長官の告白
私はベンチから立ち上がり、MI6のロンドン本部へと向かった。
長官にすべてを話す。それが、この状況を打開する唯一の方法だと思った。
だが、エージェントは常に真実を隠すのが仕事。ましてや、私のようなエリートエージェントが、急に「自分は別人だ」と告白したところで、信じてもらえるはずがない。最悪の場合、精神鑑定に回されてしまうかもしれない。それでも、私はこのまま嘘をつき続けることはできないと感じた。
本部のエレベーターに乗り、長官室のある最上階のボタンを押す。エレベーターがゆっくりと上昇する間、私の心臓は激しく鼓動していた。
「入りなさい」
ノックをすると、長官の重厚な声が聞こえた。
私は長官室に入り、椅子に腰かけた。長官は書類に目を落としたまま、私に視線を向けることはなかった。
「クラーク、君の記憶の回復は遅れている。任務の再開をいつにする?」
私は意を決し、深呼吸をして口を開いた。
「長官、申し訳ありません。お話ししたいことがあります。記憶喪失ではありません。私は…」
私はありのままを話した。日本の会社員だったこと。交通事故に遭い、このジョナサン・クラークというMI6のエージェントとして転生したこと。そして、この世界の知識も、この体のエージェントとしてのスキルも、何一つとして持っていないことを。
長官は相槌も打たず、ただ黙って私の話を聞いていた。私は、冷や汗が背中を伝うのを感じた。
話終えると、長官は静かにデスクの引き出しを開けた。私は、長官が銃を取り出すのではないかと身構えた。
しかし、長官が取り出したのは、小さな手帳だった。
「クラーク…いや、○○君」
長官は私を、日本で使っていた苗字で呼んだ。
「その話はすでに聞いていた。君の記憶が戻るまで、待つつもりだったが、正直に話してくれて嬉しいよ」
長官は手帳を私に差し出した。そこには、私の日本の家族の名前、好きな食べ物、趣味、そして日本の自宅の住所まで、すべてが詳細に記されていた。
長官は、私の事故後、秘密裏に日本の情報を収集していたのだ。
「君は、我々が長年追い求めていた『超越者』だ。世界に散らばる情報ネットワークを通じて、君の存在を掴んでいた。君が事故に遭い、我々のエージェントと意識が入れ替わったのは、偶然ではない。これは、我々が仕組んだことだ」
長官はそう言って、冷たい笑みを浮かべた。
「さあ、任務の始まりだ。ジョナサン・クラーク、いや、○○君」