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鬼の軍勢  作者: のきさき
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第1話

 山裾に広がる小さな村は、雪解けを待ちながら、じっと身を縮めるように息をひそめているようだった。俺は、白い息を吐きながら納屋に詰まれた丸太を一つ取り出し、斧を振るった。


 カンッ!と小気味いい音がして、丸太が二つに割れる。


(はやく薪割りを終えないと……)


 そう思いながら、西に沈みかけた夕日を見つめた。ここ、アーズローの村は、国境の村だ。北は、隣の村に続く山道、南は無人の荒野を挟んで隣国と接している。


 早く片付けてしまおうと、作業に戻る。自分で使うための薪ではない。近くに住む幼馴染……エリカのために切ってやっている。


 エリカの夫(こいつも、俺の幼馴染だが)は、今、この辺一帯を治める領主の募集に応じて、即席の兵士として隣領との小競り合いに参加している。冬の農閑期、村の男たちは出稼ぎに出る。今年は麦の不作もあって、ほとんどが村を離れていた。


 俺も、本当は町で、兵士の真似事か、土木工事の手伝いでもする予定だったが、折り悪く、流行の風邪にかかり出発が出遅れてしまった。そうこうする間に、働き盛りの男たちは村を出て行ってしまい、「村の男手が無くなっては困る!」という女たちの意見もあって、俺だけが村に取り残されていた。


 エリカの家の薪割りをするハメになったのは、こういうわけだ。


 薪を割り終えた俺は、荒縄で薪をまとめると、肩にかついで彼女の家へと向かった。太陽はすっかり沈んでしまい、空には星が輝きだしていた。


「エリカ、薪は裏の小屋に積んでおいたからな」


 俺は、彼女の家のドアの前で大声でそう言った。家の中から、はーいと声がした。


 木製のドアが開き、家の中の灯りが周囲を照らす。


「トマス、ありがとう!助かったわ!!もう、なんにも準備しないで行くんだから、あいつ!」


 料理の最中だったのか、エリカはお玉を持って出てきた。長めの丈の、ゆったりとしたスカートを履き、白いフリルのついたエプロンを付けている。明るい茶色の髪は、ご丁寧にも三角巾までかぶっている。


 俺は一瞬言葉を失ったが、すぐに気を取り直して言った。


「なんだ、若奥さんみたいな格好して」


「みたいな、じゃなくて本物だから!わたくし人妻ですの」


 お玉を胸の前で持って、得意げに笑う。


「似合わな…」


「うっさい。ご飯食べさせてあげるから、嘘でも似合ってるって言いなさい」


「はいはい」


 俺はそう言って、家の中に入る。


 ほんと……似合ってるよ。


「え?何か言った?」


「何も」


 この辺りの家は、玄関を入るとすぐに炊事場になっており、食事も同じ部屋に置かれたテーブルとイスに座って食べるのが一般的だ。俺は、イスに腰掛けると鍋をかき混ぜる彼女の後ろ姿に視線を投げた。


 明るい茶色の髪は、ポニーテールにしている。子どもの頃は、もっと短かった記憶がある。俺と、エリカと、そして彼女の夫のジュード。家の近かった俺たちは、兄弟のようにいつも一緒に遊んでいた。


「できたよ」と、エリカが皿を持って俺の前に置く。肉と野菜がゴロゴロと入ったシチューだった。


「こないだも、鹿肉ありがとうね。もう、ほんとに助かってる!」


 そういって、エリカが自分の皿をテーブルに置いて座る。


「今年は、森で猟をするやつもいないだろ?そう思って、罠をかけたんだよ」


 俺はシチューを口に運びながらそう言う。狩猟の道具は、主に罠と弓矢だ。東の森は、冬の間は絶好の狩場となっている。


「うまい!」


「でしょ?毎日、食べにきてもいいよ。いろいろお世話になっているし」


「……いや、そういうわけにはいかないだろ。一応、新婚なんだし」


「えーっ!大丈夫だよ、トマスだし!」


 彼女はそう言って、おかしそうに笑う。いつもそうだ。エリカとジュードは同い年の18、俺は一つ下の17。エリカは何かと俺を弟扱いしてくる。俺だって、小さな頃は彼女のことをおねえちゃんと呼んで追いかけていたこともある。でも、今は……


「とにかく、ご飯作ってくれるのはたまにでいいよ。エリカは料理うまいし、食べさせてくれるのはありがたいけど」


「ふふ、わかったよ。お腹がすいたら、いつでもおいで」


 笑顔で笑う彼女を見て、やっぱりこいつのことが好きだなと、俺は胸が痛くなった。


***


 太陽が低い位置から照らし、雪原に長い影を落とした。もうすぐ陽が落ちる。


 俺は今日も村人のために薪を割っていた。斧を振るう手を止めて、西の空を見上げる。何もない村だが、この風景だけは自慢できると思う。


(まぁ、こんな僻地まで来る物好きがいれば…だけどな)


 そうひとりごちた俺は、いつものように薪を荒縄でまとめて集落へと向かう。家に帰れば、エリカが晩御飯を用意してくれている。そう考えると、俺の足取りは軽くなった。 


 そして、その夜は訪れた。


 村の中を走り回る足音。隣人を呼ぶ声。真夜中の騒がしさに、俺は目を覚ました。


「…どうしたの?」


 エリカの寝ぼけた声が聞こえた。


「何かあったみたい。ちょっと様子を見てこようかな」


「…待って、私も行く」


 頭上でゴソゴソと音がする。彼女の家で、晩御飯をご馳走になった後「1人だと不安だから…」とお泊りを要求された俺は、ついそれに従ってしまった。一緒の寝室ではなく、彼女は2階、俺は1階で寝たことを褒めてほしい。


(無防備すぎるんだよな、俺もあいつも…)


 エリカと一緒にいたい気持ちに負けて、お泊りを選択した自分が憎い。「トマスは亭主がいない隙を狙って、新婚の嫁を寝取った…」などと、噂話でもされたらどうするつもりなのか。


(…いや、そうなったらそうなったでいいか)


 俺は、半ば捨て鉢になってそう思った。エリカとジュードが夫婦になったのは、2ヶ月前。ジュードが遠征で村を出る先月末までの間、なるべく2人に会わないようにしていた。


幸せそうな2人を見るのが辛かった。このまま、同じ村で顔を合わせて暮らして行くぐらいだったら、畑は誰かに売って、村を出ようかと考えていたぐらいだ…


「おまたせー」


 彼女は、分厚い外套を被って階段を下りてきた。寝起きのエリカも可愛い…じゃなかった。俺は、邪念を振り払うと長めの薪を掴んで外に出た。


 まだ本格的な冬ではないとは言え、真夜中はさすがに寒い。俺と彼女は、白い息を吐きながら村の中を歩いた。


「なんだろう?狼でも出たとか?」


「うーん、そうだとしたら牛小屋が心配だなー」


 騒ぎは村の東のほうで起きているらしい。


「おう、トマス、ご苦労だな」


 顔見知りのエルマンから、声をかけられた。エルマンは確か40過ぎだったはずだ。腰が悪く、俺と同じく居残り組だ。


「エルマンさん、何かあったんですか?」


「東の門で、でかい音がしたって、近所のやつらが騒いでてな。見に行ったら、これがまあ…お前にも見に行くか?」


 そう言って、エルマンは門に付けられた見張り台を親指で指す。


 集落は、西の崖を除き、ぐるりと木と土壁で囲われている。小さな村には似つかわしくない厳戒さだ。俺が生まれる前は、前線基地として防備が強化されていたらしい。


 戦が終わった今、王国の騎士は誰一人いない…いや、1人変わり者がいたか。


 見張り台を上ると、老夫婦がいた。


「ほら、見てごらん、門の右下だよ」


 老婆が差し出した松明を掲げて、言われた場所を覗き込む。イノシシか何か、大きな影が倒れていた。


「森から出てきて、壁に頭でもぶつけたのかね?いや、間抜けなやつもいたもんじゃなぁ」


 老人は、愉快そうに笑った。


「トマスー、どうだったー?」 


「イノシシが伸びてる」


「何それ?私も見たい!」


 老夫婦と入れ違いに、エリカが上がってきた。


「ほんとだ!大きい!」


 俺から松明を受け取った彼女は、身を乗り出して見張り台の下を覗き込んだ。


「でも、何でぶつかったんだろう?」


「イノシシは夜行性じゃないからな。何かにびっくりして駆け出したとか?」


 その理屈だと、イノシシを襲った何者かがいることになる。俺は、暗い森に向けて、目を凝らした。


 突然、ギャッギャッと、鳥のような叫び声が森の中から響いた。


 松明の赤い光に照らされたのは、小柄な影。松明の光に照らされたその目は、暗闇の中でも赤々と光っている。


 ひゅっとエリカの息を飲む音が聞こえた。


「…大丈夫。獲物を捕ったらすぐにいなくなるさ」 


 俺は彼女の背中にそっと触れた。


 小鬼。森に棲む魔物。普段は縄張りから出ないはずの存在だ。


「どうしよう?こっち見てるよ」


「大丈夫だって。ほら、貸して」


 俺は、エリカから松明を受け取ると、エルマンに声をかけた。


「小鬼がいますよ!イノシシを追いかけてきたのかも」


「小鬼だって!?」


 エルマンは目を見開いて、大声を上げた。


「一匹か!?」


「たぶん!」


 俺は、言いながら暗闇を振り返った。


 パチリ。


 暗闇の中で、赤い瞳がもう2つ増えた。


「あ…、待ってください。まだいるかも…!」


 パチリ。


 3匹。


 パチリパチリ。


 5匹。


 パチリパチリパチリパチリパチリパチリパチリパチリパチリパチリパチリパチリパチリパチリパチリ


 暗闇の中に、赤い光が無数に灯った。


***


「エルマンさん!やばい、むちゃくちゃいますよ!」


 暗い森から飛び出した小鬼たちは、東の門を目掛けて殺到した。


 小鬼たちは、手にもった石斧をガンガンと門に叩き付ける。樫で作り、鉄で補強した門は頑丈だ。ちょっとやそっとでは、破られるはずはないが…


「だ、誰か、ローデンさん呼んできてくれ!!こんなとき、どうすればいいか、あの爺さんなら知ってるはず…!」


「わ、わかった!ローデンさんと、後、村長にも伝えて来る!!」


 数人が駆け出して、村の中心部に向かった。


 門を叩く音は、雷のように大きな音を立てて、人々の不安をあおる。


「エルマンさん、この松明の灯りを目指している気がする!いったん、下に投げますね!」


 そう言って、俺はこちらを見上げるエルマンの足元に投げる。


「どうしよう…」


 エリカが俺にしがみついて顔を見上げる。


「大丈夫だって。いまローデンさんも来るし」


「でも、すごい数だよ…」


「大丈夫、この村の壁は軍隊だって超えられないんだから…」


 俺は、彼女の目を見て落ち着かせようとした。


 内心では、俺も不安で一杯だった。この村が砦だったのは、もう20年も前だ。出稼ぎに行かず村に残っている男で戦えるのは俺とエルマン、それに…


「とにかく、ここにいても危ないから、下に下りよう」


 そのとき、村の中から馬が駆ける蹄の音が聞こえてきた。


「ローデンさん!」


「小鬼だな。状況はどうだ?」


 騎乗の騎士が現れて、エルマンのそばに駆け寄った。


 彼の名は、ローデン。この村でただ1人の騎士だ。昔は、領主の騎士団に所属し、数々の武功を挙げたすごい人らしい。今は半ば引退し、生まれ故郷であるこの村で暮らしている。歳は…70歳手前だという。


 寡黙な男で、俺は話したこともない。村の若者の中では、騎士の格好をした偏屈な爺さん程度の認識だった。


「村の若い奴が見た限りでは、すごい数が来ているようで…」


エルマンが、俺を親指で差して言う。


「そうか、ちょっと邪魔するぞ」


 俺たちと入れ替わり、ローデンは見張り台へ上がって行った。


 俺は不安そうなエリカの目を見て言った。


「先に帰ったほうがいいよ、俺は残るからさ」


「えー!?トマスも一緒に来てよ」


「俺は、まだやることがあるから、多分」


 ローデンは、見張り台の上から小鬼たちの様子を伺っているようだ。


「門が破られそうになったときの補強とかさ…。だから、エリカは先に帰ってて。終わったら行くからさ」


「だったら、私も手伝うよ!私、トマスより力持ちだし!」


「…何年前の話だよ。わかったから、お姉ちゃんは先に帰って」


「あ、ひさしぶりにお姉ちゃんって言ったね?」


 彼女はそう言って笑った。俺を勇気付けようと明るく振舞ってくれているのだろう。俺を見上げる目は、言葉とは裏腹に小さく揺れていた。


 俺は、彼女の手を握った。


「…エリカは、俺が絶対に守るから」


「…うん、ありがとう」


 彼女は手を握り返してくれた。今は、それだけで十分だ。


 小さく手を振りながら、エリカは家に帰って行く。


 門を叩き付ける音は止まず、暗闇に鳴り響いていた。やがて、ローデンが見張り台から降りて言った。


「数が多すぎる。避難したほうが懸命だな」


「そんなにひどいのか?」


 エルマンが門を振り返りながら聞く。


「ああ、おそらく小鬼どもは数百匹はいるだろう」


「数百匹!?」


「あぁ」


 ローデンはそう答えると、俺たちに向き直って言った。


「この門は、そう長く持ちこたえられないだろう。門が破られれば、小鬼たちが殺到してくる。皆は、集会場に避難したほうがいい。この村では一番頑丈な建物だからな」


「ローデンさんは?」


 俺は思わず声を上げた。


「俺は、ここで時間をかせぐ。さあ、行動だ!!もう時間がないぞ!!」


 しばらく呆然としていた村人たちだったが、ローデンの大声を聞いて、バラバラと駆け出した。残ったのは、数人の老人たち、そして俺だった。


「どうした?若いの、行かないのか?」


「…集会場に行けば、皆は助かるんでしょうか?」


「…難しいだろう。獲物がいないと分かれば、小鬼たちは見つかるまで、しらみつぶしに探す。安全だとは言えん」


「そんな…」


「群れの損害が大きければ、あきらめて撤退するかも知れない。だから俺がここでなるべく数を減らす」


「ワシらも手伝うぞ、ローデン」


 老人たちが、農具を手にローデンに歩み寄った。


「お前と戦うのは、何年ぶりかのう。腕が鳴るわい!」


「ははは!20年くらい前じゃないのか!皆!小鬼なんぞは、戦に比べたら何でもないか!」


「おうよ!!」


 老人たちは、豪快に笑った。


「…ここは、俺たちに任せて、若いのは行け。彼女を守ってやるんだろ?」


「…彼女だったらいいんですけどね」


 俺は渋い顔で答えた。ローデンはまゆげをへの字にまげて怪訝な顔をした。


「色々とわけがありそうだな…、まぁいい。大事な女ってことは確かなんだろ?さっさと行ってやれ」


「…ありがとうございます」


 俺は、ローデンに礼を言うと、エリカの家に向かって走る。


 俺はここで死ぬと思っていた。


 臆病でも、何でもいい。俺は彼女と生き残る。


 俺は自分にそう言い聞かせながら、地面を蹴る脚に力を込めて走った。


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