第35話 王妃の訪問
襲撃事件の調査はつつがなく進んだ。ドルナク家とランキエール家への聞き取りも終わり、俺たちには一切の瑕疵がないと判断された。
最終的には反王太子過激派を構成した貴族と、これを機に王権を打倒しようとした共和派が炙り出され、事件は一件落着と相成った。王太子たちからすれば、あとは裁判の結果を待つのみである。
冬がもうすぐそばまで来ている。俺たちランキエールも結婚式への出席という義務を終えた今、冬ごもりの準備をせねばならない。それで婚礼の儀の残りの行事は置いて、領地へ帰ることとなった。
しかし、まだ終わっていないことが一つ残っていた。
王妃殿下との会談である。
ランキエールに帰る前にドルナク領へ寄っていたところで、改めて、そのような使者が来た。曰く、王妃殿下は御自らドルナクの屋敷に出向くつもりのようだ。
式の前、殿下は俺とヴィヴィエンヌに、結婚式に来てほしいと記した。そして襲撃事件によってドルナク家の状況は大きく変わった。
殿下が何を語るか、一同は固唾を吞み、それが両家にとって良いものであれと願うばかりだ。
ただ、俺はまったく、両家の利益も、ヴィヴィエンヌ本人の気持ちすら置いて、身勝手な不安の中にあった。
──彼女との婚姻関係が、なかったことになるのではないか。
そもそも王妃殿下に指名されての直々のご訪問であるからには、王太子アドリアンによって強制された俺たちの結婚について言及される可能性は極めて高い。
予想されていたとはいえ、恐れていたことが、いよいよ現実味を帯びてきていた。
◆◆◆
ドルナクの屋敷の二階の大広間は会談用に、あらゆる手段で外部からの盗聴・干渉を許さないよう整えられた。
王妃殿下が乗った馬車は、それなりに豪奢であったものの、表立って王太子派には知らせない訪問ということで、あくまで最低限の兵のみを連れた質素なものに留まり、俺たちも貴人を出迎えるにはまるで足りないほど内密かつ地味に、殿下を秘密の会場へと迎えることとなった。
しかしそれでも、国を背負う御方の纏う雰囲気は、生き馬の目を抜く世界を生きて来た貴族たちの世界の中にあって余りある。
殿下の御容貌は、流した艶やかな黒髪に、王都なら男に負けぬほどの高い身長に、すっと伸びた背筋。これは結婚式でお見掛けしたときと変わらないものの、雰囲気がまるで違う。王族が会談に参加する姿というものを初めて見たが、一見穏やかでいるようで、まるで相対した者のすべてが自身を害するはずがないと確信し、腹の底では万民を睥睨せんとするほどの余裕が、威圧感となってにじみ出ている。
一目見たときに圧倒されるなど、人生で二回目だ。
そう、王妃殿下の雰囲気は、ヴィヴィエンヌにどこか似ていた。
会談は最初に、殿下が御自ら、
「まず、ドルナク公爵とランキエール侯爵の両家、そしてヴィヴィエンヌ殿とトリスタン殿の両名に、言わねばならないことがあります」
と切り出すことで始まった。
「この度の愚息による身勝手な婚約の破棄と、婚姻の強制に謝罪します。 そして、それにもかかわらず私たち王族の命を守護してくれたこと、感謝のしようもありません」
そう言って、なんと、王妃殿下は頭を下げた。
王族の、それも国王陛下の代弁者でもある王妃がそうすることの意味を知らぬものは、王国民にはいない。
そして殿下は王太子を愚息とまで言った。
これは、王太子の勅命によって害を被った両家への、王家からの正式な贖いですらある。
俺たちは、父上やドルナク公爵も含め、制止することすら間に合わなかった。
「アドリアンが正式に結婚をした今、婚約の破棄について撤回は叶いません。しかし風向きは完全に変わりました。あなたたちについて、もう王太子派は強硬に出られない。王家としても、ドルナク家の名誉の回復に努める所存です。また、ランキエール家にも相応の恩賞を。これはアドリアンの意思にかかわらず、王家直参の剣貴族と同等のものを与えます」
殿下は一息に言って、大テーブルの中央に二枚の犢皮紙──仔牛の皮で作られた最上級の皮紙である──を広げた。
「これは国王陛下のご意思でもあります」
その下部には両方とも、国王陛下の印が捺してある。
これは国王による白紙勅書だ。
この犢皮紙に要求を書けば、それが直ちに国王陛下の勅命となって実行される。
大テーブルにつく誰もが、殿下が今日、どういう構えでやってきたのかを知った。
望外の報酬が提示される中、ようやく口を開くことができたのは、ドルナク公爵だった。
「殿下。お心遣い、恐悦至極に存じます。しかしながら我らはあくまで臣下。陛下のご署名に、貴族の矮小な夢を書き連ねるなど、忠節の道に反すると心得ております」
これはつまり、王妃側が用意しているであろう報酬と、今日の本題を話せということだ。
王妃殿下は頷いて、いよいよ、本題に入った。
「まずは両家に。国王の名の下に、王太子アドリアンによる婚姻の勅命は無効とします。以後、ヴィヴィエンヌ殿とトリスタン殿の婚姻が解消されても、両家に何一つ不利益がないよう、取り計らうことを約束しましょう」
──やはり、そういうことに、なるか。
俺が恐れていたことは現実になった。
そしてこれはきっと、より大きな報酬のための前提条件だ。
「代わりにヴィヴィエンヌ殿には、第二王子ソランとの縁談を」
そう言った王妃殿下に、ヴィヴィエンヌは毅然と尋ねた。
「しかしながら王妃殿下。私はアドリアン様の不興を招いた身です。そうなっては、この国の王太子と第二王子が対立することにもなりかねません」
「……あなたには、変に取り繕っても無駄ですね」
殿下はくだけた口調に直し、
「遠くない未来、王太子夫婦は破綻するでしょう」
と言いきった。
先ほどから零される王太子夫婦への辛辣さに、我々の方がたじろくくらいだ。
「私は国母として、そのときのために、あなたをまた、次代の妃として迎え入れたいと考えています」
「……殿下は昔から、私を買ってくださっておりましたね」
「ええ。もともと、あるいはこうするつもりでしたが、結婚式でのあなたの立ち回りと、ドルナクとランキエールの連携を見て、私も考えを固めました。ヴィヴィエンヌ。王家はあなたという人材を、欲しています」
王妃殿下はドルナク公爵の方を向く。
「アドリアンが失脚するまで、ヴィヴィエンヌにはソランの婚約者という形でいてもらおうと考えています。幸い、この子はまだ若い。若すぎるくらいです。これからの数年を待つのが、むしろ丁度良いくらいでしょう」
「……お話は、承知いたしました。しかしながら、現王太子殿下が失脚するなどという前提は、臣下としてあまりに受け入れがたく存じます」
「無論、そうならなかったときも含め、五年以内にはソランとの婚姻を結ぶものとします。それだけで終えるつもりもありません。ヴィクトール殿の縁談も婚約破棄に巻き込まれて消えたと聞いていますし、その再婚約の手配と、王族の命を守った褒賞の新たな領地も与えるつもりです」
ううむ、とドルナク公爵は閉口する。
まだ交渉が始まってもいないのにこの至れり尽くせりの条件。そして王妃殿下は、礼のためならこれ以上の譲歩も辞さない構えに見える。
殿下は次に、父上と俺の方を向いた。
「そして、王家はランキエール家とも、是非に、血縁による繋がりを持ちたいと考えています」
父上と俺は息を呑んだ。
「第八王女のマリネットが、トリスタン殿を気に入ったそうです。襲撃の折に、助けられたと」
言われてみれば、覚えがある。あの青みががった銀髪の娘だ。
だがそれよりも、そのマリネットとの婚姻となれば、公爵家との婚姻を超える意味合いが出てきてしまう。
継承権が一桁の王女を、くれる。
辺境の一貴族の視点からすればそれは望外どころではない。悲願すら超えている。
身内に、高位の王位継承権を持つ者を抱えられるかもしれないのだ。
「トリスタン殿」
王妃殿下が俺に呼びかける。
「もともとマリネットの嫁ぎ先は探していましたし、ヴィヴィエンヌのときのような、王権が強いた結婚であるとは考えなくて良いです。彼女は望んであなたに嫁ぎたいと言っています」
「……左様、ですか」
「ランキエールの殿方は紳士であると、私は知っています。あなたさえ良ければこれは、誰もが望む結婚になるでしょう」
もし可能であるならば、あまりにも、あまりにも破格と言っていい条件。
ドルナクにもランキエールにも、大筋で断る理由はない。
「いかがでしょうか、みなさん」
王妃殿下はたった一人で余裕たっぷりに、俺たち全員に問いかけた。




