第32話 王都の夜③
俺たちは敢えて隠れ、隠し通路への突入を待った。
ここはあくまで王都の外壁の中。かつては日曜に礼拝が行われた場所。すぐにたくさんの野次馬が集まってくる。
──うお! 倒れてる!
──危ねえから女子供は下がってな!
──俺、憲兵呼んでくる。
などなど、最初に来た五名ほどが呼び水になって、瞬く間に十人、十五人と人が集まり始める。
そのうちに壊れた祭壇の下の空間が見つかって、誰かが、
──なんだあれ! 洞窟!?
と叫んだ。
そこから先はあれよあれよだ。憲兵の到着を待たず、人々は好き勝手に隠し通路に入り始め、灯りを持ってくる者も現れた。
そして初めて俺たちは、人混みと夜の闇に紛れ、隠し通路に突入した。
存外に広い通路だった。家の天井などよりは高く、人が十人ほど同時に通れるくらいの幅がある。何よりも特筆すべきはその長さ。野次馬が出した光が奥まで届いておらず、どこまでも道が続いている。
その道を、ヴィヴィエンヌを背負って駆けていく。
「あーあ、こんなに無茶苦茶にしてしまって、お父様に怒られますわ」
「そうなのか? 痕跡は消せるし、話が早いと思ったのだが」
「野蛮すぎます。この通路も使えなくなりますし、なんにせよ教会は組織の警戒を強めねばならなくなりますから──」
背中の上で彼女はぶうたれる。
「──是非とも、見るものを見ていきませんとね!」
だけれど、その声色が上ずっているのを隠せていない。
後ろの置いた光が遠くなったころに、前方でも人の動きが見えた。こちらの明かりはごく最小限だ。
逃げ場がない。
だから俺は、跳び、天井と壁の間で両手両足を押し、上にしがみついた。
ヴィヴィエンヌと共に声を殺し、人が通り過ぎるのを待った上で、彼らの服装をよく観察する。
通り過ぎたのは二人の男。一人はただのリネンのシャツにひざ丈のキュロット。一切の所属を示さない、庶民の服だ。ただ、もう一人が教会の騎士団の礼服を着ていた。やはりここは教会関係者の通路で間違いないらしい。
しばらく待って、十分に離れたころに地面に降りる。そして、足音を立てないように駆ける。
「……やっぱりあなた、化け物じみてるわね」
「ん? どういうことだ」
「天井にしがみつくなんて聞いたことありませんわ」
「俺はランキエールの皆ほど体が重くないからなぁ」
そう答えると、何が面白かったのか、ヴィヴィエンヌはくすくすと笑う。
その後も通路には何人か断続的に人が通った。皆、小聖堂の崩落の対応をするために出動したようだ。
彼らが入ってくるたびに見える光も徐々に強くなっていった。通路が伸びているのは南東の方角。もうとっくに王都の外壁の外に来ているだろう。
「トリスタン、今どのくらいに来たかわかります?」
「半里ほどだな。通路も下りながらほぼまっすぐ南西側に伸びている。王都の南側だろう」
「……なら、教会施設は第五聖堂だけですわね」
さあいよいよ出口、教会の連中からすれば入口につく。見えた先は少し傾斜になって上がっており、扉はなさそうだ。
耳を澄ませる。しばらく人は来ないだろう。
一気に加速し、一思いに突入する。
人の気配だけ敏感になり、無心になって道を行く。曲がるに三度。開けたところに出た瞬間、一番手近な障害物の影に隠れた。
それからようやく、周囲を確認する。
「……何、ここ」
ヴィヴィエンヌは呟く。
見えたのは、たった数本の蝋燭の薄明りに照らされる岩々である。岩は白くて艶があり、もはや超自然的に丸みを帯び、垂れさえして、どこかでぴちゃぴちゃと水が滴っている音が聞こえる。
俺たちが来たのは、鍾乳洞の大広間だった。
「ヴィヴィエンヌ。聖堂にこんな場所があるのか?」
「まさか。聞いたことありませんわ。でも……」
彼女は鍾乳石の壁肌を指さす。
見ると、そこには粗い無数の十字が刻まれていた。その十字はおびただしいほど壁全体に広がっていて、複数の人の手によって彫られたものに見える。
しかし模様、と言うには不規則すぎるし、芸術のそれという気もしない。感情を込めて乱雑に彫った、という印象が一番近い。
言うなれば、怨嗟が籠ったような、無数の十字だ。
「不気味だな」
「ええ」
周囲を確認すると、この鍾乳洞周りには九本の通路があるようだった。
上向きの、おそらく地上階へ向かう二本の通路に、水平に広がる六本の通路。そしてより深く潜るほうの、一本の通路。
地上階への二本は、奥の方から慌ただしい音がする。その他は無音だ。
先に六本の通路を確認するため、洞の中心でコン、と音を響かせる。
「水平な方の通路は音が返ってこないな」
「ただの道ということかしら?」
「おそらく」
「となると、第一聖堂から第四聖堂、大聖堂まで……いや、一つ足りませんわね」
ヴィヴィエンヌは俺の肩に肘を置き、親指を顎に当てて考えている。
「より地下へ行く方はどうですの?」
「そちらは音が返ってきている。扉があるのだろう。行くか?」
「……どうしましょう」
そのとき、上階から足音が聞こえてきた。ヴィヴィエンヌと目を見合わせると、彼女は目を額ごとくいっと動かした。
俺たちは追い立てられるように下の道へ入る。
幸い足音は後ろを通り過ぎた。俺たちが元来た通路の方へ行ったようだ。
道の先にはあまり距離があったわけではなかったが、その洞窟の道の不気味さは、大広間をゆうに超えるものだった。
蝋燭の明かりはなく、ただ壁に刻まれた十字架の密度が上がっていく。
十字架そのものの神性さ、そしてここが教会であるという前提が、怨嗟のような不気味さを纏ったとき、呪いになるのだと知った。
果たして見えた扉は、鍾乳洞と同じく石で作られ、うねった金の装飾の中で、奇妙な神性を放っていた。
軽く押してみるが、まったく動く気配がない。相当な重さで厳重に閉じられている。
鍵穴はないが、それらしきものが一つ。
扉の中央に、十字架が嵌まるようなく窪みがある。
「これは、入れそうにないが……」
そう呟いたとき、ヴィヴィエンヌがぴんと来た顔をして、懐から何かを取り出して俺の目の前に掲げる。
「どうしたんだ、これは」
「結婚式で聖女ミレイユから失敬してきましたの」
「まさか、あの襲撃の最中にか?」
「ええ。彼女、これを大事に持ち続けていたから、盗れたら盗ってやろうとずっと思っていまして、折良く」
「……君は本当に抜け目ないなぁ」
それは、ちょうどこの窪みに嵌まりそうな大きさの、十字架の首飾りだった。
これを嵌めれば、開くのか?
安直にそうするのは危険な気がした。もしも何かの仕掛けが起動して捕えられればもう言い逃れができない。
「どうしようか、ヴィヴィエ──」
「えい」
しかし、ヴィヴィエンヌはあっさりと俺の肩口から手を伸ばし、扉に十字架を嵌めてしまった。




