第39話 侍女頭の結婚①
母様が言います。
「ほら、ロゼット、よくご覧なさいな」
もう何週間も見てきた光景ですが、あとひと踏ん張りということで、頑張ってくれた母への敬意も込めて、今一度気を引き締めました。
ランキエールの花嫁衣裳は、結婚式までの一月をかけて、花嫁の母親が一生懸命に縫って拵えるものです。
花嫁衣裳は、黒のロングドレスに、白のエプロン、そして頭飾りで構成されます。それぞれ式のたびに織り直され、新たに刺繍が施されるものでして、各家ごとにやり方もありました。
衣装は式当日まで完成してはなりません。式当日は最後の仕上げ、黒のドレスの胸元に、黄色い絹糸で家紋を施します。母様は私にその工程をしっかりと見せ、そしてそれを、婆様がうつらうつらしながら、けれど油断したらちくっと刺されるような視線で見つめています。
「ロゼット、あなたも娘が生まれたら、これを継ぐんですよ」
これは、母から娘に受け継がれ続ける、ランキエールの伝統でした。
刺繍が終わり、いよいよ着付けのときがきて、もちろん一人で着られるものでもないので、母様と婆様と、先に嫁入りした友達、近所の娘さんたちに手伝ってもらいます。私は大きいのでみんな台にのってえんやこら。
「動かないで。あなたにびくりと動かれたらみんな吹っ飛んでしまうんですから」
母様が厳に言いました。これは十年くらい前まで言われていたけれど、最近は言われなくなったことでした。
いつまでたっても、私は母様の娘、連綿と続いてきた一族の娘なのです。いざ結婚するとなると、そうしたことを痛感する機会が増えます。
一通り衣装を着つけてもらうと、最後の頭飾りの糊付けに移ります。これは母様が一人でやるものです。
「これでようやく、あなたもお嫁に行くのね」
いつも厳しかった母が、ちょっと感傷的に言いました。
私は長女でしたがもっとも行き遅れた娘だったので、そう言われると、心労をかけ続けた負い目やら、走馬灯のように駆け巡る思い出やらで、私も涙が出そうになります。
すべての準備が終わると、母様と婆様、そして近所の女衆全員が私を見て、うん、うん、と頷きました。
「……あの、母様」
「はあい?」
「その、童のようなことを、聞くのですが」
「どうしたのよ」
「これで、大丈夫、なのでしょうか。私その、きっと、さすがに、大きすぎるというか」
不安になって問うと、母様は、女衆と共にかっかと笑って、私の背中をばんと叩きます。
「なーにをおっしゃい。巨女を飾れぬ衣装がランキエールで残るはずがありますか! 胸を張っていってらっしゃい!」
「は、はい!」
そうして私は、実家から、式場に向けて歩き始めました。
花嫁も花婿も、式の前のあいさつ回りは二人で行うのですが、式の前日は会わず、当日の着付けは別々に行い、当日まで衣装は互いに絶対に見せない習わしです。お互い実家から式場まで徒歩で歩き、友人や家族に祝福されながら、母なる石の前で合流して、誓いの言葉を述べます。
家を出てすぐ、楽器隊が私を囃し立てるように音楽を奏でました。
祭りの楽器は主に二つ。手回し弦盤と風袋笛(王都ではバグパイプ、と言うそうです)です。人々は雑多に踊り、歌います。
友人や知り合い、お調子者たちは、
──おめでとー!
──お幸せにー!
という掛け声を飛ばしてきます。手を振って応えます。年配の方などは、ちょっと露骨な多産祈願なども。
私はもう、心臓が拍動し、高鳴るばかりで、頭の中がぐるぐるしますし、もうぐわんぐわん鳴っています。緊張が増しに増して、その前を通ることが珍しくない式場すらも、どこにあるかわからなくなっていました。
けれど、人が道を作ってくれているので、それは杞憂と言いますか。村全体が私の行方に立っているようです。
次第に母なる石が見えてきて、来賓もちゃんと式場に到着して列を為しており、旦那様と、坊ちゃん夫妻までいます。トリスタン様曰く、長年ランキエール家に務めてくれているのだから、領主一家も出るべきだろうとのことです。本当に来てくださいました。
そして、奥様がじっと私を見ます。奥様はわかるように口を動かして、
──綺麗よ、ロゼット。
と言ってくださいました。
弾けるように嬉しいです。奥様が言ってくださるならそうだと信じられます。
やがて私の向かい、真正面に、見知った男が、見知らぬ格好で歩いてきました。
カイルです。
こちらも、家の刺繍が施された伝統の黒のビロードのコートに、その下に、私が編んだ白シャツ(これも風習です。ランキエールでは花嫁が花婿に婚礼用のシャツを織ります)です。きちんと大きさは合っていたようです。
私の心臓はさらに跳ねます。一昨日まで新郎新婦として普通にあいさつ回りしていたのに、何が違うというのでしょうか。
カイルの顔は、凛々しいだとか、美丈夫だとか、そういうわけではないのです。優しく頼もしい顔だと思いますが、客観的には穏やかさとぶっきらぼうな感じの間です。乙女が夢見る格好良さも、きっと、ないです。
けれどもなんだか、体の線がすごく太いようで実は案外脚が長いのがわかったというか、戦士らしさ? いえ、戦士ではないのですが、こう、難しいです。
言うなれば、何か、すごく、私の夫然としているように見えたのです。
──ならば私は、妻然としているのでしょうか。
緊張は増しに増しに増します。きっと両手両足が同時に出ていて、私はカチコチしながら歩いています。
そうして私たちは、式場の中心にある母なる石の前に着きました。
間に立つのが、聖教の司祭と、土着の占い師が合流した精霊司祭。この方々が、ランキエールでの冠婚葬祭を取り仕切ります。
司祭様は継ぎ目なく儀式を始めます。
「『汝らが家とその愛が、古き石のごとく、揺るぎなからんことを──』」
カイルが右手を差し出してきます。私は彼の手の甲に、震えながら、左手の掌を重ねます。
手と手が触れました。背筋がぶるっと跳ねました。
司祭様は祝いの言葉を唱えながら、私たちの手をヤドリギの蔓で巻き付けていきます。
これは“結手の儀”。夫婦が堅い絆で結ばれるための、ランキエールの伝説に則った儀式です。
私の震えがカイルの手に伝わります。思わずカイルと目が合います。
彼は口を大きく動かして、
──落ち着け。おめぇはちゃんとやれてるよ。
と伝えてくれました。
司祭様が唱え終わり、カイルの方を見つめます。
「花婿よ。汝は、神と精霊と人々の前において、この娘と離れぬことを誓うか」
「誓います」
彼はあっさり答えました。
つ、次は、私の番です。
「花嫁よ。汝は、神と精霊と人々の前において、この男子と離れぬことを誓うか」
「ち……」
にわかに私は息を呑みました。
きっと、これ以上ないくらい、すごく幸せではあるのです。たくさんの人が祝福してくれています。待たせた人も、苦労をかけた人もたくさんいます。
それだけに、へまはできない、噛んではいけない、と過りました。
結ばれた手が強く握りしめられます。カイルはもう一回、
──落ち着け。大丈夫だから。
と言ってくれます。
しかし悪いことに、そのとき、規律で蓋され熟成された生娘根性と、奥様を守るために繰り返された戦闘の訓練が、度の過ぎた照れ隠しとして、最悪な発露をしたのです。
「誓いまっ!」
これは私の、悪癖です。
思わず私は左手を空に振り切り、カイルを思い切り投げてしまっていました。
そして今、私たちの手は固く結ばれています。
自ら空に投げたカイルに引っ張られ、祭壇の真上、私自身もぐわっと高く打ち上げられました。




