第31話 王都の夜②
「トリスタン! 三つめの通りを左! あとは直進!」
「省略していいか!?」
「大丈夫! でも距離は保って!」
石畳を足で叩くと、ふっと体が上昇して、屋根に飛び乗る。
向こうに外套を羽織って馬に乗っている女が見えた。背格好もあのシトと名乗った女で間違いない。
それから跳ぶに三歩、 背中のヴィヴィエンヌが「緩めて!」という声が来る。指示通り魔力紋の有効範囲ギリギリに努めて距離を保ちつつ、その女を追跡する。
「ヴィクトール殿の方は?」
橙色の屋根の上を走りながら問う。
「外れね。気取られてはいないみたいだけれど」
「なら、こちらだけか」
一週間前、ドルナク領の屋敷で交わした会議の議題は、もう一つあった。
結婚式の襲撃について話し終わったあとに、ヴィヴィエンヌがこう切り出したのだ。
──教会と、聖女ミレイユの正体について、何かわかっていることはありますか?
彼女の問いに、円テーブルに座ったドルナクの陣営が静まり返る。
その質問は言い換えるなら、先の断罪劇において、ヴィヴィエンヌとドルナク家が出し抜かれたその根本原因を問うているからだ。
「それについては、ある程度までしか調べがついていない」
ドルナク公爵が苦々しい顔でそう答え、続ける。
「王太子派についた高位貴族の共通点は、歴史でも派閥でもなく、若い当主あるいは跡継ぎがいることだった」
「つまり王太子派は、若い男を篭絡していたということですか?」
「ああ。手口の調べはついている。魅了の魔法と薬術を駆使した美人局だ。弱みを握ることもあれば、心を奪って洗脳することもある。実行部隊の出所は不明だが、状況からすれば聖女ミレイユを長とした教会の隠密部隊と見るべきだろう」
俺は傍からそれを聞いていて、そこまでわかっているのなら、と思ってしまった。
「……だが、それ以上が何もわからんのだ。手腕にしても、何もかもが手慣れすぎている。いつ、どの貴族の子息が狙われるのかまったくもって予想できない」
しかしドルナク公爵は無力感を隠さずそう答える。
「『手慣れている』のですか? ただの伯爵令嬢であったミレイユ=サンドレルが聖女として覚醒してから台頭するまで、そう何年もなかったはずですが」
「それこそがまさに大問題なのだ。ただの娘が我々の目を搔い潜った上で、その全貌を隠したまま、王都で一派を形成するほどの飛躍を遂げるなど考えられん」
その言いざまには、ドルナク公爵をもってしても無力感すら漂っていた。
公爵の言葉を引き継いだのは、ヴィクトール殿だった。
「たぶん、聖女の転生の歴史に紐付いたものがずっと受け継がれてきたんだと思う。それが何かわからない限り、僕たちにも手の打ちようがない」
「……転生、ですか。その言い伝えは有名ですが」
その言葉が議題に上がったことで、ヴィヴィエンヌは眉間に皺を寄せた。
「ヴィクトール。それは真に受けるべき話なのですか?」
「ある程度は。王宮と教会の資料からそういうアプローチもしてみたんだけど、特に教会には隠された情報がわんさかある」
聖女とは代々、転生を繰り返してその魂を磨いていく存在とされる。
その言い伝えが事実であり、あまつさえ現実に影響を及ぼすとなれば、俺たちは根本的に立ち向かう敵を捉え直さねばならない。
つまり、敵は単なる陰謀ではなく、王国と聖女の歴史に紐付いた、何かだということになる。
ただ俺は逆に、むしろ納得することがあった。
あのヴィヴィエンヌを打ち負かし得る存在というのなら、そのくらい大層でなければ嘘だとすら思うからだ。
そしてそう考えたのは、ヴィヴィエンヌも同じようだった。
彼女はしばらく考えたのちに、 俺を一瞥して、目をキラッと輝かせた。
「ねえお父様。式の襲撃をうまくいなせたら、王太子殿下からすれば、私たちって目障り極まりない存在になりますわよね?」
「まあ、そういうことになろうな」
「聖女ミレイユも、私たちがさぞ邪魔に感じるでしょう。それこそ、なりふり構わずその美人局を使い、ドルナクとランキエール家の中で最も若い、最重要の男を狙ってくるくらいには」
「……なるほど」
ヴィヴィエンヌの誘導で皆の視線が集まった先は、俺。
かくして俺は、教会勢力による美人局をおびき寄せ、逆に調査をするための囮となったのである。
……その囮の後は、たった二人の調査部隊の脚となっているのだが。
ヴィヴィエンヌが地図の上で予想した通り、シトと名乗ったその女は、馬に乗って東南東の方角に向かっていた。
聖堂が近づくと女は途中で馬を乗り捨てた。俺の側も辿れる屋根が終わったこともあり、少し離れて遠回りをしたあと、木の影に隠れながら様子を伺うことにする。
小聖堂の周辺は、外壁が近いということもあって人が住んでおらず、放置された小さな林のようになっていた。歴史のある建物らしく大木も近くにあるが、何本かはすでに枯れ、枯葉すらついていないものもある。
その女が小聖堂に近づいたころ、俺たちと反対側の木陰から一人の男が合流してきた。
外套をまとっている。だが俺はその男の体格と、ちらりと見えた髪色に見覚えがあった。
「……あれは、神父か」
「わかりますの?」
背中のヴィヴィエンヌが聞いてくる。
「結婚式の左の最前列にいたかもしれん。あの中では、えー」
記憶を辿る。ヴィヴィエンヌが教えてくれた王都の重要人物の中の一人だ。
「左から三番目。ジャン神父で合っているか?」
「結婚式での席ということなら、そうよ。確かにあのくらいの背格好ではあるわね」
女と、推定ジャン神父は先にあった第十七小聖堂に入っていった。
聖堂といっても相当古びていて、煉瓦に苔が生えているほどだ。扉もなく、窓に木窓が残っているのみ。今にも崩れそうな廃墟同然と言っていい。
「廃聖堂……なのか?」
「礼拝には使われていませんわね。しかしまだ教会の管理であることは確かです」
俺たちは入り口の方は避け、建物の側面に回り、閉ざされた木窓の近くにしゃがむ。
耳を澄ませる。
二言三言の話し声。その後に何かを引きずったような音がする。
そしてしばらく経つと、また引きずった音が聞こえる。
この追跡における最重要目的は、教会の隠密部隊の拠点と関係者を見出すことだ。まさかこの小聖堂が最大の拠点であるはずがないから、あの二人がここを出て今度はどこに行くかということが、俺たちの関心事になる。
しかし、待てどもそれ以上の音は聞こえてこなかったし、二人が聖堂から出てくることもなかった。
「どういうことかしら」
緊張していたヴィヴィエンヌが、肩透かしとばかりに言う。
俺は木窓に耳を当て、中の音をより詳細に聞く。
「……誰もいなくなっているな。寝息などもない」
「となると、隠し通路ですわね」
入口の方に回って聖堂の中を見る。真っ暗闇で灯りもないが、やはり、人がいなくなっている。
いったんヴィヴィエンヌを降ろし、周囲を警戒しながら、隠し通路を探すことにした。中指の第二関節を軽く曲げ、床の各所をこん、こん、と叩いていく。
「それでわかりますの?」
「おおよそのところはな」
明かりが入らない洞窟で魔獣と戦う場合には、反響音から空間をざっくり把握できるとかなり楽になる。ランキエールでも非常に役に立った技能だ。
そうしていくと、中央の祭壇の下に大きな空間があることがわかった。
祭壇を指でぐっと押しても、動かない。床に固定されているらしい。
周りをなぞっていくと小さな縦長の穴に触れた。間違いなく鍵穴だろう。
「無理やり動かすか?」
「……いえ。こちらが隠し通路を掴んだと気取られるようなことは悪手ですから」
尋ねると、ヴィヴィエンヌは冷静に答え、続けた。
「あとは婚礼が終わって警備が薄れたころに、ドルナクの者に任せましょう。第十七小聖堂に隠し通路があり、ジャン神父が関係者の可能性が高い。そして、香と催淫剤の現物も確かめられた。これで十分です」
俺も頷く。
この小聖堂も敵の土地には違いなく、さっさとこの場を去り、宿屋に戻るべきだろう。
まだ夜は長い。ヴィヴィエンヌを背負い直して──
「──いや」
俺はあくまで冷静なふりをする彼女の横顔を見て、同意を撤回した。
「なあヴィヴィエンヌ。これは戦士の論理なんだが」
「……どうしましたの、急に」
「敵の正体──それも、過去に狩り損ねた怨敵だ──を確かめるのは、己でありたいとは思わないか?」
そう問うと、彼女は一度閉口して、言い返すように答える。
「そんなもの、非合理ですわ。最終的に私が勝ちの局面にさえいれば、なんでもいい」
「……しかし君は、わざわざあの赤いドレスで、王太子たちの結婚式を邪魔することを選んだ。他に代替手段はいくらでもあったし、そちらの方が今後の局面に波風を立てないにも拘わらず、だ」
彼女はまたも閉口する。
どうやら図星を突けたようだ。
そしてヴィヴィエンヌ自身が、そうされることを、不快に思っていない。
小聖堂の暗闇の中で彼女は笑い、静かに俺の言葉を待っている。
「木を隠すなら森。小さな破壊を隠すのは大きな破壊。そしてこの小聖堂は今にも壊れそうなおんぼろで、なんと周囲にはお誂え向きの枯れた巨木がある」
俺はヴィヴィエンヌの手を引いて小聖堂を出た。そして周囲の林の中で、重なって倒れそうで、ちょうどあの祭壇にぶち当たりそうな枯れ木に当たりを付ける。
足跡をつけないよう軽く跳びあがってから、その木を足裏で思い切り、押した。
枝と枝が激しく擦れる音がする。幹がミシミシとしなる。その音は伝播し、ついには破裂音となって、四本の巨木が思い切り小聖堂の上にのしかかる。
轟音。もともと古びていた聖堂は完全に崩れ去る。土煙が上がる。
残ったのは壁ごと崩落した十字架に、煉瓦が積もった長椅子。そして、木に押しつぶされながらも、その強度が災いして、変に陥没し、周囲の岩盤を壊してしまった祭壇。
隠し通路の入り口の周辺は崩れ、人が通れるほどの隙間が開いていた。




