事実と場所と武器
3年3組
「先ほどあなたが目覚めた2年3組の真上がこの教室です、どうです、わかりますか?」
「確かに他と違って、なんか空気が湿気てるような…絶対に入りたくない」
「ダメです」
「即答か! というかさっきから敬語の割に私命令されっぱなしじゃない…」
「間違いなく、この学園の心臓はこの中にあります」
「あの、一応祓いの仕事はそれなりにやってるんだけど、その『心臓』って何?」
霊、怨霊、精霊、騒霊等々、祓う対象の名前は様々だけど、そんな用語は聞いたことがない。
「存在の核ですかね。この空間から抜け出すためにはそれを破壊する必要があります」
「本当に生物みたいね、幽霊屋敷ってのは」
あれ?
「でもそれだったら『心臓』より『脳』って言った方がわかりやすくない?」
それとも心臓に魂が宿るとかいう解釈なの?
「まあ、その辺は、わたしたちみたいに役割がはっきりしているわけでもない、普通の屋敷ですので慣例的な言い方かと」
わたしたち?
「裏内屋敷の脳にあたるのが私、裏内宇羅。そしてあなた、庚游理こそが心臓なのですから」
「いやいやいや、ちょっと待って。裏内の家の心臓ってのはあなたでしょう、裏内さん」
混乱して挙動不審になる。私年上なのに。
でもこれ以上、この子のペースに乗せられるのはダメだ。
自分のヘタレレベルの上昇が抑えられなくなる!
そんな悲壮な決意を知らない宇羅は、再び説明する。
「わたしは屋敷そのものです。いうなれば脳にして身体そのものですね。ですから先ほどのように屋敷の一角で殴ることはできますが、心臓がなければ生きてはいけませんよね」
「それじゃあ、まるで私があなたの身体の一部みたいな…」
「そうです。住み始めた時から今まで、庚游理は裏内屋敷の心臓として絶えず駆動しつづけています」
契約書。
「何があっても自己責任」
…これは予想外でした。
「游理さん? また思考の迷路で迷子になってます?」
「いや、まあ」
落ちつけ、まずやるべきことを決めるんだ。うん。
面倒なことを考えるのは生き残ってから。
「ですから私があなたのことをよく知ってるんですよ、游理さん」
「へ?」
「毎回仕事のたびに余計なことをして、所長に嫌味を言われて、園村とかいう同僚の暴走がそれでうやむやになってるのが納得いかねーとか、あなたが夜中に言いまくってた愚痴も全て記憶しています。」
「…マジで?」
「マジです。一応言っておくと普段覗いたりなんてしてませんが、ああも大声で愚痴られたら自然と耳に入ってきます。壁に耳あり、です」
…恥ずかしい。穴があったら入りたい。ないから掘ろう、自分の穴を。
これがほんとの墓穴ってか!…笑えない。
「とにかく!」
露骨にごまかす。
プライバシー流出については後で問い詰めればいい、と逃避しつつ、
まずはやるべきことを片付けないと、うん。
ここから出るにはこの中の心臓とやらを壊せばいいんだよね!?」
「はい」
「じゃあさっさと終わらせよう」
「………」
「どうしたの、いきなり黙って」
饒舌キャラが急に黙るなんて怖いだろ。
「いえ、正直もっと抵抗なさると思っていたもので」
「うだうだ言ってっても、状況は改善しないんでしょ。だったら少しでも早く仕事を済ませる。それが祓いやらに関わっていく内に学んだことだし」
「…そうですか。やはりあなたは素晴らしい」
ではわたしも誠意を見せなければ
そうつぶやくと、宇羅はいつの間にか持っていた『スプレー』を手渡してきた。
「これって仕事用の」
「言ったはずです、屋敷の中にある全てがわたしの武器であると。ならあなたの所有物をこうして持ち込むのもたやすいこと」
霊的存在浄化薬品散布用器具
通称「しゅしゅっとくん」
…名付けたのは私じゃない、断じて違う。
「不用意に渡せばわたしにそれを向けかねなかったので」
「…本当に、さっきはごめんなさい」
「ははは。わたしは心が我が家の庭のように広いので許しますよ」
あの家の庭、微妙に狭いんだよね。
「では『お仕事』を終わらせましょう、我が心臓」
「それでは」
教室のドアを開けながら、生きる屋敷は私に告げた。
「これより幽霊屋敷『乾森学園』の解体を開始します」