第44話 干魃③
「出てこい! 王太子!」
「聖女を出せ! 殺せ!」
「城の備蓄を解放しろ!!!!」
城壁の外から罵声が飛ぶ。
干ばつの原因がミレイユなわけがない。備蓄などありはしない。都合の良い解釈ばかりをして、愚かな農民たちは叫んでいた。
だが、その衆愚を一蹴できなかった己の無力さが歯がゆい。
結局、農場の反乱は鎮圧できず、俺たちはアンジュー領にシグリッド領から引きあげ、レーンヴァルド城へ戻らざるを得なかった。
七万のレーンヴァルド兵を使えば守りは万全だったが、こうも民衆が言うことを聞かなければ先がない。
城に立てこもって三日目、事態を打開すべく、俺は会議を開くことにする。
側近たちと、そしてレーンヴァルド兵の副総督、関係幹部を会議室に全員招集した。
「……これだけ、か?」
だが、集まった幹部は、一名の側近と副総督だけだった。
「他のやつらはどこに行った!?」
俺が問うと、副総督が呆れた顔で口を開く。
「……逃げたのでは、ないですかな?」
「逃げた、だと?」
「ええ。殿下。今の状況は相当厳しい。レーンヴァルドに縁がないのなら、残る義理はないでしょうな」
「くそっ! 軟弱者どもがっ!」
副総督は、レーンヴァルドの兵を代々取りまとめる一族の出身だ。王太子が叙せられていない状況では、彼が総督となって兵をまとめる。
「中央軍はどうした? 五万ほど借りられる見込みだったはずだ」
まだだ。
兵力さえあればどうにでもなる。すでに王宮に支援要請を送った。
結婚式のときみたく、中央軍二十万の威光があれば、あの物分かりの悪い農民どもにも言うことを聞かせられるはず。
「すぐには来られないそうです。そもそも少なく見積もって、それだけの兵を動かすには、平時でも一カ月はかかりますな」
「なんだと? それならそうと早く言え!」
「言わねばわかりませんか? この干ばつであの大軍を保つのは難しく、そして国境の警備の増強もせねばならない中、五万人もの余剰があるわけがない、なども?」
副総督は呆れ顔を保ったままだ。
俺にはそれが引っかかった。さっきは逃げた軟弱者どもに呆れていると思ったが、そうじゃない。
この男は、俺に呆れ、馬鹿にしているのだ。
「おい、貴様!」
思わず俺はテーブルを叩いて叫んでいた。
「先ほどからなんだその態度は! 王太子である俺の前で! 己の立場を弁えよ!」
いつもなら、こう一喝すれば誰もが平伏するところだ。
だが、今日は違った。
「殿下。失礼ながら、情報の収集はしておいでかな? まあ、何もご存じないのでしょうが」
「なんだ貴様! 無礼だと言っておろうが! 跪け!」
副総督は懐からがさりと音を立てて新聞を取り出し、乱暴に俺の前に投げる。
「一昨日の朝に、教会の醜聞が報じられました。殿下のお仲間は、女子を使ってかき集められたそうですな」
「……っ!!!」
新聞を広げる。
「……ふざけるな」
そこには、美人局を手段に王都の貴族を篭絡してきた教会の隠密部隊の詳細と、逮捕された教会の上層部の面々が載っていた。彼らの手によって王太子派となった諸侯も、実名付きで報じられている。
これはつまり、俺とミレイユが王太子派を形成するにあたってやってきたことの、告発だった。
「こんなものっ! こんなものっ!」
「否定しないということは、事実でよろしいか? まあ、あの側近どもは、その報道が怖くて逃げたんでしょうが」
さらに、ここからは俺も知らない話だ。
教会の隠密部隊、美人局に使う女性隊員の出所。
それが、王都の娼館だという。
教会は貧しき者を救うという事業をする一方で、見目の良い女を取り込み、娼館に斡旋していたという。最近に始まった話ではないようで、聖教の歴史と共にずっと、その闇の営みは続けられたきたのだとか。
新聞はこれらすべての責任を、教会を代表する聖女であるミレイユと、その彼女を娶り利用した、王太子である俺にあると書き綴っていた。
俺はその新聞を破り捨てた。
卑怯な諜報活動だけでなく、干ばつの被害が表面化したタイミングでこれを報じようという悪意。覚えがある。
これは、あの女の仕業だ。
ドルナクは、妃を輩出できなかった意趣返しをする機会をずっと伺っていたのだ。
「ありえないっ! こんなこと! いったいどこから」
「私としては、このクソくだらない手練手管で色狂いを集めて、王国を危機に陥れている殿下の方があり得ませんがね」
副総督は立ち上がる。
見れば、彼は腰に剣を携えていた。
「な、何をするつもりだ、貴様!」
「ああ、失敬。別に今ここで殿下を討とうなどとは考えておりません。我々レーンヴァルドの民は王権に忠誠を誓った身。国王陛下の御子を殺すなどできようはずがありません。法的、歴史的な問題があまりに多い」
「あ、ああ! そうだろう! わかっているならさっさと民を鎮めろ!」
「ですから──」
副総督は剣を抜いた。
彼はもう、正気ではないようだった。
「──私から、お逃げくだされ。もはや領民にも示しがつかぬのです」
俺は立ち上がる。
唯一残った側近と、親衛隊に目を遣る。だが全員、顔を伏せて動こうとしない。
「ああ、レーンヴァルドの民に殺されてもいけませんよ? この伝統ある地の歴史に傷がつきます。さっさと逃げて行方不明になるか、しかるべき裁きを受けて廃嫡されてくださいな」
廊下に出て、すぐに駆け出した。
ミレイユの部屋──王太子妃の専用居室──にまで急ぐ。
──まずい。
──まずいまずいまずい!!!!!!
副総督はあくまでゆっくりと追ってくる。
この場で殺すつもりはなく、去れという意思だけは確かなようだった。
長い、長い廊下を全力で走る。白の螺旋階段を二つ上り、なんとか彼女の部屋の前まで駆けつける。
「ミレイユ!」
扉を開ける。
ミレイユはやつれた顔で、ベッドに腰かけ、耳を塞いでいた。
「……アドリアン?」
こんな彼女に現実を告げることは躊躇われた。
けれど、もう幾ばくも時間はない。すぐに逃げねばならない。意を決して言う。
「ミレイユ。その……すべてが、露見して、しまった」
「ろ、ろけん?」
「君と教会の力についてだ。全部バレた。王都で新聞が取り上げたらしい。おそらくはドルナク家の仕込みだ」
それを聞いて、彼女はかつてないほどに目を見開く。
もともと大きい目が、さらにやつれて、大きく光っていたのに、もう病的なほど彼女は衝撃を受けていた。
「や、やっぱり、あ、あの女、は……」
「お、落ち着けミレイユ。だから、これからここを逃げなきゃいけないんだ。ほら、息を吸って」
落ち着くために、ゆっくりと深呼吸してもらう。
彼女は従ってくれる。だけれど、呼吸の間隔はどんどんと早くなる。
すぐにミレイユは、過呼吸を起こしてしまった。
「それ、以上、は……?」
「それ以上?」
「その新聞には、何が書いてたの!?」
「教会の隠密部隊についてだ。あ、えっと、教会が昔から、売春宿に貧民を、斡旋していたと」
「なら他は!? 他はないの!?」
記憶を辿る。
「なかった、はずだ、が……」
そう答えると、ミレイユの過呼吸は少しマシになる。
彼女の手を握る。抱き締める。
「大丈夫だミレイユ。大丈夫。大丈夫だから」
その間にも、扉のむこうの音を聞く。
城壁の外だけにあった喧噪は、城の内部まで迫っている。
室内に飾られていた儀礼用の剣を腰に携える。動きにくい服は脱ぐ。蝋燭に火を点け、予備のものも何本かポケットに突っ込む。
もうこの場を脱すること以外は何も考えない。
ミレイユはもはや一人で動けそうにない。負ぶることにする。
彼女は信じられないほど軽かった。ここ数日の騒動でここまで彼女を追い詰めてしまったことがわかって、刺すように胸が痛んだ。
暖炉の方に行く。
大理石の中に隠れた、一つの石板を押し、斜めに捻る。そしてそのあと、炉の中に手を突っ込み、火かき棒に似せたレバーを引く。
すると暖炉の留めが外れ、横から押すと体二つぶんほど壁に沿ってずれ、隠し階段が現れた。
ミレイユを負ぶったまま、蝋燭片手にその中に行く。
中にあったレバーを引けば入口は閉じた。
もう百年も使われていない小さく細い通路だった。埃と土の香り、湿った匂いでむせ返る。呼吸すら嫌になる。
通路が狭いせいで、地下に降りるまでも小一時間ほどかかって、それだけで脚は攣りそうで、呼吸は乱れて、蝋燭を持つ腕も限界が近づいてしまう。
降りて行ったところには、まっすぐ伸びてずっと続く通路があった。
蝋燭をかざすが、先には光も届かない。
この通路は王都の王宮まで続いている。
ここからさらに、馬車で三刻かかる距離を、ミレイユを背負ったまま、行かねばならなかった。
しかし、これしかないのだ。
俺たちはもう、逃げるしかない。
そうして俺たちは、レーンヴァルド領を脱出した。




