第06話 鉄の女
あの令嬢がいよいよ口を出してきたと、ランキエールの者どもは戦慄した。
無論、ランキエールの男どもも、その妻も、娘も、どこの馬の骨とも知れぬ女が突然自分たちの暮らしに干渉してくることなど、受け入れられようはずもない。
そこで暫定的に夫である俺が、率先して彼女の言うことを確かめることになった。というか、ヴィヴィエンヌ自身が事もなげに、
「我が夫トリスタン。ランキエールでは、夫婦を大鷲の両翼に喩えるそうですわね?」
などとのたまってきた。つまり、現状自分じゃあ言うことを聞かせられないので、おまえの権力を使わせろということである。
そこまで言うならやってみようじゃないかと実行に移すことにした。
最初に言われたのは、ランキエールを悩ます魔獣問題、その最重要課題であるヒュドラについてである。
ヒュドラは半水生の蛇の魔獣であり、ランキエールの川の至るところに生息しているため、特に水に関することついては大きな障害となる。大きな個体の危険性は無論のこと、小さな個体でも噛みつかれてしまえば作業に大きな支障が出る。また、水車などの設備を破壊してしまうことも、開墾にあたって痛いことだった。
ランキエールの長い歴史の中で、ヒュドラの一斉駆除が試みられた回数は数えきれない。
しかし、まったくもってその生態がわからず、巣を見つけることも困難だった。討伐したとて大きな個体のみで、その根絶はできていなかったのが現状である。
しかしヴィヴィエンヌは「散歩中にヒュドラの巣を一つ見つけた」などと言った。屋敷の東の堤防の、大きく盛り上がった部分である。町も近い。ここにヒュドラの巣があったのなら、大変なことだ。
今日はそれを確かめる、と言った時点で、俺の部下たちは大きなため息もついていた。
「困りまさぁね。ありゃあ捨てられた川ネズミの巣です。都会の嬢ちゃんには物珍しく見えたかもしれませんが」
まさにその堤防の盛り上がりを見て、部下のフェンリクは言う。
俺の認識ではその通りだ。川ネズミは一年に一度、川のどこかに大きな巣をつくって繁殖し、冬になる前にその巣を捨てる。
巣が流れを止めるときは除けたりもするが、それ以上の何物でもないし、数年以内に勝手に川に流れる、というのが、ランキエールの常識だった。
だが、引き受けたものはやるしかない。俺は部下に命じて、とりあえずその盛り上がりを雑に壊させることにした。
「シャアアアアアアア!!!!!!」
すると、中型個体のヒュドラが、怒り猛って飛び出してきた。
それからは一週間かけて他の部隊も総動員し、堤防のヒュドラを駆除することになった。
死骸を数えるに、中型個体が二十四、小型個体は二百より上は数えきれず。卵も多数。
ここは川の上流の方である。町や屋敷周辺に出るヒュドラは、この巣を根城にしていたものと思われる。
また、その次にヴィヴィエンヌは「あの廃鉱山の捨て山をもう一度溶かしてごらんなさい」などと言ってきた。
彼女が言っているのは、屋敷から離れ、北西の方にある廃鉱山のことである。
そこまで散歩に行っていたのか、と彼女の執事に尋ねれば、近くまで行ったことは確からしいが、そういえば昼飯時に、宿屋で少し休みたいわなどと言って休ませたことがあるという。
あるとすればそのときに抜けだしたということだ。許可を取ったり、あるいは鉱山の視察に行くということそのものが警戒されると考えたのか。
にしても、この魔獣だらけのランキエールで? 正気か?
捨て山にあるのは、クズ石か、もう鉄を採ってしまって不要になった砂や鉱石の残骸のみだ。
しかし彼女は、炎魔術を使ってもっと温度を上げて溶かしてみろと言った。ランキエール式のたたらを踏まえた簡単な炉の作り方まで、図面を描いて寄越してきた。
ヒュドラのことがあったので、今度は比較的楽に人が集まった。
荷台一杯のクズ石を炉にかけ、炎魔術を用いて溶かす。すると明らかに今まで見たことがなかったような、融解した真っ赤な金属が流れ出してくる。
それは今まで取り逃してきた鉄だった。
違う色の金属も出てきたので、それぞれ比重で成分を分析するに、それに含まれているのはおそらく、銅に金、そして希少な魔鉄鋼。
炭鉱夫に経理の担当、もちろん俺自身、そして当主である父上まで全員が戦慄した。
俺たちは今まで、この財産をゴミのように扱っていたのだと、
ここまでの期間、わずか二カ月である。
未だに春すら、終わっていない。
◆◆◆
ぼうっと寝室の天井を眺めて、考える。
ヴィヴィエンヌは忙しそうな様子を見せなかった。ヒールで床をコンコンと叩きつつ、自身の二倍ほどの体格の男女を退けて屋敷中を闊歩し、時折ブーツを履き込んで出かける。どこで書き物をしているのかもわからない。ただ知らぬ間に練られた計画を、確信めいた目で提案してくる。
屋敷ではこのところ、彼女を『鉄の女』と評する声が増えてきた。
確かに、あの意志と、我らランキエールの民が武器としてきた武力をまったくもって無効化してしまう様は、下手な鎧よりも強固に、かつ異質に感じるほどだ。
──あれほどの女が、なぜ、王妃になれなかったのだろうか。
いや、逆かもしれない。根本的に王妃に収まる器ではなかったからこそ、政争で目の敵にされてしまったのか。
眠ろうとしたところ、俺の自室の扉がノックされた。
俺はそれで直感した。この時間にここに来られる者など、一部の使用人と、俺の家族のみ。
「夫よ。我が夫トリスタン」
俺は唾を呑んだ。
女が夜に、しかも、そういう立場にある男の部屋を訪ねてくるとは、どう考えてもそういうことだ。
『鉄の女』と呼ばれた彼女であれば、夫婦の関係、すなわち領主の息子との関係を、自身の権力基盤の要素に数えるのは至極当然とまで言える。
誰の子でも、何人でも産んで見せましょう、と彼女は言った。
まさか、あの令嬢、本当にそこまでやるのか?




