第01話 王子の愚かな選択
本作は同タイトルの短編の連載版です。短編好評につき連載化しました。
「ヴィヴィエンヌ! 貴様の悪事をこの俺が見逃すと思ったか!」
リスヴァロン王国の王太子、そして私の婚約者であるアドリアン殿下は高らかに宣言した。
諸侯も司祭も揃い踏みで、各国の外交官が来賓として訪れている、大切なパーティーでのことだ。
「殿下? 落ち着いてくださいまし。私の悪事とは、なんのことでしょうか」
「とぼけるな! 貴様は国の宝であるミレイユを虐げ、あまつさえ俺の名を盾に社交界から排除しようとした! すべては嫉妬ゆえか!? この悪女め! こんな女と国を治めるなど考えられん! おまえとの婚約など破棄だ!」
「ええと、婚約の破棄? それと、ミレイユさまは……聖女様のことですよね。確かに揉めはしましたけど、教会に入ってもらって仲裁を……というかあれは彼女が」
とりあえずなんとか会話を試みようとしたところ、殿下の後ろから金切り声が聞こえた。
「この期に及んでまだ言い訳するの!?」
太陽の聖女ミレイユだ。聖女としての権能は日光を強くすること。
作物の成長を促すことに使えるという触れ込みだが、効果は未確認。それよりも、日光が強まる様子というのは抜群に映えるというのが重要。
つまり、儀式の演出に使える権能だ。
そういうことも含めて、彼女はとかく見てくれが良くて、何か人の感情を煽ることに長けていた。ちょうど可愛らしい程度に小柄だけれども出るところは出ている体躯、それを活かして体のラインが目立つ薄くて白いドレスに身を包み、絹のような美しく長い金髪がふわりとたなびいている。
顔も小さい。瞬きするたび星が煌めくような瑠璃色の瞳に長いまつ毛。きっとどんな殿方も守ってあげたくなるような、妹系? の可愛らしいお顔。
「この顔の火傷が、何よりの証拠よ!」
でもその顔の左半分がちょっと腫れていた。熱湯(まあ60~70度程度なのだが)がかかったからだ。
彼女曰く、それは茶会で、私が彼女の顔に紅茶をぶちまけたかららしい。
真実は、彼女が殿下を「運命の相手」だとか言い出したので窘めようとしたら、その途中でキーキー言って紅茶を持つ私に体当たりしてきた、というところ。それで零れた紅茶で火傷しただのなんだの言いだして揉めたから、彼女が所属する教会に仲裁に入ってもらって、事なきを得たはずなのだ。
「アドリアン殿下! あの女は教会に手先を送り込んで、自分の悪事をもみ消したのよ!」
「ああ可哀想なミレイユ! そうだろうそうだろう。俺は最初からわかっていた! この女は悪女だと!」
だが、その聖女様からすればあの件は終わってなかったらしい。そしてその主張を殿下は信じたと。
教会の治癒師による火傷の診断は
「まあ一カ月もあれば治りますし痕も残らないでしょう。ちょっと腫れるだろうけどね~」
程度のものだったけど。
で、問題はこれからどうするかだ。
殿下は「婚約など破棄だ」とまで言った。
端的に言って、理不尽だが状況は極めて悪い。
殿下は立太子を終えた身で、通そうと思えば強権を使ってなんでもできる。それに反対できるのは国王陛下のみだが、その場合は国王と王太子の対立という大事になってしまう。
最悪なことに──殿下はそれを狙ったんだろうけど──今日のパーティーの有力者の多さからして、この場をなあなあにして後で挽回しようだなんてことは叶わない。殿下に恥をかかせないまま、聖女ミレイユのみを言い負かさないと、本当に婚約が破棄されるか、破棄されずとも未来は失くなる。
まずは、教会関係者を使うべきだ。誰かに私の悪事の証拠であるミレイユの火傷について証言してもらう、そもそもそんなに大した火傷ではないという診断を今やってもらえれば──
そう思って、群衆の中から知り合いの司祭を見つけだし、呼び出そうとする。
しかしその司祭を見つけた瞬間、私は猛烈な違和感に気づいてしまった。
──なに、あの正義感にあふれた目。
彼の視線は聖女ミレイユに注がれている。これでは味方に成り得ない。
じゃあ次はうちの陣営だ。私の実家であるドルナク公爵家は敵は多いが味方も多い。まずは年配の伯爵くらいがちょうどいい、とりあえず四、五人ほど仲裁に入らせて、いったん何か、大人の目線で話をまとめさせれば──
それも、駄目だった。
他も駄目。親戚の侯爵家、今まで守ってくれた公爵家、あとは親交のある辺境伯に、それから貿易相手の外交官。
なんと全員、私に対する反応がないどころか、ミレイユを支えるかのように、いつの間にか彼女の後ろに回っていた者もいる。
──いったい、何が起きている?
私は心底驚いて、殿下と聖女ミレイユの方を見つめた。殿下の方にはミレイユへの盲目な恋慕以外なにもなかった。
だが一方で、聖女ミレイユの瞳の中には、一瞬、無邪気な敵意に満ちた煌めきを見た。
「驚きましたわ、殿下」
私はそれで、悟ってしまった。
「これだけの有力者がいて、今のわたくしには味方が一人もいない」
聖女ミレイユはいったい何をしたのか。背後に誰かいるのか。聖女の権能に何かあるのか。
彼女自身にそんな能があったとは思えない。その瞳にも、立ち振る舞いにも、知性の欠片もあったものじゃない。だが覆しがたい事実として、少なくとも彼女の陣営は、今この場で私の味方に成り得る人物を、確実に全員潰してきた。
──私はこの女を、見誤った。
認めざるを得ない。殿下の愚かさや女癖の悪さなど問題じゃない。そんなことは私も最初からわかっていた。それを踏まえた上で、私は国母となるべく盤面を整え続けていた。
それでも、負けた。
この私が、負けたのだ。
「おい」
殿下は勝ち誇った顔で、顎を少し上に向けながら言った。
「ヴィヴィエンヌ。罪を認めるんだな?」
「いいえ、決して。ドルナク公爵の娘ヴィヴィエンヌとして、その聖女ミレイユこそが真の悪女であると、ここに宣言いたします。これは、彼女の悪性を見抜けなかった臣下どもへの誹りでもあります」
「なんと無礼で往生際の悪い! 顔どころか心意気まで醜いか!」
顔どころか、って。
生まれついての悪人顔の自覚はあるけど、さすがに私も傷つく。
「しかしながら、今この場の策謀において私が彼女に上回られたこともまた事実。この時点で国母として相応しくないというご指摘だけは、免れようもありません」
精一杯の貴婦人の礼で応える。それは私の敗北宣言だったし、聖女ミレイユも、アドリアン殿下もそう受け取って、二人はとびきりの歪んだ笑みを見せた。
それから殿下は、何か思いついた様子を見せたあと、下卑た笑みを浮かべ、会場の端の方へ声を張り上げた。
「ランキエール卿!」
そう呼ばれてこちらを向いたのは、人の常識を超えたような大男だった。その大男は手に持っていた大皿──何人分を食べたのだろう。少なくとも二十人分を貪っていたように見える──を置いて、鈍い足音を立てながら殿下の方に歩いていく。
毛むくじゃらの大髭に、垂れ下がった瞼、その奥の鋭い眼光。ずんぐりむっくりで動きは緩慢。だけれど一度動き出したら止められないほどの暴力の気配がする。まさに怪物だ。
ランキエール。
リスヴァロン王国では、ある意味で有名な領地の名。蛮族どもが巣食う、東方の最前線の辺境。その地を古来より守る一族は、敵に対抗するためかのように粗暴で醜い風貌で、社交界でもめったに呼ばれることはなく、当主以外はそもそも表に顔すら出さないことで有名だ。
ランキエール卿は、地鳴りのような低い声で応えた。
「はい、殿下。ランキエールでございます」
「おまえの息子……トリスタンといったな? 確かまだ、独身だったはずだ」
そのやり取りを聞いて、周囲は唾を呑んだ。
殿下が何をしようとしているのか、貴族社会に身を置いていて、わからぬ者はいない。
それは、貴族の誇りを最も強く傷つける、古来の慣習。今に至ってはごくまれに、もはや刑罰の意味合いとしてのみ行われることだった。
「このヴィヴィエンヌをやる。心根の腐った醜い女だが、おまえたちからすれば絶世の美女だろう。せいぜい“良い妻”として扱ってやることだな」
絶対権力者による、女の“下賜”だ。
ドルナク公爵家への最大の断罪であり、私という個人への最上級の侮辱。
ランキエール卿も、私も、そして諸侯も、謹んでその申し出を受け入れるしかなかった。




