第03話 トリスタン
最初の挨拶を終え、徐々にランキエールのサイズ感にも慣れ、大男たちの見分けがつくようになる。
門の前で、主人であるランキエール卿を迎えようとしていたのは、作法をわかった比較的年配の者たちだ。
対し、今私の下に歩いてくるのは、二十歳前後の者もいる、血気盛んな集団。
私は今、挑発をした。
ならば言い返されるか、やり返されるか。
やってきた男たちの体躯は、ランキエール卿に並ぶほどの、私の優に二倍はある背丈に、私が十人束になってもなお足りないような極厚の足腰である。
それが、めいめい好きに服を着崩し、肩で風を切り、威圧するようにこちらに歩いてくる。大剣を背負っている者もいるし、魔術の心得があるのか、巨大な杖を突く者も、中には肩に鳥を乗せている者まで。
だけれど、途中から、私の目はとある一人の男に、まるで水が流れるように吸い寄せられていた。
ランキエールの大男たちの中では一際小さな男──いや、相対的にそう見えるだけだ──だった。寄ってくる姿をよく見てみれば、王都では長身で筋骨隆々の部類に入る。そして服装に興味がないのか、古くて破れた昔の鎧を適当に羽織っているかのよう。髪は伸ばし放題の朱色の長髪で、雑多に後ろにまとめて結んである。
その表情には、何か刺々しいギラつきと、他の大男たちにはない余裕が相反してあった。自身の余裕は他者にふるまうべきものであると本人は理解していて、いつそれを発揮するべきか、見定めているようでもある。
これは強者の目であると、私は彼を見て、直感した。
だから、向かってくる集団に対して自分からも進み、明確にその男に話す意思表示をして、彼が口を開く前に、私の方から尋ねた。
「あなたが我が夫となる男、トリスタンですね」
私がそう呼んだ男、トリスタンは少し目を見開いた。
ランキエール侯爵の息子トリスタン。
社交界では悪い意味で有名だった。それはあらゆるパーティーに一切顔を出さないからで、そしてあのランキエール卿の息子なのだから、さぞ化け物であり、その化け物っぷりから人前に顔を出せないのだろうと勘繰られたからだ。その勘繰りを裏付けるような、辺境の武勇伝も聞こえてきた。
曰く、魔獣を片手で屠ったとか、異民族を丸焼きにして食べたとか、隣の村の女を攫いに攫い、後宮のごとく妾を集めているだとか。
噂は膨らむ一方で、その容姿については、ランキエールの男らしく化け物みたいに育った結果、とんでもないデブになったとか、信じられないほどのブ男だとか、四つん這いで歩くらしいとか、そんな話がまことしやかに囁かれていたのだ。
その正体が、目の前にいるこの青年である。
化け物とは程遠い。……だが、内面はどうか。
トリスタンは頭を下げきることなく、会釈の半分程度だけ背を下げて、胸に手を当てて言った。
「初にお目にかかる。ランキエール侯爵の息子、トリスタンだ。……長旅ご苦労、と言うべきかな?」
「ええ本当に。ようやく到着して、ほっとしておりますわ」
「その割には、歓迎されたがっているように見えないがね」
彼は腰の剣に手を当てる。
だが抜く気は毛頭ない、私にはわかる。
彼は私を、試している。
「虚勢を張る必要はないわ。私の生殺与奪の権は、とっくにあなたたちが握っている」
私は彼に二歩、三歩と接近する。
彼は警戒し、脅すように剣の柄に手を添える。
私はさらに進む。背丈の差、頭二つ分ほどの、とても敵わない体格さが浮き彫りになる。
「それ以上来るなら──」
抜こうとした剣の柄を押さえ、下からトリスタンの顔を見上げた。
「私の部屋に案内なさい。なんなら、今から寝室に連れ込んでもらってもよくってよ?」
◆◆◆
背が竦むほどに気高く、美しい女だと思った。
その女は単身で、明らかに体躯に合わない馬車を手すりも使わずたん、たんと降り、一度たりとも淀むことなく、開く門と同時に屋敷へ入ってきた。
服装は明らかに汚れていた。舞踏会に着るためのそれで、上等なものだとはわかるが、旅路で裾が汚れてところどころ破れている。彼女自身の肌も髪も、道で被ったであろう土煙で汚れきっており、高位貴族の清らかさなどとうに捨て去ったかのようだった。
だが彼女の歩みと伸びた背筋は、残酷なほど弱肉強食のランキエールの地にあって、凛とした美しさを保っていた。
彼女は自身の五倍、十倍もの重さのある男たち相手に一歩も怯むことなく、その確かな足取りで近づいてくる。
そうして遠近感がはっきりしてきて、わかる。
やはりこの女は小さい。ランキエールの物々に比べるべくもない。
──私は一度負けた身です。誰の子でも、何人でも産んでやりましょう。
それだけに、あの小さな体のどこからそんな力が出てくるのか、どうしてあの戦士たちを前に立っていられるのか、俺は不思議でならなかった。
だから部下を連れて前に出た。
戦いに敗れて追放され、この地で望まぬ結婚を強いられ子を産む運命の、あの女の資質を、何か確かめたいと欲が湧いた。
俺の体はランキエールでは小さい。
知り合いでもなければ、俺が次期当主などとわかるはずもない。そこについては素直に……いや、正直に言えば、正体を隠して話しかけ、後から優位を取ろうなどという姑息なことを考えなかったと言えば、嘘になる。だがそんなことを実際にやってみせる間隙など、なかった。
──あなたが我が夫となる男、トリスタンですね
その女は、一目で俺という人間を俺だと看破した。
事前に情報があったわけがない。そもそもこの結婚も、わずか二週間前に突如決まったものだと聞いている。
「──なんなら、今から寝室に連れ込んでもらってもよくってよ?」
それはただの挑発だったのか、捨て鉢だったのか。
ただ事実として、俺は剣を抜こうとした手を押さえられた。そこからでも、この女に負けるわけはなかったが、俺はもうそれで動くことをやめてしまって、力を抜いて下がり、軽く両手を挙げた。
「冗談を。我々は蛮族ではないのでね」
俺はそう返して、使用人を呼び、彼女を誂えた部屋に案内させた。
彼女が屋敷に入り見えなくなったころに、屋敷の男たちは一気にざわめいた。
──なんだあの女は。
──本当に一人で来たのか? 使用人もいない?
──我らにまるで慄く様子がなかったぞ。
──あの坊ちゃんをやり込めた、だと?
……やり込められた、と言われれば悔しいが。
ランキエール卿である父、アルシオンがあの女、ヴィヴィエンヌに遅れて屋敷の玄関へ歩いてきた。
「殿下も、とんでもない女を寄越してきたものだな」
「……ええ」
俺は素直に同意した。
父と意見が揃ったのなら、もう認めるしかない。
あの女は、只者ではない。
しかし、驚くことがあった。ほどなくして、屋敷の女中が、血相を変え、ドスドスドスドスと音を立てて走ってきたのだ。
「坊ちゃま!」
「どうした」
「客人……いえ、ヴィヴィエンヌ様が、部屋でお倒れに!」
俺と父上は、急いで先ほどヴィヴィエンヌを案内した部屋へ駆け、すぐ中に入った。
さっき俺を圧倒した女、ヴィヴィエンヌはベッドに突っ伏している。すぐに抱き起して顔を見る。
意識がない。
呼吸が浅い。汗が変に滲んでいる。熱が出ている。
「父上。これは」
「疲れが出たようだな」
父は驚いていないようだった。
すでにこれを織り込み済みで、このヴィヴィエンヌという女を、正しく評価しているように見えた。
「たった一人の二週間の旅路で、ドルナク嬢は口を開かなかった。自ら体を伸ばすことも、景色に想いを馳せる様子もなかった」
「二週間、ずっとですか」
「ああ。彼女は同情も弁解も必要としなかったのだ。すべての運命を受け入れ、ただ、己が一人、気高くあろうとした」
最後に父は、俺を見つめて言った。
「なあ、我が息子トリスタン。おまえにこの令嬢が御せるかね?」




