コードの牢獄
リリアンと別れた後、私はロンドンの夜の闇の中を歩いていた。手には、彼女から託された古びた日記。それは、僕が知るどの本とも違っていた。
触れると、まるで静電気を帯びたかのように指先が痺れ、ページをめくるたびに、僕の頭の中に、無数の記号や数字がフラッシュバックする。それは、僕が元いた世界で見ていた、コンピュータのソースコードに酷似していた。
(この日記は、この世界の『理』を記した、一種の設計図だ。そして、リリアンの能力は、この設計図を書き換えることに等しい…)
この日記を解読するには、専門的な分析ツールが必要だ。そして、僕が知る限り、そのツールが揃っている場所は、ただ一つ。MI6本部にある、最高機密のアーカイブ室だ。
長官と特殊部隊の隊員たちは、リリアンの能力によって一時的に消滅させられた。彼らが戻ってくるのは、おそらく明日だ。その間に、僕は、この日記を読み解き、リリアンを救うための『鍵』を見つけ出さなければならない。
私は、MI6本部の裏口に回った。そこには、厳重なセキュリティシステムが張り巡らされている。だが、僕の頭の中にある、元いた世界のプログラミング知識が、まるで指先でキーボードを叩くかのように、このシステムの脆弱性を瞬時に解析した。
(このセキュリティシステムは、AES-256ビット暗号化を使用している。だが、バックドアがいくつか仕掛けられている…プロメテウスが作ったものか、それとも、MI6が最初から仕込んでいたものか…)
私は、タブレットを使い、バックドアをハッキングした。鍵が、カチャリと開く音が聞こえた。僕は、誰にも見つからないように、アーカイブ室へと忍び込んだ。
そこは、まるで図書館とコンピュータールームを融合させたかのような空間だった。壁一面に古文書が並び、中央には、高性能なコンピュータが何台も並んでいる。私は、そのうちの一台に日記をセットし、分析を開始した。
「リリアン…君の命を、僕が必ず救ってみせる…」
モニターに映し出されたのは、無数の記号の羅列だった。それは、僕の知るプログラミング言語とは違う、だが、どこか似ている、この世界の**『物語の法則』**を記したコードだった。
私は、そのコードを解析していくうちに、驚くべき真実を目の当たりにした。
リリアンの能力は、単に『物語』を書き換えるだけではない。彼女が改変する『物語』は、この世界の**『記憶の海』**に刻み込まれている。そして、その『記憶の海』に干渉するたびに、彼女の『存在』が、少しずつ削られていく。彼女の能力は、彼女自身の『物語』を犠牲にする代わりに、他者の『物語』を救う、悲劇的なシステムだったのだ。
だが、私は、そのコードの中に、不自然な箇所を見つけた。それは、まるで、誰かが意図的に仕込んだかのような、小さな**『バグ』**だった。そのバグは、リリアンが能力を使うたびに、彼女の『物語』を、本来よりも大きく削り取るように設計されていた。
「誰が…こんなものを…」
私は、そのバグの痕跡を辿った。すると、そのバグを仕込んだ人物の痕跡が、コードの奥深くに隠されているのを発見した。
それは、MI6でも、プロメテウスでもない、別の人物の痕跡だった。そして、その人物の名は、僕が、今までに一度も聞いたことのない、全く新しい名だった。
その名を目にした瞬間、私の背筋に、冷たいものが走った。
この世界の『物語』は、僕が思っていたよりも、はるかに複雑で、深い闇に包まれていた。




