第36話 帰還
ドルナクには第二王子ソランとの縁談。
これは、現王太子アドリアンが失脚した場合に、ヴィヴィエンヌがまた次期王妃として返り咲くことを意味している。
ランキエールには第八王女マリネットとの縁談。
これは、辺境の一貴族であったランキエールが、血縁に王位継承権を取り込み、家格を上げ、王国の中枢へ入る可能性が開かれることを意味する。
本来、回答する権利があるのは、ドルナク公爵と、ランキエール侯爵の二人だけだ。
だが王妃殿下が視線を注ぐ先は、その両当主でもなく、今まで王権によってその身を振り回されてきた、ヴィヴィエンヌだった。
俺は彼女が何を語るのか、胸がざわついて仕方がなかった。
一見にはこの提案は断る余地などないように見える。ヴィヴィエンヌはかつて目指した王妃の座に舞い戻れるし、俺も、ランキエールの跡継ぎとしては、この機会を逃すことなどあり得ない。
しかし、それは俺の望みとはまったくもって異なるものだった。
ヴィヴィエンヌもそうであってくれるのか、そうでなくても、貴族の世界で生きてきた彼女にとって、そのような個々人の情などは取るに足らぬこととなってしまうのか。
そういう俺の不安を彼女は気取って、微笑み、俺にだけ聞こえるよう、
──あなたもまだまだね、トリスタン。
と囁いた。
彼女は満を持して、王妃殿下に向かって口を開く。
「うまい話には裏がある――これは、かつて私がアドリアン様の婚約者であった折に、他ならぬ王妃殿下より賜ったご指導でございます」
それから、次のように言い放った。
「失礼ながら、国王陛下のご容態は、いかがですか?」
王妃殿下は目を見開く。
「もしも本当に数年以内にアドリアン様が失脚するなら、それが一番穏便に済むでしょう。しかし問題は、万一国王陛下に何かがあって、アドリアン様が国王に就任したとき。あるいは、現王太子が教会勢力と共にあくまで地位を守り、国王陛下の意思も見えぬまま、ソラン殿下と対立したとき。たとえば戦が起きたりなどしたら──」
驚くのは、王妃殿下がかすかに笑ったようにすら見えたことだ。
それはまるで、期待通り、と言わんばかりに。
「──レーンヴァルド領の隣にあるドルナク領は、良い緩衝地帯になりますわね?」
もしも王太子派と、国王派が戦をするとなれば、王太子が公爵に叙せられるレーンヴァルド領七万の兵を相手取らねばならないことになる。それにあたって、地の利を抑えておくことは必須だ。
俺は父上と目を合わせる。
これは無論、ドルナク家だけの話ではない。
もしも王妃の手配によってランキエールが第八王女マリネットを迎えたのなら、その戦にあたって、ランキエールの戦士を国王派の一員として送り出すべき理屈が生まれてしまう。
王妃殿下は肩の力を抜き、ヴィヴィエンヌに答える。
「やはりあなたにはどう取り繕っても、無駄ですね」
「殿下のご指導の賜物ですわ」
「……これだけは誤解しないで。このような折衝を差し引いても、あなたという人材が欲しいのは本当よ。あなたになら、私の後を任せられると思っていますから」
「はい。この度の素晴らしい褒美をいただけるというご高配は、恐悦至極に存じますわ。ドルナクにもランキエールにも、悪い話ではありませんから」
ヴィヴィエンヌはちらりと横目で俺を見てくる。
つまり、王妃殿下の提案とはこうだ。
──今後王太子派と対決する中で、病床に伏している国王陛下と心中してくれないか。
褒美自体はそれに足るものだ。賭けに勝ったときの報酬は莫大ですらある。
だが、少し目論見が外れるだけで血が流れることは必至。
あと一歩で俺たちは、泥沼の王位継承争いに巻き込まれるところだった。
「けれど、今、陛下のご容態は安定しておりますから、心配には及びませんよ」
「安心いたしました。国王陛下も王太子殿下のお二方がご壮健であらせられることが、臣下として至上の喜びにございます」
王妃殿下とヴィヴィエンヌは双方白々しく言い合う。
ドルナク夫妻は満足そうに笑いあっている。そして、俺と父上は感服するばかりだった。
それから王妃殿下は、静かにこう言った。
「では、ご両家の望みを。こちらが礼を失した手前、多少は吹っ掛けてもらっても、構いません」
これに答えるのもまた、本来はドルナク公爵とランキエール侯爵の二名である。
しかし父上はヴィヴィエンヌの方を見て、
「ランキエールは息子の嫁に、財布を握られておりましてな」
と、苦笑いをして返した。
ヴィヴィエンヌは照れくさそうにして、しかし毅然とした態度で言う。
「ならばランキエールに、恒久的な通商の勅許状を。そして船員付きの船を三隻」
それにドルナク公爵も続く。
「ドルナクは、港湾使用の優遇措置を」
つまり、ドルナクとランキエールが連携しての、内陸から王都まで、及び他国との交易路の確保である。
交易の権利は他貴族との関係の調整も必須であるため、王権を用いなければ取得が難しく、また、ある意味での王権の切り売りですらある。
「なかなか、骨が折れることですね」
「吹っ掛けて良い、と言ってくださったので」
王妃殿下は苦笑いをし、ヴィヴィエンヌは悪戯っぽく答える。
「それに、王妃殿下のお考えに、もとるものではないかと存じます」
「……いいでしょう。それらをもって、愚息の無礼の謝罪、及び、此度の王太子結婚式の襲撃事件の褒賞とします」
そういうことに、なったのだった。
会談が終わった去り際に、王妃殿下はふと、思い出したかのように訪ねてきた。
「ヴィヴィエンヌ。襲撃の折に、何か心当たりがあったらでよいのですが」
「はい、何にございましょう」
「聖女ミレイユの首飾りの行方を、知りませんか? 重要なものらしいのですが、あの子がそれを失くしたらしく、日々憔悴しています。どうも聞いた話、このままでは教会による調査が始まる勢いだそうです」
……それは、あれだ。
ヴィヴィエンヌがこっそり式の最中に聖女から盗んだ、あの十字架のことだ。
そして王妃殿下はどうみても、ヴィヴィエンヌが何かしたとあたりをつけている。
調査が始まるとなれば少し、まずいかと思ったが、ヴィヴィエンヌはあくまで冷静に答えた。
「恐れ多くも、王妃殿下。たとえば王宮の前庭の関係者を探してみれば……庭師などが、式の直後に拾った、などと言ってくれるかもしれません」
「式の直後、ですか」
「はい。そうであれば幸いです。聖女様の大切なお持物が賊に触れられたなどは、考えたくもございませんし」
「……わかりました。そのように探してみることにしましょう」
それを本当に最後に、嵐の如く、王妃殿下はドルナクを後にした。
***
王妃殿下に続き、俺たちもその日のうちにドルナクを発つことになった。
どうも、ドルナク家の面々がお見送りをしてくれるそうなので、俺たちはしばしの間、屋敷の前庭で元来た馬車を出しつつ、待つことになった。
「君は本当に、凄いな」
その最中に、今日の会談のヴィヴィエンヌを思い出して、俺は素直にそう言った。
「……いえ、あの程度で王妃殿下をやり込められたとするのは早計です」
「そういうものか」
「そもそも殿下は、あの断罪劇に静観を決め込んだ御方です。腹の底ではまだ、何を考えているかはわかったものじゃない。今はたまたま、敵対まではしていないだけ」
話しているうちにランキエールの馬車が揃う。あとは乗り込んで、ただ帰るだけだ。
そして屋敷から、ドルナク家と使用人が勢ぞろいでやってきた。
ただの見送りにしては、やけに恭しいというか、大げさなようにすら思える。
「それよりトリスタン。あなたも大概にぶちんね。あの会談の意味、ちゃんとわかってますの?」
「意味?」
ドルナク夫妻が、俺と父上の前に立ち、深く頭を下げた。
「ヴィヴィエンヌを、よろしくお願いします」
俺は反射的に父上の方を見た。
「……ドルナク夫妻とは、まあ、王都にいる間にも、ずっと親同士で話していてな」
頭をがしがしとかきながら、父上は続ける。
「話がどう転がるにせよ、仲睦まじい夫婦を引き裂くのは心が痛い、ということにはなっていた」
そうだ。
あの会談では、夫婦関係を解消しても問題ない、と言われただけに過ぎない。そして代案の縁談は覆され、ドルナクとランキエールは組んで交易路を確保することに相成った。これからはヴィヴィエンヌ主導でランキエールの産業は発展し、物資をドルナクが港で受け取る、あるいは外国へ輸出をすることになるだろう。
ならば俺たちの結婚に、なんら不都合はないことになる。
ヴィヴィエンヌの方に振り向く。彼女は笑顔で頷いてくれる。
俺は父上と共に、
「ご息女は、必ずや私が、生涯をかけてお守りいたします」
と、深く深く、頭を下げた。
帰りの馬車では気が抜けるやら落ち着かないやらで、なんだか足元が覚束なかった。
俺もヴィヴィエンヌもずっと、今更の気まずさと、婚姻が決着した安心で、どうにもぎくしゃくしてしまう。けれども次第に慣れて、ヴィヴィエンヌも、彼女にしては珍しく、ぴんと張った背筋を緩めて、途中からうとうととし始めた。
「私たち、これでもう、ずっと夫婦ですわね」
彼女はそう呟いて、そっと、俺の肩に頭を乗せた。




