愛し合う二人は破滅に踊る ―絶望を好む似た者同士夫婦の結末―
「大罪人シャルロット・オーガスタの異界送りを執り行う」
厳粛な空気の中、刑の執行が告げられる。
見上げる程に巨大なブロンズ製の門を前にして、黒のドレスに身を包んだ見目麗しい金髪碧眼の女――シャルロット・オーガスタは微笑んだ。
この星には異界と呼ばれる世界がある。
現世とは別の世界であり、恐ろしき怪物が住まうと古から語られる場所だ。
今、シャルロットの目の前に佇む門こそ現世と異界を繋ぐ門であり、大罪人はこの門を通り異界へ送られ処罰される……。
それこそが異界送りと呼ばれる刑であり、今まさに皇帝暗殺未遂事件を起こしたシャルロットの刑が執行されている最中であった。
轟と重たい音を立てて、門に備え付けられた両開きの扉がゆっくりと開かれていく。扉の隙間から赤黒い光が漏れだして、その禍々しさに刑の執行を見守る誰もが悲鳴にも似た声を上げた。
だがしかし、光を一身に浴びるシャルロットは恍惚と笑んでいた。
最早待ちきれないとばかりにシャルロットは自ら一歩踏み出し、前へ進む。
「シャルロット」
光の中に消えようとするシャルロットの背に、良く通る男の声が投げられる。
足を止めて振り向いたシャルロットは、両脇に数多の兵を従えた皇帝たる男の姿を見た。
褐色の肌に、獅子のたてがみを連想させる銀糸の髪が映える。
研ぎ澄まされた刃の様に鋭い黄金色の眼光が、男の意志の強さを物語っていた。
ティタノ大帝国第十代皇帝アルカイオス・オーガスタは、自分を殺そうとした女――正妻であるシャルロットに不敵な笑みを送る。その笑みに応えるように、シャルロットはスカートの両端を摘まみ、片足の膝を曲げ、背筋を伸ばしたまま優雅な挨拶をしてみせた。
互いに口元に弧を描きながら、シャルロットとアルカイオスは熱の籠る視線を交わし合う。
シャルロットとアルカイオス。
この二人は確かに愛し合っている。
皇帝と大罪人に別れても尚、その瞳には互いの姿を映していた。
ならば何故、シャルロットはアルカイオスを暗殺しようとしたのか。
答えは至極簡単なものだ。
シャルロットは、愛するアルカイオスに喜んでもらいたい。
アルカイオスもまた、愛するシャルロットに喜んでもらいたい。
すべては愛ゆえに。
すべての発端は、他愛無い会話からだった。
「皇帝とは、実につまらぬものよな」
天蓋付きの絢爛豪華なベッドの上で、上半身を起こしたアルカイオスが気だるげに口にする。
アルカイオスの真横には、色白の肌を惜しげもなくさらした一糸纏わぬ姿のシャルロットがいた。長く伸びた金糸の髪がアルカイオスの節くれだった指に一束掬われ、弄ばれる。
「帝国の支配が完全な物となった今、我に敵うものは無い。滅ぼすべき相手が居なければ、愉悦が味わえぬ」
「ふふっ、それは一大事ですわ」
アルカイオスの物騒な言葉をものともせず、シャルロットはやわく笑む。
心の底からアルカイオスを愛しむ様に目を細めながら、シャルロットはしなだれる様にアルカイオスに身を寄せた。
その細い体躯の肩を、アルカイオスはがっしりと抱きしめる。
「でしたら、私が滅ぼすべき相手を用意いたしましょう」
「ほう?」
息をするように自然と紡がれたシャルロットの言葉に、アルカイオスは興味深そうに耳を傾ける。視線を向ければ優雅に笑んだままのシャルロットと目が合って、アルカイオスはたまらず口角を釣り上げた。
「退屈など、貴方には似合いませんわ。そして私にも。お互いの退屈を解消いたしましょう」
「如何様にして」
「異界へ」
シャルロットのその一言に、アルカイオスはたまらず声を上げて笑いだす。
「我に異界への侵攻を命じるか!」
閉ざされた門の奥に広がる、未知の世界。
門の先に送られて、帰って来た者は一人としていない。
異形の怪物が住まうと言われる世界への侵攻は、確かに刺激的だろうとアルカイオスは豪快に笑う。
しかし、シャルロットはゆっくりと首を横へ振った。
「いいえ、私が異界へ向かうのです」
「なに?」
「異界へ赴き、異界の全てを私が掌握し、貴方の敵として全てを送り込みましょう」
滅ぼすべき相手を用意する。
だから私も滅ぼしたいの、帝国を。
シャルロットの言外に含まれる意味を即座に受け止め、アルカイオスは唐突に湧いた身を焦がす程の愛おしさに身震いする。
アルカイオスとシャルロット。
この二人は似た性質を持つ者同士だった。
仄暗い愉悦。
好むものは二人して破滅である。
どちらも物心がつく頃からそうだった。生まれながらの性質なのだ。
故に息をするように他者を陥れ、滅ぼす。
対象は何でもよかった。
他人であれ、家族であれ、国であれ。
滅びの刹那に現れる絶望に、二人の心は大きく震え上がるのだった。
故に、異界という死地に赴いてまで自身の為に滅びという快楽をもたらそうとするシャルロットの行動は、アルカイオスにとっては献身的な行為に他ならなかった。
「……成程。良い案だ」
アルカイオスはシャルロットの細い体を抱きしめ、指先で顎を掬って上向かせる。幸せそうに目を細めるシャルロットの唇に自身の唇を重ね、そっと離す。
唇と唇が触れ合う距離で、アルカイオスが囁いた。
「やはりお前だけだ。我を理解できる者は」
「私もですわ。私を理解できるのは、貴方だけなのです」
「愛している、シャルロット。最上の愉悦を我に捧げよ。我もお前に最上を贈ろう」
「まぁ……。貴方から贈り物だなんて、これ以上ない至福ですわ」
花が咲いた様にシャルロットが微笑む。
その微笑みに満たされた心地を覚えたアルカイオスは、再びシャルロットと唇を重ねた。
後日。
シャルロットはアルカイオスの座する玉座の前で、銀色に光るナイフを掲げた。
家臣一同が見守る中の出来事である。
「捕えよ。その女は、我を殺そうとしている」
アルカイオスの一声に、シャルロットはたちまち兵士に囲まれ、その身を拘束されてしまう。
見え透いた茶番である。
しかし誰にもこの二人の行動を咎める事は出来ない。
咎めた途端に首が跳ね飛ばされることを知っているからだ。
こうしてシャルロットは皇帝暗殺未遂の罪で、極刑・異界送りの刑に処される事となったのだった。
刑は異例の速さで執行され、今、現世と異界を繋ぐ門が閉ざされる。
轟々と音を立てて閉じられていく門を見つめながら、アルカイオスは次にこの扉が開く時を想像し、愉悦に笑むのだった。
それから、二年の月日が過ぎた。
「門が! 門が開かれましたッ!」
血相を変えた兵士が玉座の間に飛び込んでくる。
その報告を受けて、アルカイオスは来たかと喜び勇んで立ち上がる。
バルコニーから外を見れば、空には暗雲が立ち込め幾つもの雷が降り注ぐ。山中の、門が置かれている一帯がやけに明るい。煌々と一帯を照らし出す赤黒い光はまさに異界からもたらされる光であり、アルカイオスは歓喜の声を上げた。
「来たな! 我が妻よ! 我が悦びよ! 全軍、出撃せよ! 滅ぼすぞ、全てを――!」
門の中から次々と異界の生物達が解き放たれていく。
二足歩行の獣、一つ目の巨人、巨大な翼竜。
物語の世界にのみ存在する様な生物が、次から次へと姿を現し帝国兵を蹴散らしていく。
彼らは全て、シャルロットの意志の元に動いていた。
シャルロットが如何にして彼らを従える立場、つまり異界の王になったのか。
その全容はここに記しきれるものではない。
確かに言える事は、シャルロットは帝国を滅ぼす為の力を手に入れたという事だけだ。
巨大な黒龍の背に座り、シャルロットは美しい金糸の髪を風にたなびかせながら微笑む。
「さぁ、参りましょう。至上の悦びは、もう目の前に」
帝国と異界の軍勢による衝突は混迷を極めた。
異形の生物を相手に人類は思いのほか健闘し、そのほとんどを撃退するに至った。
しかし人類側の損害は著しいものがあり、帝国はその機能の殆どを失うに至る。
何よりもアルカイオスの消息が不明となったことは、帝国にとって最大の損失と言えるだろう。
アルカイオスには子はおらず、親族は彼が全て殺してしまったが為に帝位を継ぐべき存在も居ない。
事実上、帝国は滅んだと言っても過言では無いだろう。
唯一の救いと言えば、門が完全に崩壊した事だろうか。
激しい戦いの中で山は崩れ、門は完全に土砂の中に埋まってしまった。
もう二度と、その門が開くことは無いだろう。
瓦礫の山の上で、黒龍が倒れ伏した二人の人間を見下ろしている。
身を寄せ合い、幸せそうに笑んだまま事切れた二人を黒龍が放つ炎が焼いた。
後には何も残らない。
全て滅んだ静寂だけが、そこに。
終
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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