三好京平の憂鬱。
自分は何の為に生まれてきたのか、などと真剣に考える事のできる暇人は、
卵が先か鶏が先かを無限ループで考える能力を持つ最近では希少価値の低い、中二病患者であろう。
…それも末期である可能性が高い。
そもそも答えのないものを探す、考える事が無意味だ。
例えば、難しい数学の問題を解いていたとして。
解き終えた後に回答をなくしてしまったとする。
その瞬間、問題を解いた事実は無意味なものとなるのだ。
努力が水の泡とはよく言ったもので、問題を解く事自体にさほど意味はないのだ。
本来問題を解く事の目的は、どこを間違えてしまったのか知る事にある。
つまり何の為に生まれてきたのか、という問いの答えをどれだけ考えた所で時間ばかりとる上、
誰もが納得できるような答えはでてこない。
そしてある時気づくのだ。
明確な答えなど一生わかる事はあり得ない、と。
自分はそういう考え方の持ち主なのだ。何に対しても。
理屈っぽくて他者から見ればつまらない男。
良くいっても現実主義者。リアリスト程度のもの。
もちろん幽霊も宇宙人も未来人も超能力者の存在も信じていない。
世間話のついでで言えば、自分もサンタクロースなど昔から信じていなかった。
どちらかと言えば着ぐるみを被った人間を下からのぞきこんで、
被り物と被り物の間から僅かに見える人間味溢れるそれをみて、
きゃっきゃ言って喜んでいるような
…なんとも可愛げのない子供だったと思う。
自分の性格はあの時から根本的なものはなに一つ変わっていない。
背や体重が成長しようとも、それは本当に些細な事で。
結局自分が直接見ることのできない外見部分の容姿が変わったところで、自分しか知る事のできない内面部分は何も変わっちゃいなかった。
こんな自分は……
「三好京平!」
チャイムが鳴るのとほぼ同時に突然自分の名前が呼ばれ、
京平は否応なしに現実へと引き戻された。
右手にはゆるくシャーペンが握られていて、気づけば授業は終わっいる。
ぼんやりと俯くような体制のせいで教科書が視界一杯にあった。
どうやら授業中に目を瞑った状態で気を失いながら考え事……平たく言うと居眠りをしてしまったようだ。
先程京平を呼んだ女?は、今の今まで授業を担当していた教諭を押し退け、教壇へと上がった。
もちろんその際先生側に拒否権などなく、
無理やりといった感じは見てすぐにわかる。
「三好京平、でてきなさい。」
「…なっ」
…これは聞き間違えか?まだ夢の中なのだろうか?
と自分に優しい思考を巡らせるも即玉砕。
もう一度自分の名前を口にされ、
更に見たことのない女の顔と声に動揺する。
寝ぼけ眼を擦りながら鼻の先までずり落ちた眼鏡をかけ直し、
一生懸命頭を働かせる。
が、いまいち京平は自分の状況を把握できていないでいた。
読者もポカーンとしている事間違いなし。
…――出てこいっていう口調からすると、確実に怒っているのだろう。
そうじゃなければあんな威張った言い方、普通しないだろうし。
名乗り出ようか、
名乗り出まいか…
これは一旦様子を見た方がいいかもしれない。
返事をしないのは失礼かもしれないが、
知らない女に訳もわからず怒られるのも納得いかない。
それに自分の男のカンがやつは危険だと告げている……ような気もする。
クラスメートのお前名前呼ばれてるよ的な視線はとりあえず無視の方向でいこうと思「おーい、きょーへえ。夏姫に呼ばれてんぞー。」
「どぅあっ……」
級友の声に訳もない不満をどこかに感じた。
本人に責任はないが、ありがた迷惑に違いない。
当然その声に反応した教卓前の女は、京平の方へ視線を向けると、口を結んだままじぐざぐと机の合間を縫うようにして近づいてきた。
何を言われるのだろう、京平は息をのむ。
クラスメートの視線を浴び覚悟を決めて身構えた。
名前を呼ばれた手前後にひけないのはわかっている。
教卓前からこちらへ向かってくる女
…彼女は長くきれいな髪をサラサラとなびかせながら、また茶色い瞳で真っ直ぐに京平の方を見た。
顔は無表情のように見えるが、
怒ってると言われればそんな気もするような…少し冷めた表情。
「あんたが三好京平?」
「……っ!」
「なんとか言いなさい。」
なんかすんごい威圧感だ。
思わず『す』と『ご』の間に『ん』が入ってしまう程に。
わかりやすく威圧感を数値に直せるとするならば、
常人<波平<ジャイアン<<<<<‖越えられない壁‖<<<目の前の女<小沢さん
って程に。
さすがに小沢さんには負けるが、
石原都知事相手なら勝るとも劣らない、といった所だろうか。
……ってこの説明はいらないか。
しかし女ごときに怯むなど格好悪い、という自尊心から動揺を悟られないよう目は決して逸らさない。
京平は座っている為、どうしても見下されてる感があって非常に不愉快だった。
できる限り関心のないように振る舞おうと、思い付く限り短い言葉を使う。
「…ああ。」
「ちゃんと言って。あんたは三好京平?」
「三好京平。」
「この学校にあんたと同姓同名の人間は?」
「自分の知る限りいない。」
「私の知る限りもいないわ。」
「へえ……。」
え これで会話終了なのだろうか?
質問の意図はおろか、彼女の名前すら知らない。
困ったよ。こまったさんのホットケーキだよ。まったく。
もう自分が何考えてるのかすらわからない。意味がわからない。
「じゃあ、今日からよろしく。三好京平。」
何秒間かの沈黙の後、スッと左手を差し出して握手を求められる。
席を立って制服のズボンで軽く手を拭くと、つい営業スマイルで
ああ、どうもどうも。
なんて言いながらペコペコ頭を下げようとしてハッとする。
「な…なにがよろしくだっ。馴れ馴れしい。
自分に何の用か言え。話はそれからだ。」
行き場を失った左手をふらふらとさ迷わせた後、腕組みをした。
「ふん、優しくないわね。好感度DOWN。」
「は、はあ!?」
「好感度よ好感度。あんたぎゃるげいむってやったことある?」
「ぬぁ…っ!」
「ぬあって何よ。ぬあって。」
あまりにも彼女と彼女の言葉にギャップがありすぎて京平はもう動揺しまくりだ。
ぎこちない発音で口にされた『ギャルゲー』には、芸人ならば雛壇から転げ落ちる程にツッコミどころ満載。
「自分はギャルゲーは……たしなむていどにしかやらないが…。」
「やるんだ。あんたそんなげえむやるんだ。ときめきメモリアルやるんだ。好感度DOWN。」
「何ゆえときメモ!?
つか、何の好感度だ。何で自分の好感度言っちゃってんだ。
つか、その好感度って貯めると何が起こるんだ。お前ルートか。お前ルートという恐ろしい BAD END か。」
少し前に決めた、なるべく短い返事でクールぶるという作戦はいつのまにかなくなっている。
京平はうっとうしいくらいの勢いで、くどくもツッコミ一覧表状態。
全て疑問を言わなくては気がすまないところは、
オーマイキーならナンデくんポジション。
「まあ、そーゆー訳だから。」
「いや、どーゆー訳かさっぱりわからないんだが。」
少し強い口調で追い込む京平は、だいぶ気持ちに余裕がでてきたのであろう。
何でもないような表情に、眼鏡の奥では少し目を細め、
いつもより鋭い目つきで彼女の方を見た。
もちろん高須竜児のような、ヤンキーを思わせる程の迫力も、
逢坂大河のような虎を思わせるオーラもない。
有吉があだ名をつけるとしても『THE 神経質。』といったありきたりなものがでてきそうだ。
まさにインドア派の典型で恐いといった印象は全く無い。
四文字熟語で表すとしたら?と尋ねられれば、
『亭主関白!……ってあれ、これ四文字熟語だったっけ?』
みたいな事になるんじゃないかなあ..なんて考えたりもしまして。
―――瞬間、彼女の肩が揺れた。大きく深い息を吸ったのだ。
両目は京平を確実に捉えている。
小さな口が大きく開かれ―――
「あんたがあたしの夫に相応しいかどうか……見定めてあげる。」
え?
さて、ここもつっこんだ方がいいのだろうか。
「「「ええええええエえええええぇぇえぇえぇ!?」」」
京平が言葉にするよりも早く、
クラス全員が驚きの声をあげた。
それも当然。さっきまでクラス中の視線が二人に集まっていたのだ。
一応ちら見程度で様子を窺っていた外野は、途端に大盛り上がり。
どれくらいって…そりゃあもう、ワンピースに出てきそうなくらいのハイテンションさで目なんか見開いちゃって。
なんだかとってもジャンプノリ。
「夫だって…。」
「結婚か!?結婚なのか!?」
「最初っからクライマックス!?」
「むしろ出オチじゃねーの?」
火をつけたように話はどんどん大きくなり、話の発端である京平と彼女はいつの間にか置き去りにされていた。
ノリのいい連中はヒューヒューなんて昭和の匂いを漂わせつつ、分かりやすく煽ってくる。
「まあ、そーゆー訳だから。」
「どーゆー訳かさっぱりわからんのだが。……ってあれ、デジャウ゛?」
これだけ周りが騒いでいても気にならないのか、彼女は平然としていた。
むしろ
『返事は?』
と催促しているようにすら見える。
もちろん YES OR YES といった、悩む時間を与えないとーっても親切な選択肢のみが与えられている訳だが。
そして肝心な事を忘れていると気付く。
その忘れた事さえ忘れそうな程に強いインパクトから、
彼女が馬になったとするならディープインパクトだな。ははは
なんて京平は考える。
つまらない。そうか、つまらないか。よし、じゃあこんな小説読むのやめちまおーぜ。はは
なんて作者は考える。
京平が思い出した、というのは彼女の事だった。
もっと言うなら、彼女とは何なのか、という事。沢山の方向からみた彼女が知りたいのだ。
もちろんそれは哲学的にアイデンティティー(自己同一性)とは何かを考えるような事ではない。
もっと単純で簡単で明快で純一で。
彼女彼女と先程から三人称女性代名詞でしか表現できないのは結局、彼女が誰なのか限定できないからだった。
深い深い詩的表現の人間とは何なのかなんて重たい質問ではなく、
へい彼女、お名前は?
と、軽くナンパを試みる第一歩のような質問。
あまりにも初歩的すぎて今更?って感じもするが聞こう。聞くのだ。
京平は小さく息を吐いた。
「お前……名前は?」
「今更?」
わお、予想通り!
なんて驚いてる場合ではない。
マヌケな質問をした事は百も二百も承知の上だ。
「あたしは一炉木夏姫。気軽に夏姫様って呼んでくれていいわよ。三好京平。」
「はは。面白いな一炉木は。」
「……?」
乾いた笑みを浮かべながら瞼が痙攣するのが京平自身もわかった。
さて、気軽に様付けとはどのような状況で使えばいいのだろうか。
このふざけた女をテーブルの上の透明の灰皿でもってガツンと……机の上の教科書でもってポカンと叩いてやろうかと考えている。
そんな京平を他所に夏姫の顔は真剣そのもの。
冗談は笑って言うものだと誰か教えてやってほしいものだ。
精巧に出来たお面か、はたまたルパンの変装か、そうでなければ納得できないくらいに夏姫の瞳は瞬き一つしない。
きれいな顔してるだろ……生きてるんだぜ。
なんておっさんホイホイな冗談が通じる事もないだろう。ここは真面目に。
「何でここに来た?」
「徒歩できたわよ?」
「ああ、いや、そうじゃない…」
挫折した。即挫折してしまった。
まずは簡単な質問からしたつもりだったのに一言目でもう話が噛み合わない。
京平は気まずそうにハニカミながらぽりぽりと口の端をかいた。
「え、ええと…」
早くも次の言葉がみつからない。聞かなくてはいけない事は沢山ある筈なのに適切な言葉は大事な時に限って出てこないものだ。
語意の問題ではない。もっと根本的な所から間違っているのだ。
「えっと…あの……」
気まずい。妙に空気が重い。
空白の時間を埋めるように、京平は意味のない言葉をただ口から漏らすだけで、前には進めない。
今まで異様なまでに盛り上がっていたクラスメートは、変に気をつかい、再び静かにこちらを見守っていた。
各々自分の帰り支度はきちんとしながら、顔だけは京平と夏姫に向ける野次馬ばかり。
白けた空気と周りの好奇心を孕んだ視線はプレッシャーにしかならず、京平の口元をかいていた手にも思わず力が入る。
さて、この状況を打開する策があるなら、誰かこっそり自分に教えてはくれないだろうか。
などと自分で考える事を放棄した人任せな京平に、誰かが手を差し伸べてくれる訳もない。
しかし、そんな状況下で藁を放り投げた人物は意外にも意外。
京平を溺れさせた張本人である。
「今日のイベントはここまでよ。」
夏姫ははっきりとした口調で言った。……また、意味のわからない事を。
ボリュームとしては小さいが少しだけ高くてよく通る綺麗な声が京平の鼓膜を震わせる。
顔は精巧に作られたお面…以下同文。
「え……?」
意味不明な言動にマヌケな声を上げて固まる京平の前から、夏姫はくるりと体を半回転させて、そのまま一直線に教室の前の扉へ。
「ちょ、ちょっと」
スタスタと、入って来た時同様に何の躊躇いもなく歩いて出ていこうとする。
京平は思わず手を伸ばしかけるが、今は何と言っていいのかもわからない。
「また明日ね。三好京平。」
ガラガラと大きな音をたてて、教室のドアは勢い良く閉まった。
―――意味がわからない。
全く意味がわからないのだ。
嵐のように去っていった彼女を思い浮かべながら、京平はじっと立ったままで動く事もできないでいる。
再び扉が開く時は、全員一斉に目をそそいでしまったが、そこから出てきたのは見馴れた中年のおっさんの顔。担任のなんとか先生である。
皆期待したのか、それとも安心したのかは解らないが、長く息をついた。
その時、京平の良く知らないクラスメートが『会長』という単語を口にしたが、京平の耳にまでは届かない。
しかし、確かに聞こえたのだ。
日常が崩れてゆく音が。
何かが変わる予感が。
直ぐそこまで迫っている。
積み木崩しなんて可愛らしい音じゃない。東京タワーを爆破させるくらいのでっかい爆音。
きっと退屈などする事はない。