ!」


 立ち上がった女の1人がそういった。


 その言葉に背中を押されるように、俺は扉の閂に手を掛けた。重い横木が軋み、ゆっくりと冷たい外気が室内に流れ込む。


 外には暗闇が広がっていた。びゅうびゅうと風が吹く音がする。


「…扉を開けたぞ。…早く」


 俺は小声で暗闇に呼びかけた。先ほどまで聞こえていた赤ん坊の声が、嘘のように止んでいた。


「誰もいないの?」


 背後からエリカの声がした。振り返ろうとした矢先、足元に地を這うように滑り込む影があった。


「閉めろ!!」


 誰かが叫ぶ。だが遅かった。二匹、三匹と、闇から闇へ跳ねるように小鬼が侵入してくる。


 俺は反射的に、足元の小鬼を蹴り上げる。腹を蹴られた小鬼は、ギャッと悲鳴を上げてボールのように跳ねて暗闇に転がった。


 振り返ると、扉からは次々と小鬼たちが侵入し、逃げ惑う人々に襲い掛かっている。


 血の臭いが広がり、ホールは一瞬で地獄に変わった。


 刹那。


 ――ドン。


 地鳴りのような衝撃。天井から砂が落ち、壁が悲鳴を上げる。


「な、何……?」


 次の瞬間、外壁が爆ぜた。


 瓦礫を弾き飛ばして現れたのは、家ほどもある影。歪んだ巨体、岩のような皮膚、棍棒を思わせる腕。巨大な鬼だった。


「奥へ逃げろ!!」


 誰かの叫びに、俺は立ち尽くすエリカの手を引いて走った。集会所の奥に、石造りの小さな教会があったはずだ。


 ホールを抜け、廊下を右に曲がる。薄暗い廊下は、ほとんど前が見えない。


 俺とエリカは、どうにか教会の中へ転がり込み、後ろを振り返った。


 誰もいない…


 だが、追撃は止まらない。外からの衝撃で、教会の壁にも亀裂が走る。


 扉の外からは、叫び声と破壊の音が絶え間なく聞こえていた。


 教会へ逃げ込んだ俺たちだったが、すぐにそれが「逃げ場」ではないと分かった。


 重い扉の向こうから、何かがぶつかる鈍い音が断続的に響いている。いつ破られてもおかしくない。


 俺たちは必死に長椅子を引きずり、扉の前に積み上げた。粗末なバリケードだ。気休めにしかならないと分かっていた。


 高い位置にある小さな窓から、月明かりが細く差し込んでいる。淡い光が石床を照らし、教会の中を青白く浮かび上がらせていた。


 なるべく扉から距離を取ろうと、祭壇の奥へ、柱の影へと移動する。だが、どこに身を潜めても、安心できる場所はなかった。ここは、追い詰められた者が最後に立つ場所だ。


 俺たちは、できるだけ扉から離れた壁際に並んで座った。息遣いだけが、やけに大きく耳に残る。


「…ねえ、トマス」


 エリカの声は小さく、震えていた。


 俺は答えられず、ただ彼女の方を見た。


「私…怖いよ」


 その一言で、胸の奥に溜め込んでいたものが溢れ出した。


「…俺は、エリカのことが好きだ」


 言葉にした瞬間、不思議と恐怖が少し遠のいた。


 こんな時に、と思いながらも、今言わなければ一生言えない気がした。


 エリカは目を見開き、それから、ゆっくりと微笑んだ。


「…私も、同じ」


 短い答えだったが、それで十分だった。


「何で…ジュードと結婚したんだよ…」


 そう言った俺に、エリカは困ったように口を開き、何か言いかけて―止めた。


 そのときだった。


 …ヒュウ、と。


 頭上を撫でるような、風の音。


 俺たちは同時に顔を上げた。

 

 壁面に掛けられた古い絵画。その裏から、風の音が聞こえている。


 大きな額は、壁に固定されているのか、全く動かなかった。


 俺は床に転がっていた燭台を拾い上げ、絵画に叩きつけた。


 鈍い音と共に、キャンバスが破れ、穴が開く。


 そこには、人ひとりが這って通れるほどの、暗い通路が口を開けていた。


 隠し通路だ。狭いが、人一人は通れるだろう。


「エリカ、先に行け」


「一緒に…」


「いいから!」


 俺は彼女の肩を掴み、強く押した。涙で濡れた瞳が、俺を見る。


「この穴を何かで隠さないと。必ず、後で合流する。行け!」


 彼女は唇を噛み、頷いた。通路に消える背中を見届け、俺は穴にキャンバスの破片を放り込み、祭壇に掛かっていた布を詰め込む。


 通路は塞がれた。


 背後で、扉が破られる音。


 振り返ると、巨大な鬼が、教会の中に身をねじ込んでいた。


 俺は、放り出した燭台を手に取ると、柱の陰から姿を現した。


「…来いよ」


 声は震えていた。それでも、足は前に出た。


 鬼は獣のような唸り声をあげて、手に持った棍棒を振り上げる。


 次の瞬間、世界が白く弾けた。


 衝撃。体が宙を舞い、石床に叩きつけられる。息ができない。視界が滲む。


 それでも、俺は立ち上がろうとした。立たなきゃいけない。ここで倒れたら、エリカに追いつかれる。


 棍棒の一撃が、肩を砕いた。血の味が口に広がる。


 …もう、駄目か。


 崩れ落ちながら、俺は思った。


(…無事でいろ、エリカ)


 視界の端で、巨大な影が遠のく。意識が薄れていく。


 そのとき、胸の奥で、奇妙な違和感が膨らんだ。


 恐怖でも、痛みでもない。もっと根源的な…


(俺は…?)


 名前が、輪郭を失う。体の感覚が、どこか他人事になる。


 まるで、自分が自分でなくなるような…


 意識が奈落に沈み、すべてが遠ざかっていく。


 そして次に目を覚ましたとき、俺は…違う誰かの身体にいた。

 まだ幼い、ひとりの少年として。


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