第04話 下賜の代償
あの女を退ければ、すべてがうまく行くと思った。輝かしい、なんの憂いもない人生が待っていると信じていた。
だが、まるで水車の歯車がかみ合わなくなって、軋み始めたかのようだった。
次代の王として地盤を固めようにも、諸侯たちがパーティーに参加してこないし、貢物もない。法案について官吏に尋ねても、意味がないほどの無難な返答か、誤魔化されて終わってしまう。そして、厳しく問い詰めてようやくもらった手紙にはすべて、『両陛下のご意思にも鑑みて』などと、枕詞のように書いてある。
仕方がなくなって、まさにその両陛下のうちの一人である、母上に相談に行った。
「……それはね、アドリアン。あなたがあのヴィヴィエンヌを無碍に扱って、辺境に嫁がせるなどしたからよ」
「どういうことですか」
「古来より王家に仕えてきたドルナク公爵の娘、しかも未来の王妃となるはずだった者ですら王子の気まぐれで辺境に嫁に出されるのに、なんの後ろ盾もなくあなたと話したいと思うかしら」
「気まぐれなどではっ! あれはちゃんとミレイユと計画して」
「臣下たちから見れば同じことよ」
「だが、あの女は悪女だった!」
「それについて語ることは、詮なき事です。あなたはすでにレーンヴァルド公に叙された王太子。陛下に次ぎ、母であり王妃である私よりも強い立場にいるでしょう。あの婚姻を自らの意思で覆したというのなら、相応の責任を取らねばならない」
母上は続けた。
「そして、あの聖女ミレイユを妃に選ぶことについてもね」
それは暗に、近頃のミレイユの妃教育についてのことを言っていた。
ミレイユはサンドレル領の伯爵家の娘。家柄としてはギリギリ妃に召し上げるに足りるが、やはり教育という面では、妃に足りるような知識や教養もまだ身に着けていない。
あくまで現時点での話だ。そういうのはおいおい身に着けていけばいい。
だが、ミレイユはどうにも、勉強が苦手らしかった。聞く話では、勉強会の時間を指定しても滅多に来ず、使用人たちの手を煩わせているらしい。
「あの子は妃になるためには犠牲を払わねばならないということを理解していない」
「ミレイユが言うには、どうにも教育係の意地が悪いと」
「まさか。あの程度を乗り越えられないようでは、とても外交の場など任せられません。そもそも物覚えが悪い、とか、気が弱いくらいなら私は何も言いません。妃というのは見本であればいい。無能で鈍感でも、心根が優しく、努力家であるから、人に愛される妃という在り方もある」
「それを言うなら、ミレイユは誰からも愛される女性でしょう」
「……どうかしらね」
母上は眉間に皺を寄せた。
「あの子の後ろ盾である、教会の動きが妙なの。あそこで何が起きているかについては、我々王族ですら踏み込めない。そして、何も証明も根拠もないけれど、彼らの動きが聖女ミレイユと無関係でないとは言い切れない」
そして最後に、俺を見つめて言った。
「アドリアン。あなたにあの娘を御すことができるの?」
◇◇◇
俺のベッドで寝転がりながら、ミレイユは猫撫で声でこう言ってきた。
「ねえアドリアン、次のご祈祷はいつなの?」
祈祷。豊穣の祈りのことだ。一年に数度行われる、リスヴァロン王国の行事。
ひと月前に、ミレイユが行った祈祷はたいそう評判が良かった。
豊穣の祈りは宮殿が執り行う一大行事だし、祭りも行われる。 その最高潮のときに、ミレイユの太陽の聖女の力で燦々と日光が降り注ぐ様は、素晴らしく映えたし、そのときの民衆の熱狂、一体感、そしてその中心で女神のように光を浴びるミレイユこそ、俺の愛したすべてのものだった。
ただ、ミレイユは祈祷を気に入ったのか、その後にも何度も何度も同じように儀式の舞台を整えることを頼んできた。
「今月はすでに三回行っているだろう?」
ミレイユが言うから、そのようにした。そのたびにまたちょっとした祭りを開き、民衆を集める必要があった。
正直に言えば、すでに観客は大幅に減っている。
「それじゃ足りないの!」
「そうかなぁ」
「私にはわかるの! 私のお日様で小麦ちゃんたちが喜んでるって!」
ミレイユはベッドの上に膝をついて、ぱあっと可愛らしく両手を広げた。
俺はそれで、またも思い出す。
──彼女には不思議な力がある。
それは、人の心を変える可能性。俺の想像力を大きく超えてくれるもの。
俺の妄想じゃない。ちゃんと証拠がある。
あの女を退けるにあたって最大の問題だった、ドルナク公の支持者どもについても、ミレイユがすべてなんとかしてくれたのだ。
これも偏に、彼女の人望と人格の賜物に他ならない。
その太陽のような笑顔に、俺は何度も救われた。
「わかったわかった。でもしばらくは無理だ。来月あたりには手配できるようにするから、それまで待ってくれ」
「むうぅ~~~、アドリアンのいじわるぅ~~~~」
彼女はあからさまに不満そうに頬を膨らます。
その顔すら可愛らしいと思うのは、恋人の贔屓目だろうか?
◇◇◇
次の日の夜のパーティーで、事件が起きた。
隣国クレロンヌ王国との定期交流会だ。王族で他に出るものがいなかったから、俺が進んで手を挙げて参加することにした。
そしてその最中、みな酒が回ってきたころに、ミレイユが甲高い声を上げた。それからパン、と音が聞こえた。
震えるミレイユに駆け寄って、抱きかかえる。
「どうしたミレイユ!」
「あの人が、あの人が、私を攫って、妻にしたいって」
彼女の視線の先にいるのは、クレロンヌ王国の大使──禿げ上がった頭に蓄えた髭、でっぷりと太った腹を持つ中年の男──だった。
頬に赤い痕がある。おそらくミレイユが打ったのだ。
──攫って、妻にしたい、と言ったか。
さすがに、幼いころから社交界にいればピンとくることだった。
それはクレロンヌ王国の言い回しだ。
おそらく「攫う」と言ってしまったのはむこうの辞書の問題だ。あちらでは妻は、相手方の家に出向いて「連れて帰る」ものとされるし、その上で家畜に使う語彙と人間に使う語彙を分けないところがあるから、クレロンヌ人がリスヴァロン語を話すとたまに違和感のある表現が出てくる。
妃教育の内容にはもちろん、外国語の教育と、各国の遣いとの会話の心得が含まれる。特に今日のような外交パーティーでは、来賓のリストアップがされ、特に社交界に入ったばかりの若い娘には、来賓の特性に応じた数多の注意事項が教示される。
……それを、ミレイユは抜けたのだったか。
いや、仕方ない。ああいう勉学が絡むものは煩雑だ。俺だってすべては覚えていられないから、正直に言えば誤魔化していることも多い。そういったことを事もなげにこなすのは──
そのとき、俺の脳裏にあの女の顔が浮かびかけた。
頭を振ってその影を振り払う。
「ミレイユ。大使は少し、言葉遣いが古いというかな。それはきっと、そういう意味じゃない。君に恋人がいなければ妻にしたいくらいの女性だ、と言っている」
「違うのアドリアン。そうじゃないの」
ミレイユは首を横に振る。目に涙を浮かべて言う。
「あの人、本当に、私をいやらしい目で見てきたの……」
彼女の真剣な眼差しを受けて、俺の心がぐらつく。
そして、母上の言葉も思い出す。
そうだ。
俺は、決めたのだ。
「……わかった」
何があっても、彼女を信じると。
「どういうことか説明願おうか、大使殿」
俺は両足を踏みしめて立ち、右手でミレイユを守った。




