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第33話 王都の夜④

 嵌まった十字架は静かに瞬き、カチャ、と音を立て、扉にかかっていた圧力が一気に解放される。警戒してしばらく待ってみれど、何かしらの装置が作動したようには見えない。


 ヴィヴィエンヌは白々しく目を丸くした。


「あらま、私としたことが大胆な」

「……肝が冷えたぞ」

「だって、あなたがどうにかしてくれるんでしょう?」


 そう言われると、弱い。


 しかしもちろん時間があるわけではないから、急いで突入することにする。

 掌で押してみると、扉はゆっくりと動いて開いた。


 中にあったのは、広くも狭くもない、天井の高い空間だった。

 本来真っ暗なはずだが、金色の器が反射してチラつく。聖教の神器だろう。壁肌が天然の岩なのに、中に敷かれた神器がことごとく豪奢なものであるのは、これまた違和感がある。


 何かの倉庫かとも思ったが、違う。それには整い過ぎている。だが椅子などはなく、地べたに螺旋の刺繍が施された皿のようなものが敷かれてある。


 俺にはそれが何かまったくわからなかったが、ヴィヴィエンヌの方は頷いていた。


「礼拝堂……なるほど、地下礼拝堂ですか。おそらく聖教成立以前のものですわね」

「どういうことだ?」

「聖教は元々地下で育まれたうそっぱちオカルト儀式が元ですから。大聖堂の地下に原初の礼拝堂が秘匿されているのは納得がいきます」

「うそっぱちって……」


 彼女は俺の背中から降り、神器に触れぬように奥に進んだ。

 その奥の方には、一つの大きな家具のようなものが横たえられていた。


「トリスタン。こっちに来て」

「どうした」

「これはベッドよ。見て驚かないで」


 ()()が目に入った途端、息を呑んだ。

 最初は生きているのかとすら思ったが、()()は蝋のような何かで象られた女の像だった。眠っているかのようにベッドに横たえられている。


 女神の如き金の髪。ただの像とわかってなお、気持ちの悪いくらいの生命力というか、人間の情欲を煽るような瑞々しい美しさがある。そして流線形の柔肌はほとんど露出していて、ただ、大判のストールだけを一枚、羽織っていた。


 この蠱惑と、装いには、俺にも覚えがある。


「これは先代の……おそらくは初代の光の聖女でしょうね」

「聖女ミレイユに転生する、遥か昔の姿ということか?」

「そうでしょう。この女の身元がわかれば、話は一気に──」


 ヴィヴィエンヌが指さしながら手早くその像を探る中で、ふと、止まった箇所があった。


 紋章だ。

 それは、互い違いに生える木の枝の上に、デフォルメされた心臓(ハート)の形が刻印されていた。俺が知っている形とは少し違うが、これは絶草(シルフィウム)と呼ばれる薬草を模したものだ。


 絶草(シルフィウム)の薬効は確か、催淫と堕胎。


 その非常に強い効能ゆえに、かつて採りつくされ地上から姿を消した伝説の薬草。


「……ふふふっ」


 突然ヴィヴィエンヌは、声を立てないようにしながら静かに笑い出した。


「あー、なるほどね。そりゃあ、負けますわ」


 そう言ってもなお、くっ、くっ、くっと腹を抱えている。

 その顔は妙なくらい晴れやかで、俺は彼女がひとしきり笑い終わるまで待たねばならないほどだった。


 ようやく笑いが収まると、ヴィヴィエンヌは自分たちが危険な場所に潜入していたことを思い出したかのように、スンと立ち上がった。


「帰りましょうトリスタン。この大枠がわかれば、あとはドルナクの諜報力で詳細を詰められます」

「その大枠というのが何か、聞いていいか?」


 彼女は大人しく俺に負ぶわれ直して、話したくて仕方がないというふうに、俺の耳に囁いた。


「それはね──」



◆◆◆



 通路を引き返して鍾乳洞の大広間の方に行くと、計五名ほどの男たちがいて、俺たちが元来た道の方の通路を行き来している者とやり取りしていた。


 脱出の算段を立てる。

 敵は五人だが、蝋燭の明かりは壁際に置かれた三本のみ。


「トリスタン。あの情報があるなら些事は気にしなくていいわ。顔さえ見られなければ、多少派手でも全員倒してしまって──」

「もしかすると、その必要はないかもしれんな」


 ここは鍾乳洞。どこかでは常に水が滴っている。


 ぴちょん、ぴちょんと水の落ちる音がしている。リズムを掴み、指を濡らし、壁際の蝋燭のうち二本の先に向かって手をピッと振る。


 すると、二本の蝋燭がジュッと音を立てて消えた。


「あ」


 蝋燭の炎が消え、男たちの中から間抜けな声が発せられる。

 明るかったところから急に暗くなった数秒が勝負。


 俺は水滴の落ちる音と同時にわずかにだけ足音を立て、ぴちょん、ぴちょん、ぴちょんの三歩で、一気に上階へ繋がる通路に入った。


 そこから先は、正直、賭けだった。

 地上に警備がいないか? 扉があるのなら、鍵はどうなのか? 来るときに追ったジャン神父とシトという女に鉢合わせやしないか。


 ただ、一つだけ勝算があるとすれば、この鍾乳洞の存在を知っている人間が、おそらくこの教会にも十数名もいないだろうということだ。秘密の通路の一つが破壊されたにしては動員が少なすぎる。


 今日幾度も繰り返したこの綱渡りだが、ヴィヴィエンヌは大人しく負ぶわれたまま、むしろ、このスリルを楽しんでいるようですらある。


 通路の先は開いていた。

 出て見えたのは、大きな大きな十字架。信じられないほど高い半球状の天井。周囲には長椅子。


 ここは聖堂のど真ん中だ。

 振り返ると、俺たちが出てきたのは、第十七小聖堂の入り口と同じく、ズレた祭壇だった。


 明かりはついていない。ステンドグラスを貫通する月明かりのみだ。


 ヴィヴィエンヌは一通り見回して言う。


「やっぱり、第五聖堂で間違いなかったみたいね」

「急ごう。案内を頼む」


 さすがに正面玄関は鍵がかかっているだろうし、周囲には警備がいる。外から人が足を擦る音がした。常駐の修道士だろうか。中に入ってこないのは、隠し通路の存在が彼にも秘匿されているためか。


 俺が周囲を見る間にヴィヴィエンヌは頭を回し、さっと左の側廊の一番後ろにある木扉──大きな柱に張り付いているようだ──を指さした。


「鐘楼を上ります。あそこなら、メンテナンス用に屋根へ出る扉があるはず」


 俺はすかさずその方向に走る。慎重に木扉を開ける。

 柱の中にあったのは螺旋階段。上へ上へ行く。


 急にぐるぐる駆け上がるものだから、目が回りそうになって、けれど最後には、彼女が言った通りに扉があった。

 鍵は内側からかける簡易なものだ。折れた直方体の鉤をくるりと回して押せばすぐ開く。


 その途端、冷たい風が当たる。

 俺たちが出たのは鐘楼のど真ん中。四つの柱が鐘を吊るす三角屋根を支えている、その中心だ。

 そしてここから見えるのは、教会の最上段からの静かな夜景。城壁に囲まれた王都が、真夜中なのに炊事の煙と明かりをまばらに散らしている。


 ──鐘からの景色とは、こうなっているものなのか。


 外に出られたとはいえこの高さではとても飛び降りれない。かとって掴まりながら降りれる取っ手も場所もない。


「さあ、跳んで!」


 だが、ヴィヴィエンヌは無茶を言った。


「仰せの通りに!」


 俺はその無茶に答えた。


 柱に手をかけ、反動を使い、最も近くにあったけれど、いつもならとても届かない木の方に思いっきり跳ぶ。


 俺とヴィヴィエンヌは、思わず空中で一緒に笑った。

 教会の警備は遥か下に、耳が夜の冷たい空気を鋭く切り裂く。


 半ばぶつかるように木の枝を掴んだ。枝はしなり、折れ、跳躍の力を吸収してくれる。それから靴のかかとを木の窪みに引っ掛け、減速しつづけ、なんとか地面に降り立った。

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