第41話 王子の挽回
渡された紙を捲る。
「……これは、本当なんだな?」
「はい! アドリアン殿下!」
「間違いは、ないか?」
「ないですとも!」
今読んでいる報告書は、俺とミレイユが管理したぶんの小麦の収穫表である。
王太子直轄領であるレーンヴァルド領、修道院の農地、そしてリスヴァロン平原西の耕作地帯。その三つが去年、俺たちが使えた農地だった。
「どう、なの? アドリアン」
隣のミレイユが緊張した面持ちで収穫表を覗き込んでくる。
「一・五倍だ」
「……え」
「ミレイユ! 例年の一・五倍だ! 俺たちはやったんだ!」
「えーーーーーっ!」
ミレイユは心底嬉しそうに、弾けるような笑顔を見せてくれる。
俺もミレイユも、あの女に結婚式を邪魔されてから、ずっと心のどこかが晴れない日々を送っていたが、すべてが報われる気分だ。
これもすべて、ミレイユの力だ。
彼女の太陽の権能をもって小麦を育て、農民どもを鼓舞したからに違いなかった。
「この成果があればもう国王派の連中も何も言えまい! 今年の秋、そして来年の春! 君にも各地に出張ってもらうことになる! 頑張るぞミレイユ!」
「うん!」
ミレイユの祈りによって収量が一・五倍になったのだ。これが覆しようのない事実。王太子派に属する当主たちの農地にも口が出しやすくなる。
そして来年、もっと小麦が増産できれば、クロレンヌ王国のせいで上がった小麦の値段も下がる。
ひいては、理不尽に下げられたミレイユの評判も回復する。
この冬はそのための布石を打ち続けていた。
国王派と母上とは完全に距離を置いた。教会とミレイユの力で王都に残った国王派と対決を続け、監察官たちを手中に収め、王太子として、そして次代の国王として手柄を立てる準備をした。あとは手始めの成果だけだったのだ。
──すべてが、揃った。
◇◇◇
秋が来た。種蒔きの季節だ。
リスヴァロン王国でもっとも小麦生産が多いのは、王都の南西部にあるアンジュー領とシグリッド領である。二つの領は大河を挟んで隣接しており、その広大さと肥沃さは“リスヴァロンの畑”と言われるほど有名だった。
俺はこの畑のすべてを、王太子の権限を用い、そして地方監察官と領主を抱き込むことで、支配下に置くことに成功した。
もちろんそれだけじゃない。小麦の収穫から種蒔きの間のわずかに三か月で、耕作に使われていなかった周囲も開墾し、畑の大きさを二倍にまで広げた。
レーンヴァルド兵七万と、そして王国の中央兵五万を動員した、計十二万人を使った大事業である。
そして事業は、もう一つ。
俺はミレイユに目隠しをしてもらい、馬車に乗って、そこまで行った。
アンジュー領とシグリッド領を見下ろす、麦畑の中の丘陵。そこに俺は、今まで頑張ってくれた、そしてこれから頑張ってくれるミレイユへのプレゼントを作ったのだ。
「ど、どうしたの、アドリアン。怖いわ」
そう言いながら、しかし期待を隠せていない声色で彼女は言う。
馬車を降りてもらい、彼女の手を引き、しばらく歩く。
「いいぞ、ミレイユ」
彼女は目隠しを外し、光景に息を呑んだ。
目の前にあるのは、麦畑の中で建設されている大聖堂と、そして、その大聖堂に負けないくらいの規模の祈祷場。
祈祷場の方に優先的に人員を回したので、こちらはもう八割できている。
空に解放された、大理石の大神殿。すべてを鏡面仕上げまで磨き上げて、よく日光を反射し、どこから見ても輝くようにデザインされている。
「わぁ……」
ミレイユはぱあっと目を輝かせる。
「手前にあるのがミレイユのための祈祷場だ。そして今建てているのが、大聖堂。教会には第六聖堂ということで認可が下りている」
「すごい! すごいすごいすごい!」
「だろう? こちらはまだ完成は遠いらしい。だが世界に君の名が轟くころには、まさに君の象徴として、これが麦畑の中に聳え立っているんだ」
そう言うと、彼女はほろりと涙を流した。
「ど、どうしたんだ! ミレイユ!」
「アドリアン、私、私ね。ちょっとくらい、人生、生きてきたけど」
思わず駆け寄って抱きしめる。
彼女は涙声で続ける。
「こんなプレゼント、してもらったこと、なくて」
「そ、そうか。すまない。俺は何か、気に障ることを」
「……嬉しいから泣いてるの!」
パッと頭を上げたミレイユの顔は、もうとびきりに可愛らしくて、感謝と喜びでいっぱいで、俺は彼女に思わず口づけをした。
それ以上、言葉はいらなかった。
──来年だ。
来年には、すべてが挽回されて。
俺たちは、本当の意味で、幸せになれる。
次話から干ばつ・ざまぁ編入ります




