第29話 強いられた失態
王宮に戻るまで、俺は耐え続けた。それがやっとだった。
「ふざけるな!」
握りしめた拳で衣裳箪笥を叩く。側近たちが背をビクッと震わせる。
「ア、アドリアン、……殿下」
「どうなってるんだあれは!」
最高になるはずだった結婚式が、台無しにされた。
突然の襲撃を仕掛けてきた反王太子派。それだけでも最悪なのに。
俺たちはドルナクとランキエールに、命を救われてしまった。
そしてあまつさえあの女は、俺たちの式とミレイユの権能を利用し、まるであの式場が己が舞台かのようにふるまった。
「あの女を捕らえろ! やつらを王都から出すな!」
気づけば俺は、そう口走っていた。
衣装室が静まり返る。
側近の一人が、息を呑んで答えた。
「で、ですが」
「なんだ! 早く捕らえに行け! まさか、できないとでも言うつもりか!?」
「な、なんの、罪で、捕らえれば?」
「……っ!!!」
俺の側近の言葉であっても、腸が煮えくり返るようだった。
なぜならその問いを思い浮かべることまでもが、あの女が仕組んだものに違いなかったからだ。
「ドルナクとランキエールは情報を掴んでいたのだろう! 王宮へ報告して然るべきだ! あいつらはその義務を怠って王族を危険に晒したんだろうが!」
「その主張は通じませんよ、アドリアン」
背後の衣装室の扉が開くと同時に、この場にいた人間とは別の声が聞こえた。
ここは王宮の王太子専用衣装室。緊急時とはいえ、入れる人間は限られている。
入ってきたのは王妃である母上だった。周りに調査官を連れている。
「あなたの側近、この結婚式を強行した“委員会”とに仔細な情報が送られています。全部合わせて四通。二通は公証人付きです」
母上はそう言って、手に持った紙束をばっと広げ、寄越してきた。
「お、俺はそんな話、聞いてなど!」
「……あなたはあの婚約を破棄してから、側近に、ドルナク家からの手紙は受け取るなと言っていたそうですね」
「当たり前でしょう! ドルナクはあれから何度もあの女に関する弁解ばかり送りつけて来た! そんな話をいつまでも聞いていられるわけがない!」
「なら、それを逆手に取られたということですね」
渡された紙束を確認する。
そのどれもに、王宮の証文がある。
「最初の二通は襲撃計画の調査内容で、王宮便が使われています。これはまさか襲撃計画の内容を馬鹿正直に人に読み上げさせるわけにもいかないから、秘密裏に送りたいということだったのでしょう。その後の二通は公証人付きで、最初に送った二通を読むように懇願する内容。あなたの側近がそれを無視したあとには、ドルナク公爵夫妻が直接王宮に来ていますね」
母上は俺の目を下から鋭く覗き込んだ。
「アドリアン。あなたはその面会に応じなかった」
「あ、あれは、そういうわけではなく!」
「……聖女と正式に結婚する前に、ヴィヴィエンヌとの婚約破棄について直談判しにきたと、早合点したわけですね。そしてその訪問から一週間後に来た最後の一通には、あなたに対して忠誠を誓う内容が記されていました。曰く──」
──我らドルナク家、いまだ王太子殿下の御信任を全く得るに至らざること、つとに承知せり。されど、その名と誇りに懸け、たとひ命を失ふとも、殿下を守護せんとの志、少しも変はることなし。
母上はそのあとに「これは我々の失態でもありますが」と付け加え、続けた。
「結婚式の一週間前、陛下の陣営にも手紙が寄越されていました。その内容は王太子に重大な手紙を送ったので、殿下に確認するように言ってもらえないか、というものです。しかし、送られた先は国王派の中でもあなたにもっとも近い男──言わば、こちら側が泳がせていたスパイ──でした。その者が陛下に知らせることなくあなたの陣営に独自に確認を取った結果、またもこの報告は握りつぶされた」
俺はそれで、やつらの手口の全容をようやく把握した。
母上はお手上げとばかりに片眉を軽く上げて、言う。
「恐ろしいですね。あらゆる反論が封じられています。というより、ドルナクは真剣に襲撃計画について真っ当に知らせる構えで、あなたが勘違いをする余白を残していたということでしょう」
ドルナク家にとってはどちらでも良かったのだ。
そもそも襲撃計画を知らせたこと自体が手柄になる。そして仮に無視されたとして、自力で襲撃を防げたのなら、より大きな手柄になる。
それは、今のドルナクが窮状を脱し、あまつさえ結婚式を実質的に乗っ取っても余りあるほどの手柄に、だ。
「くそっ!!!!!」
「……あなたとミレイユ、そして私たち王族は、ドルナクとランキエールに命を救われ、無事に結婚式を終えたのです」
冷たい目をして、母上は最後にこう結んだ。
「これに何か問題があるとすることは、できません」
◇◇◇
その夜にベッドの上で俺とミレイユが交わした会話は、実に空虚なものだった。
完遂した夫婦の誓いも、彼女がようやく俺のものになったという実感も、あの忌々しい瞬間が脳裏に過るだけですべては虚しくさせられてしまった。
「……今日のことは、俺の力不足だ」
俺は自然に、ミレイユに謝っていた。
「油断していた。前回のように対決したなら勝てる自信はあったが、まさか、守られるなど」
「ううん。アドリアン。あなたは悪くないわ」
「だが」
「でも、一つ約束して」
ミレイユは優しい笑顔で続ける。
「次からは、ちゃ~んと、私を、頼ること!」
俺はそれに救われるやら、情けないやらで、泣きそうになった。
結婚式くらい、彼女に頼ることなく独力で成功させたかった。だからすべて王家の慣習を無視して強行したし、それが男の甲斐性だ、なんて勘違いをしていた。
でも、そんなことは最初から不要だったのだ。
俺たちは夫婦だ。夫婦は支えあっていくものだと、そういう単純なことを、意地を張って、忘れていた。
「ねえアドリアン。誰があなたを、困らせているの?」
そして彼女は、いつもの調子で聞いてくれた。
「ドルナクと、ランキエールだ」
「どの男?」
「できれば、ランキエールの跡継ぎのトリスタン、次点でドルナクのヴィクトールを落としたい」
「……わかった」
ミレイユは背を起こし、ベッドの角と膝裏を合わせて、すっくと立ち上がる。
ドルナク家とランキエール家は襲撃の調査のために王都に引き留めている。だが、そう何日も置いておけるわけではないから、彼女も急がねばならないのだとわかった。
彼女は化粧台に歩んで、身支度を始める。
「あれ? やっぱり、ない」
しかしその途中に、小さく呟いた。
「……どうした? ミレイユ」
「えっとね、えっと、私、教皇様から、首飾りをもらってるんだけど」
「あ、ああ。いつも、服の下に隠しているものか」
「それを失くした、かも。式が終わったときにはつけてなかったから、つけ忘れたのかと思ってて」
彼女はにわかに焦燥に駆られたようだった。
「俺も、探すよ」
俺がそう言うと、彼女はしばらく迷ったようにして、
「……ううん。いい」
と、有無を言わさぬようにして首を振る。
「大丈夫。アドリアン。大丈夫よ」
あくまで彼女は、月明りを金色の髪で乱反射させながら、そう言い切った。




