第8話 結婚承諾書。
「さあ、エルフリーデ、この書類にサインしろ。残念だったなあ。お父さんはお前に期待してたんだけどなあ。」
笑いながらそう言って、父が私の前に出したのは、結婚承諾書。お相手の子爵殿のサインはもう入っている。義母が隣に立ってやはり笑っている。
試験に落ちたのは、義弟が知らせたんだろう。割とすぐに、帰ってくるように家から手紙が届いた。一度だけでもチャンスを与えて下さっただけ、良しと思うしかない。王城に就職出来たら、仕送りをする、という条件付きだったが。
父に促されて、ペンを取る。
エルフリーデ・ライナー
これで終わり。楽しかったなあ、学院生活。
長かった受験勉強もディーがいたから楽しかった。真面目で優しくて勤勉なディー。
一年の時、数学の定理で、どうしてもわからないところを思い切って聞いてみた。教え方は丁寧。数学を教えてもらう代わりに、彼が苦手だという外国語の会話に付き合うようになった。
たまたま目指しているところが一緒だったから、3年間一緒に勉強した。
あの人は…いい事務官になって、ゆくゆくは本人の望んだとおり、宰相職まで登るのだろう。・・・見たかったなあ。
ふふっ。
外が何やら騒がしい。
ペンをゆっくりと置く。
その時、騎士が屋敷に乗り込んできた。
王太子印のついた文書を掲げる。
「今回の事務官採用試験での不正受験の疑いがあり、エルフリーデ嬢及び、ライナー伯爵殿を連行いたします。」
え?不正受験?
父が走って逃げようとして押さえ込まれている。何?
「エルフリーデ様はこちらの馬車にどうぞ。」
父とは違う馬車の様だ。
「道中のお世話をさせていただきます、カルラと申します。何なりとお申し付けください。」
「え?」
王城のお仕着せ侍女服を着たその女性は、にっこり笑って席を勧めてくれた。後から走ってきた騎士から、書類を貰っている。
「この書類でよろしいでしょうか?」
「はい。ありがとうございます。」
さっきサインした婚姻承諾書をにこやかに笑いながら破いている。
よく…現状がわかりませんが?
*****
机の上には26点の答案用紙。
「わ、私は、わかりません。普通に受験して、合格しただけですから。」
「これは?あなたの字よね?」
「え?いえ、あの…。」
「ちなみに、あなたが下さった私の婚約者宛ての恋文がこれ。サインもあるわ。熱烈な恋文をありがとう。」
「・・・な。」
「私には同じ字に見えるんだけど?」
「・・・・・」
赤毛のモーニカ嬢は、動揺してる?
「ち、違います。あなたが私に嫉妬して図ったのね?」
え?逆に、何のこと?開き直るの早いわね?
「私が…殿下の御側に上がるのがそんなに嫌なの?嫌がらせ?私は…殿下の秘書官になって…。あなたみたいな人より、私の方が可愛いもの。お父様もいつもそうおっしゃっているわ。望めば王妃になれるよ、って。」
・・・それは…凄いわね。
ごめんなさい。どう説明すればいいのかわからないわ。言葉、通じてる?こんな感じの人があまり近くに居なかったから…。
「おやおや。珍しくイングリットが苦戦しているね?くくっ。」
「・・・・・」
「アンドレアス様あ!!この女が、変な言いがかりをつけるんですう!!!」
にこやかに入ってきた殿下の顔色が変わる。
「・・・この女?イングリットのことを言ったのかい?」
「そうですう。さっきからわけわかんないことばかり言って、私を陥れようとしているんですう!!!助けてください!!」
もう涙目だ。凄いね。すがるような上目遣い?
「・・・へえ。まず、私の名を呼ぶことをお前に許可していない。それから、私の婚約者に対して、この女?はっ。」
「・・・え?」
ちらりとアンドレを見る。そうじゃない。
一つため息をついて、アンドレが言い方を変えてくれた。
「ねえ、モーニカ嬢?本当のことを教えてくれないか?私とあなたの間柄じゃないか?ね?誰にお願いしたの?これ、君が書いた字だよね?」
あなた…切り替え早いわね。
「え…はい。エーリヒという1年生から、聞いたんですう。お金さえ積めば、事務官にしてくれるって。だからあ、私、殿下といたいからあ、お父様にお願いしたんですう。」
凄いこと言ってるって自覚なんかはないんだろう。心なし嬉しそう。綺麗に着飾ってきたモーニカ嬢はくねくねとうねりながら殿下を上目遣いで見ている。
「話が早いわね。じゃあ、あとは丸ごと頼むわ。」
「え?丸投げ?」