第46話 王子の謝罪①
東の内陸部の各地に、国王陛下と王太子の連名で再度の支援要請が送られてきた。意味合いとしては、教会に結び付いた王太子派は解体されたため、かつての王太子派と国王派の対立は考慮せずに交渉の席についてほしい、ということになるだろう。
無論これは、国王陛下と王太子殿下の対立を盾にし続けた、私たちランキエールを名指ししたメッセージに等しい。
それでも私たちは支援要請を無視した。
応じる義理などなかったし、応じさせるだけの兵力・兵站を今の王都及び王宮は保持していなかったからだ。
ここ数か月の間にも干ばつは続き、初夏の収穫は終わって、ロクに水の使用計画をしていなかった畑の小麦は壊滅したことが確定した。
そうすると都市の悪いところが出てくる。小麦の価格はさらに暴騰し、水の入った樽にすら値が付き始め、私たちが輸出した水(保存性の良い薄めた酒である)なども、王都の庶民が買わざるを得ないほどの需要が生まれた。
少なくともあと数年は、この王都の窮状が続いてくれた方が、私たちにとって都合が良いくらいだ。
ただ、支援要請の無視といっても、貴族の世界ではそれ自体がある別の意思表示を意味することになる。
すなわち、「ただの手紙に応じるつもりはない」「もはやそちらが弱いのだから誠意を見せろ」「そもそもおまえたちが過去にやってきた仕打ちを弁えろ」ということだ。
──私がそんな意地の悪いことを考えていたかって?
もちろん、考えていた。
ギリギリ王国が滅ばない塩梅で、支援するなら代わりに何をもらおうか、何をしてやろうかという計画で、私の頭の中はいっぱいだ。
ある程度の我慢比べのような虚しい期間を経て、今や王国東部の中心地となったランキエールの屋敷には、考え得る限り最上の遣いがやってくることになった。
「久しぶりだな──」
天を穿つほどの極太の格子で建てられた、ランキエールの門。
その向こうに、久々に見る顔がある。
「──ヴィヴィエンヌ」
彼は小さく消え入るような声で、私の名を呼ぶ。
その頬は私の記憶よりもずっとやつれていて、目には隈があり、王太子の覇気はとうに消え失せ、ここ数か月の動乱による心労を感じさせる。
「お久しゅうございます。殿下」
アドリアン殿下が直々に支援要請にやってきたのだった。
殿下が連れている親衛隊は最低限の、十名ほどのみ。それもあまり、殿下に対する忠誠心も見えない。あくまで上の命令として連れられているようだ。やはり王都は今、よほど物資が足りないのだと見える。
私は隣にトリスタンを伴い、もちろんランキエールの戦士たちも後ろにつれ、門の前に歩いていくことにする。
「して、こんな辺境の地に何の用でございましょう? それも──」
一歩歩むたび、門の向こうの殿下と親衛隊はもう面白いくらい震えている。
部下に命じて、錨の如き錠前を開けさせる。どしんと落下して金属の重くて甲高い音がする。殿下はまた震える。そして部下たちは門の格子を掴み、ゆっくりと門を左右に引いた。
「──臣下に下賜した、この悪女に」
開きゆく門の中央で、私は久々に貴婦人の礼をして、殿下を出迎えた。
「そ、それはだな」
殿下の声は震えていた。
それでもなんとか私に対して、ある程度は対等に、あるいは命令できるかのような態度で口火を切った。
「王都の惨状は、聞いているか」
「もちろんですわ」
「食料と、兵が足りないのだ。各所で暴動も起きている。備蓄のある隣国からは、侵攻される恐れもあって、だな」
「存じております」
身振り手振りをする余裕があると示すかのように、殿下はランキエールの大地を見回す。そして戦士たちにも目を遣る。
あまりにわざとらしくて、見られた戦士たちは吹き出しそうになっている。
「ラ、ランキエールは去年に収量が上がり、備蓄をため込んだと聞いた。兵は、無論のことだ。それでその……件の、俺の結婚式の、褒美でも、だな」
「ええ。王妃殿下から、交易の権利を賜りました」
「立派なことだ。それで、この干ばつにもかかわらず、財を、成していると」
「我らも領民のため、必死に働いた次第でして」
「だから、王都の惨状をだな……」
「大変ですねぇ。干ばつの被害はランキエールにも及んでございます。我々も他所に分ける物資なんて、とてもとても」
「だから──」
私は殿下の言葉を引き取った。
「だからなんですの、殿下?」
その問いに殿下が答えるまでは、ちょっとした間があった。
殿下は両拳を握りしめて震え、顔は紅潮し、呼吸は乱れ、歯を食いしばっている。
それでも、最後には観念して膝を折って突き、屋敷の庭の石畳に額を擦り付けた。
「すまなかった!」
「……あらあら」
「ミレイユとはもう離縁した! かつて君を糾弾した者たちも、牢獄に捕らえてある! 全員然るべき手続きを踏んだのち、罪を償わせるつもりだ! ドルナク家の名誉も、今後! 俺が自ら謝罪して、回復させる!」
離縁の話は初耳なので、意外だった。
あれだけ豪華な婚礼を経ての、聖教の規則を捻じ曲げての離婚は、王権が教会勢力ときちんと距離を置くという重大な決断に他ならない。また、報道機関に先んじて私に離縁のことを伝えるのは、ある種類の詫びでもある。
つまり、あの“下賜”について、殿下自らが謝罪して初めて支援の交渉が始まるのだという、王宮側の誠意だ。
「そして、君に謝らねばならない! 君は悪女などではなかった! 君がいなくては、俺は! 小麦のことも、水のことも、国のことも、何も、何もわからず、兵を数えることすらままならなかった!」
あの殿下が、次代の王が、プライドを折って頭を下げている様は痛快だった。
「俺は馬鹿者だ! それを自覚することすらできなかった! もう今となっては、謝罪することしかできん!」
もう涙すら流している。悔しくて仕方がないのだろう。
きっと、言いたくないこと、認めたくないことで、言わねばならないことのすべてを、事実をもって受け入れさせられたのだ。
「本当に! すまなかった!!!」
でも正直、必死過ぎてちょっと引くくらいだ。
笑ってやろうかと思ったが、嘲笑おうにも乾いた笑いしか出ない気がする。
「だから、支援を頼む! 俺にはそれしかできん! そうだ! その見返りとして──」
……おや?
殿下はその続きを言うことに、少し躊躇した。
私は言葉を待った。この続きが想像通りなら、もうこれほどに滑稽な物言いはないからだ。
「──君を、妃に召し上げてやってもいい!!!」
殿下がそうのたまったとき、もっとも早く反応したのは私ではなかった。
私の斜め後ろで事態を静観していたトリスタンが、地面を蹴って飛び出ていた。




