n=2 - "水葬"
生前の私は、釣りが好きだった。休みの日に、時間に追われずに暇つぶしのようにする、釣りが好きだった。時間の浪費が、何よりも贅沢だったと感じていた。
だから、死んだあとは水葬にしてもらった。一度焼かれたあとに、水に遺灰を撒かれる。魚の餌にでもなれば良かった。
多くの人は、意識がない間の時間はスキップされているとか思っているんだろうけど、それは違う。記憶がインプットされないということは、アウトプットし続けるしかないということ。永遠に過去に浸り、全て過去を忘れたときに初めて新しい記憶がやってくる。そんな気がする。
気付いたときには水の中にいた。純水と言えるほどに透き通ったものではなかったし、魚の一匹もいなかった。体との高い親和性を感じて、思わず眠くなる。
陽の優しい光を受けて、流れていく。何度も曲がりながら進んで、あるいは遠ざかって行くのかもしれない。死んだ後は無限に時間がある。いくら贅沢をしても到底使い切れないような時間が。私は、生きていた時よりも幸せなのかもしれない。
気がつけば、私は大きな洞窟の目の前にいた。洞窟が口を開けている、と表現するのが最も近いだろう。洞窟の先は暗かったが、水の流れが洞窟の中に繋がっていた。怖かったので逃げようとしたが、流れの中心にいたので抵抗できなかった。そして私はそのまま落ちていった。
50メートルくらい落ちたところからだろうか、水晶が光っていた。鍾乳石と同じ見た目の水晶は、童話で聞かされたものとそっくりに、空色に光っていた。美しいという言葉が口をついて出そうになるが、口が無いので喋れなかった。
覚えていないほどの時間が経った。最後の滝を落ちると、水晶に囲まれた小さな湖に着水した。周りには苔だけが生い茂っていて、水たちは行き場を亡くしていた。ここには骨は落ちていない。わざわざ死ぬ前にここに来なくても、いずれ来られるから。
1時間、2時間と経っても水はどこにも行かない。私よりも後に流れてきていた水の流れも、いつの間にか消えていて、本当にここが終着点なのだなと思う。
時間は有限だからこそ良いのだということが身に染みて感じられた。ただ何にも追われずに変化を待つのも悪くはないなと思ったりしてみる。次に日の目を見るその時までは、誰にも見られずにゆっくりさせてほしい。