第48話 謁見
国王陛下への謁見にあたって、私たちはランキエール侯爵であるお義父様とその息子夫婦のみ、という格好ではなく、必要な準備をすべて整えて、トリスタン直下の一個師団と丸ごと王都に入った。
リスヴァロン王国が誇っていた二十万の中央軍、及び七万のレーンヴァルド兵は、干ばつの今、もはや形無しである。
暴動を起こしたレーンヴァルドの兵士は言わずもがな、中央軍はこの動乱の最中、国内各地と国境に散っており、また、そもそも兵站が足りないために、王都の守りすら不十分だった。
召喚の手紙には私たちが守るべき儀礼の記載などなかったが、一個師団で王都に向かうなど、平時であれば反乱とも受け取られかねない蛮行である。
しかし王宮は迎え撃とうともしなかったし、疲弊した王都の民衆は、私たちが外壁の内に入っても、恐れ慄きこそすれ、抵抗しようなどとは微塵も考えなかった。
私たちが王都のど真ん中に戦士を置き、私兵ごと王宮に入る様はさながら、無血開城のようだっただろう。
それは王宮がランキエールとの現在の力関係を認めた、ということでもあるし、国王陛下が無礼を認める器の大きさを示した、ということでもある。言い換えれば、干ばつの中で王宮だけを取られたとて、おまえたちにはどうしようもないだろう、という開き直りだ。
一杯食わせたのはどちらかを決めるのは、詮無きことだろう。それは後の人が結果から勝手に推定することだ。
ただ事実として、私たちは王宮内にいつでも暴れられる戦士を配置したし、その上で、謁見場である王の間へは、慣習の通り、お義父様とトリスタンと私の三名だけで入場することになった。
王の間にはすでに、国王陛下が階上の玉座に座り、その隣に王妃殿下が控えていらっしゃった。
そして、こちらの要請の通り、階下では王太子アドリアンと聖女ミレイユが跪いている。
アドリアン殿下は顔の一部に包帯を巻き、横に杖を置いていた。あれだけやったから当然だが、まだトリスタンがやった傷は癒えていないらしい。聖女ミレイユの方はただアドリアン殿下の物真似をしながら待機しているだけだ。
ただ二人とも、大いに不安そうで、脂汗をかき、これから降りる沙汰に恐怖しているようだった。
大扉がゆっくりと閉じられる。
極秘の謁見ゆえに儀礼官はいない。代わりに声を発したのは、王妃殿下だった。
「国王陛下が、お聞きになられます」
儀礼として、こちらで最初に口を開くのは、侯爵であるお義父様である。
「本日は、陛下のご厚意によりお呼び立てを受け、ご命令を拝受するため参上いたしました」
私とトリスタンはお義父様と共に跪き、深く頭を垂れる。
私は上目で、よく陛下を観察した。
病床に伏していただけあって、体調はどう見ても悪そうだ。虚ろな目ですらある。
臣民にあるまじき感想だけれど、かつての面影はなく、まるで、死人のようだと思った。
王妃殿下がじっと陛下を見つめる。
陛下はお義父様の言葉を聞き届け、頷き、虚ろな目を一度閉じて、ギン、と開いた。
すると印象が、百八十度変わった。
ひじ掛けに添えた腕に力が戻り、血管が浮き出る。背筋はゆるりと伸びて、眼底から射抜くような光が煌めき、あの絶対的な権力者の余裕が戻ってくる。
すべての臣民と、そして、かつては王太子の婚約者だった私には、生まれたころから刷り込まれ続けてきた畏怖がある。
王政の頂点に君臨する者の威光は、王太子とは比べ物にならないほどにまで絶対的なのである。王太子派の連中も、国王陛下と実際に見えることは避け続けた。一度相対してしまえば、仮に国王陛下に屈することがなくとも、それは国全体と、自身の故郷との対立を意味してしまうからだ。
こちらはトリスタンとお義父様がいる。王宮も実質的に制圧している。干ばつの状況はランキエールに圧倒的に有利に働いている。
しかしそれでも、この場の力関係は五分ですらない。
リスヴァロン王国を統べてきた御方とその背後の歴史は、仮に力をもって簒奪するとて、下手人と一族には子々孫々に継がれる罪と、王国の歴史に傷をつけた恐怖が刻まれる。
国王とは、そういう存在だった。
「ヴィヴィエンヌ=ランキエールよ」
陛下は最初に、私の名を呼んだ。
王の間全体に響く、低く、恐ろしい声である。
「まずそなたには息子アドリアンの非礼を詫び、筋を通さねばならん。あのときは余も床に伏しており、然るべき手立てを打つに至らなんだ」
アドリアン殿下が名指しされる。
殿下は恐怖に顔を引きつらせる。
「この一月の間、アドリアンには王太子として犯した過ちを償わせておった。その最中に、そなたから今回の謁見に息子を同席させよとの要望を受け取ってな。諸々の根回しも済み、今日が良い機会だと思うた」
そうして陛下は、無慈悲に言った。
「本日をもって、アドリアンを廃嫡とする。こやつは次代の王に相応しくない」
アドリアン殿下は跪いたまま脱力して、肩を落とし、小さく震えていた。こうなることはわかっていたのだろうが、いざ実際に廃嫡となると、ギリギリで王太子としての地位で守られていた命すら、保証がなくなってしまう。
しかし次に続く言葉はなかった。ただ沈黙のみが王の間を支配する。
これだけで、この話は終わってしまったようだった。
次に国王陛下は私の方を見下ろし、
「望みを言え。余が許す」
と言った。
この望みとは、今日の本題である、支援の見返りに何が欲しいのかということだ。翻って、その望みに応じるどのような支援が必要なのかを述べてほしいということ。
通常、陛下とのやり取りができるのは各家の当主のみ。
私に答えを尋ねたということは、ランキエールの状況を十分に把握した上で、アドリアン様の件の詫びも含め、最上の褒美を賜れるということに他ならない。
横目でお義父様を見る。お義父様は頷いてくださる。
私は張り詰めた緊張の中、口を開いた。
「我らが当主、アルシオン=ランキエール侯爵の、公爵への昇爵を」
これは前例のないことだ。
侯爵位までは、戦果や貢献によって上がってきた例はいくつかある。
しかし、古来より王家に仕えてきた一族のみが持つ公爵位だけは、リスヴァロン王国の歴史上で増えたこともなければ、与えられたこともない。公爵位は準王家とも言える国の中枢部分に関わる別格の位であり、これを与えるということは国体と王権に変化と歪みを与えることだからだ。
平時では即刻切り捨てられかねない無礼千万。
ただ、通る材料は揃っている。王宮から私たちに差し出せるものがない今、与えられる最大の報酬はこれしかない。そしてアドリアン殿下の過ちによって、私が公爵家から侯爵家へ落とされた、という経緯を重視するなら、それを回復させる措置は筋が通る。
陛下はゆっくりと、返答する。
「わかった」
──通った。
私たちランキエールも、まさか、こんなにあっさりと、その場で通るだなんて想像だにしていなかった。
陛下は未だに沈黙している。重大な決断をしたのに、早く続きを話せと言わんばかりだ。
次は、支援の内容について。
私は言葉を紡ぐ。
「そして、王宮におかれましては、当面は二年債を、併せて五年債の発行を賜りたく」
「……干ばつが終わるまで、ということか」
「はっ! それらをランキエールが引き受け、かくして得られた資金をもって、我らの物資をお求めいただければ、万事滞りなく事が運ぶかと存じます」
陛下はゆっくりと息を吸った。そして、数度だけ、喉を震わせて息を吐く。
「ふっかけてくれるわ」
口元の深い皺が、曲がっている。
どうも、笑ってくれているらしい。
「よい。その働き、余は期待しておるぞ」
そうして、すべてが決着した。
ランキエールの目的は達成された。あとは、陛下が「下がれ」と言ってくださるまで待つだけ。
「……へ、陛下!」
だが、沈黙が包む王の間で、誰の許しを得ることもなく、直接に国王陛下に声をかけた、あまりに場違いな女がいた。
言うまでもなく聖女ミレイユである。
アドリアン殿下が止めようとしたが、彼女はそのまま問いかけてしまった。
「わ、私たちは、どうなるの、でしょうか」
聖女を見て、陛下は眉一つ動かさなかった。
廃嫡した王太子の元妻、それも今は罪人ですらある女に、何も答える義理はないどころか、無礼だと斬って捨ててもいいくらいだった。
……まあ、そんな女を同席させたのは私だが。
本当は私から切り出そうと考えていた。その無礼を許してもらうための王宮の占拠だったし、計画でもあった。
しかし、そんなことをしなくても、聖女は自ら愚行に及んだ。
国王陛下の眼差しは、彼女に、処刑あるいは幽閉・追放を予感させるのに十分だったようだった。
彼女は急に立ち上がった。そして瞬時に王の間が明るくなる。源は天井のステンドグラス。日光とは思えないほどの圧倒的に強い光が注ぎ込んでいる。
私はそれを予期していた。彼女が立ち上がった時点で目を掌で覆い、指の隙間から聖女の姿を確認する。
聖女ミレイユは、両手の親指と人差し指を立て、菱形を作り、私の隣のトリスタンに向けていた。
──キィィィィィィン。
そのような甲高い音が、刺すように頭に響く。
光はすぐに収まって、聖女は、トリスタンに向けて言い放った。
「ここにいる人を、全員! 殺しちゃって!」
トリスタンが、ゆっくりと立ち上がる。
そして聖女の言葉に応じて床を蹴り──
「あ、えっと、でも、アドリアンは、だめで。そう! その女と! みんな、殺しちゃえ!」
──聖女を捕らえ、その両手を捻り上げた。
彼女は悲鳴を上げ、困惑して顔を歪めた。
「な、なんで……?」
「もう、いいんだな、ヴィヴィエンヌ」
「ええ」
トリスタンは片耳から、耳栓にしていた綿を引き抜く。
このパターンも私たちはちゃんと予期していた。トリスタンとお義父様は予め綿で片耳を塞ぎ、聖女が不審な行動を取り次第、もう片耳を防いで臨戦態勢を取れるように備えていたのだ。
「本当にあなたは考えが甘い……まあ、この場でもっとも強い男を嗅ぎ分ける嗅覚だけは、さすがと言うべきですかね」
私は跪いた姿勢を解き、聖女を見据えた。




