第16話 番外編 サクラサク。
「なあ、カルラ?俺と結婚しない?」
「しない。」
何万回繰り返しただろう。この会話。
顔を合わせるたびに言っているから、まあ、二人の挨拶みたいなものだな。
いつもカルラはあきれたように少し笑う。
「ローマン、僕の代わりにエルフリーデの領地を見てきて。」
アンドレアス殿下が、宰相補佐になられたディーデリヒ様の代わりに、俺を小間使いのように使おうとする。俺は…実は侍従なんですけど?まあ、面白そうだし、息抜きにちょうどよさげだったので了承した。
お忍び視察、なので地味な馬車が用意された。荷物を積み込んでもらって乗り込むと、先客がいた。
「なっ…カルラ?」
「・・・・・」
さすがに二人きりは気まずい。
「・・・・・」
カルラは町娘風。木綿のチーフで髪をまとめていた。かわいい。
「はい。通行証。王都に住む夫婦が妹の所に遊びに行く、らしいわよ。」
「・・・・・」
誰だ?こんな設定を考え出したのは???おおかた妃殿下か?だろうな。
片道3日もかかる南部に向かって、馬車の旅が始まった。
途中の宿は当然同じ部屋。ここで騒ぐと怪しい夫婦になってしまうしね。
「・・・なににやけてんのよ?え?」
こいつが剣が強いのも知っている。訳ありの過去も。酔っぱらうと、自分のことを僕、と呼ぶことも。それから…笑うと可愛いことも。
「お嬢様はね、気にしてる。あの子を女領主にしたことで、それこそ女の幸せを諦めたんじゃないかと。」
宿で一緒に酒を飲む。こいつも相当強い。買い込んだ酒で足りるかな?テーブルも椅子もないほどの安宿だったから、床に座り込んで飲み始めた。
妃殿下の言っていることもわかる。ディーと結婚する話をなかったことにしたから。
あの二人は、恋人未満、だったけど、一緒に歩む未来もなかったわけじゃない。
「お前はどう思うよ?」
「僕?僕は…正直エルフリーデが羨ましい。タイミングだよね。もちろん女として育てられていたら、僕は4女だったからその辺に嫁に出されてお終いだっただろうけどね。」
「お前は、そんなに女でいるのが不満なのか?」
「不満?不満…?どうなんだろう。男だったら良かったとは何万回も思ったけど。」
そう言って、カルラは安酒をあおる。
「僕が男だったら、母親は幸福で、死ぬこともなかった。」
「・・・そうじゃない。お前は、母親のために生きているんじゃないだろう?しかも、お前をそうさせていた者はもういないんだ。」
「僕は…自分が…いまだに良くわからないんだ。お嬢様の所に引き取られて、女の名前を貰って、一から女としての教育も受けた。ダンスもな、女性パートが踊れるようになった。スカートだってはくだろう?じゃあ、女になったのかって言うと…」
「・・・キス、してもいいか?」
「は?お前…相変わらず冗談きついぞ。」
「俺は、女の幸せが何なのかは分からないけどな?俺の幸せはお前を笑わせることだ。」
「は?」
「・・・さ、ささやかだろう?」
並んで床の敷物の上で座って酒を飲んでいた。グラスを置いて、そっとカルラに口づける。張り倒されるのを覚悟したが…
「な、泣くほどいやか???」
「・・・同情か?」
同情?同情な…。
こいつをイングリット様が連れてくるようになって、なんて生意気そうな奴だと思った。平気でイングリット様に意見するし、しかも、筋が通っていた。学院も一緒に通ったが、きちんと自分の意志表示ができる変わった奴だった。回りの女の子が、空っぽに見えるくらい。俺は…さんざん空っぽな女の子たちと恋愛ごっこをしたけど…。
あの頃から…俺はこいつから目が離せなかったんだなあ。
泣いているカルラの頬に口づける。
「僕は…子が成せない。女の幸せなど、考えたこともない。僕の痣を見たら、お前だって二度とそんなことは言わなくなる。」
そう…殿下に聞いていた。女だとばれた時、父親に激しく折檻を受けたと。内臓が傷つくほど胸と腹を蹴られた。妃殿下の父がたまたま保護しなければ、死んでいただろうと。
「見せてみろ。」
カルラはゆっくりと立ちあがって、ブラウスを脱いだ。
胸から、腹にかけて、痣が残っている。それほどまで…。
「そうか。辛かったな。」
立ち膝で、カルラの腰を抱えて、腹の痣にキスをする。
されるままになっているカルラの瞳から涙がこぼれる。
「この痣ごと俺が貰ってやるから、な?」
見上げると、俺の顔に涙が零れ落ちる。
「俺と一緒に、生きていかないか?な?カルラ?」
*****
今日の中庭は静かだ。
カルラが子供たちを引き連れて、下町の庶民の生活を見に行っている。もちろん護衛も庶民の服装。カルラの町娘風の格好も久しぶりに見た。相変わらずかわいい。
髪は短いままだ。別に構わない。髪なんか長くても短くてもカルラはカルラだ。
そう言った時、
「お前は僕を甘やかしすぎだ。」
と言われた。べたべたに甘やかしてやる。ふふふっ。
陛下の御子様3人と、うちの一粒種の大事な娘。
4人とも、下町の悪ガキ風の服装で、小遣いの小銭をもって出掛けた。お土産はなにかな?
そう、奇跡のように一人だけ授かった。
あの日、落ち着かなくて庭を歩き回っていた。
見上げた樹に満開の花。ああ、神様に初めて願った。無事に、母子ともに無事に産まれますように!と。
満開の花と青い空と…俺を呼びに来てくれた医務官の白衣…
春に生まれた俺たちの娘は、6歳になった。