n=1 - "球体"
数日前、私は酔った勢いで夜の川に落ちて死んだ。
「…ここは?」
目を覚まして、辺りを確認してみると、違和感に気付いた。
「あれ…私、目が…見えていない?」
確かに私の目は見えていなかった。そのことに気づくまでに時間が掛かったのは、周りに何があるのか感じていたからだった。
辺りは真っ暗で、私の両隣には、黒と水色でできた発光する球体がいる。そしておそらく…私もその姿になっていると思う。そんなことを考えていると、隣の人から話しかけられた。
「…愛香里…?」
「え…どなた様…ですか?あと、私は…」
「ああ、そうだった。まあ無理もないさ。まだここに来てすぐだからね。君の名前を教えてくれるかい?」
「あ…はい…私は美樹…です。えっと、『愛香里』っていうのは?」
「じゃあ最初から説明しようか。僕たちはここの住人で、500年に1回転生回数が支給されるのさ。君を含めたここの住人は、転生できるように待っているってわけだ。君は今、ちょうど死んできたところだよね。」
「あ…はい…お酒を飲んでいて、気づいたら浅い水の中に倒れていて…でも何か忘れているような…?」
何だか、頭がぼうっとして、働かない。まだ酔っているのかな…確か…
「もう何も話さなくていいよ。」
「えっ…」
「美樹のその様子だと、多分頭からいったのかな。まあ大丈夫さ。分解されればすべて忘れる。」
「あ、もう愛香里で大丈夫です。それで、分解されればっていうのは…?」
「ああ、これも説明しなきゃいけないか。記憶っていうのは、肉体、即ち脳に依存するのさ。ここでは不滅のこの身体があるけど、現世の肉体はいずれ分解されて土に還るからね。そこで脳が損傷を受けたりすると記憶が消えるんだ。」
うーん、やっぱり何か忘れているような?頭はなんとか戻ってきたけど、なんていうか、その…、…?
「あ、そうそう。愛香里には現世での記憶を話してほしいんだ。さっきも言った通り、次の転生までに時間がかかるし、ここの住人は娯楽に飢えているからね。」
「あ、はい。私は…町の居酒屋だったと思います。そこで1人で飲んで、川の通りの公園を歩きながら、…来て…私は…川…」
「落ち着いて落ち着いて。まだ酔っているのかもしれないな。脳の状態が愛香里に強く作用しているんだ。」
「あの…少し横になってもいいですか…?」
「いいよ。横にはなれないけどね。」
*
「なんとか頭の調子が戻ってきました。」
「それは良かった。ところで、ずいぶんうなされていたみたいだね。」
「そうですか?」
「現世への未練というか、そんな感じのものが感じられたね。まあ大丈夫。2、3日もすればすぐに忘れるさ。」
私が死んだのは21歳の夏だった。死ぬにはまだ早すぎたし、当然未練だってある。でも、生き返れないなら、このまま自然に忘れてしまった方が楽なのだろうか。
「ちょっと待って。」
知らない声が反対側から聞こえてきた。
「…あなたは…誰ですか?」
「…葉子。さっきの寝言、全部聞いてた。」
「え…でも、さっきの人、…(名前聞いていなかったな…)と話してたのに、どうして。」
「…あなたとわたしは隣同士だから全部聞こえてるの。悩んでいるなら、聞いてあげる。」
「なんだか私、死んだときにすごく腑に落ちない感じがして、まるで、誰かに殺されたような…」
「…わたしの転生、分けてあげる。」
「え?」
「わたし、隣の子と話しているの。それで、気づいたらまた明日に転生の回数が貰えるんだけど、今日中には使えないから、それで、あげるの。わたしのことは良いから、あなたが使って。」
「 ありがとう。」
「転生したら別の世界に行っちゃうかもしれないから、死んでもここに戻って来れないかもしれないけど、それでも、あなたはもう1回生きるべきだと思うの。生きて。」
【転生回数が更新されました。転生可能です。】
頭の中から声が聞こえた気がした。
「わたしは生きるのが怖いのかもしれないね。」
「それでも、誰かが葉子を必要としていると思うな。」
「そうそう。僕もそう思うよ。」
「うわ。また戻ってきた。ごめんなさい。そろそろ転生するらしいので、名前だけ教えてくれませんか?」
「そっけないなあ。でも、戻ったみたいだね。そうだね…僕の名前は…」
彼がそう言い終わる前に、彼はいなくなっていた。次の瞬間、視界がぱっと明るくなったかと思うと、周りには4人から5人くらいの人がいた。私は生まれ変わったのだと確信した。
「生まれてきてくれて、ありがとう。」
今から私の母になるであろう人は泣いていた。