第02話 ランキエール
リスヴァロン王国は半島を含む大陸の北西側を領土としている。したがって、歴史的に異民族と戦っていたり、あるいは異民族に支配されていた時期もある東側の内陸部は、未開の地であったり、蛮族の巣食う辺境であるという立ち位置になる。
まさにその代表と言える領地が、ランキエール侯爵領である。
土地や主としての格は無論、公爵家であるドルナクの方が上。ここに私が権力者の命令で嫁に行かされるということは、まさしく懲罰的な意味合いの“下賜”と言わざるを得ない。
その経緯からして、私は自身の女中や、まとまった額の結納金、そしてまともな嫁入り道具を携えることが許されなかった。それも、許された準備期間はわずか二日。両親の抗議も根回しも、そして別れの挨拶も済まないまま、私はまるで連行されるかのように、ランキエール卿の馬車に単身で乗り込み出発した。
魔力を帯びた早馬をもってしても、二週間の旅路である。
道中、私はランキエール侯爵にも、彼がわずかに伴ったその使用人たちに対しても口を閉ざした。
今口を開いては、“格”に関わる。同情や説明、弁解など不要。
馬車の中で、私は身動き一つ取らずに座っていた。景色を楽しむ様子など見せず、使用人の気遣いにも、最低限の応答のみで返す。
ただ、この時点でどうしても目に入る印象というのは、ある。
──大きい。ひたすらに、大きい。
ランキエール卿の身長はそもそも私の倍程度ある。体重は五倍差はくだらないだろう。使用人も、ランキエール卿が伴ったのは全員が男だったが、それに準じた程度の上背があり、馬車も応じて巨大だった。
「……ドルナク嬢。着きましたぞ」
ランキエール卿が言う。
馬車の扉が開く。一段一段が一々しゃがまねばならないほど深いステップを、ドレスの裾を上げ、背を起こしながら、なるべく無様な恰好にならないように降りていく。
二週間の間、ほとんど着替えられもせず、野宿も挟んで水浴びも最低限。早馬の馬車も辛い。足腰はとっくに限界を超えている。会話もしないことを選んでしまったから、気を紛らわす手段もない。
それでも、万が一にも転げて、醜態をさらすことなどあってはならない。
なんとか馬車を降りきる。顔を上げる。
果たして到着したランキエールの地は、彼らの体格に見合う、巨大なスケールで構成されていた。
城と見紛うほどの巨大な、石造りの屋敷。刃のような葉を持つ巨木の壁。天を穿つ極太の格子でできた門。それを閉める錨の如き錠前。
その門を、ランキエール卿の指示で、これまた巨大な使用人たちがゆっくりと内に開く。
地鳴りのような鈍い音に、私のような小娘など容易くひき殺せる慣性。
慄いてはならない。誘われるようなことも。
「ドルナク嬢? 少し待ってくだされ。案内を──」
制止しようとするランキエール卿の声を無視して、私は開く門の中央を、ヒールで音を立てながら歩いていく。
門の向こうには、信じられないほどの大男たちが待ち構えていた。荒くれものども。服装もまばらで山賊のよう。漂う野生の香り。私などではとても敵わない、圧倒的な暴力の気配と重圧。
──まるで、山脈が目の前に立ちはだかったようだ。
噂は間違いなかった。ランキエールは蛮族の巣食う辺境。異民族と戦い、時に混じってきた、力が支配する大地。
扉が開ききる。ガシャンではなく、ズン、という音で巨大な門がようやく止まる。
大男たちは小さな小さな私にくぎ付けになっていた。
見下ろされている。この場に味方はいない。機嫌を損ねれば殺される。
だが、舐められてはいけない。
私はドルナク公爵家の長女ヴィヴィエンヌ。
かつては国母になるはずだった女。
息を吸って、次のような言葉から始めた。
「臭くてたまらないわ。なんて卑しい者たちなのかしら」
男たちはざわめいて怪訝な顔をする。
「申し遅れましたわ。私はドルナク公爵の娘ヴィヴィエンヌ。アドリアン殿下のご勅命により、ランキエール侯爵のご子息トリスタン様の許へ嫁ぐべく、馳せ参じました」
スカートの裾を上げる。
ゆっくりと、貴婦人の礼をする。
「ですが、正直に申しましょう。私は政争に敗北し、殿下との婚約を破棄され、物として扱われる形で、このランキエールに追いやられました。つまり──」
これが私に残された、最後の矜持。
幼き頃から政争に身を投じ、無様に負けたものが守るべき約束。
「──私は一度負けた身です。誰の子でも、何人でも産んでやりましょう」
頭を上げずに待った。
返ってくるのは沈黙のみ。
ゆっくりと顔を上げる。絶対に表情を変えない。
男たちは未だに黙りこくっている。しばらく経って、大男の山が割れた。
そしてその奥から、周囲と変わらず荒くれ者だが、一段と若い、青年の集団が歩み出てきた。




