体外
「ナメクジ?」
「まあぐちゃぐちゃの肉の塊なんで、そう見えるだけかもしれませんね」
外に出て、脇目もふらずにひたすら歩いて。十分に離れたと思って振り返ると、そこにいたのはナメクジだった。
大きくて絢爛豪華な屋敷だったものは、全身から粘液を垂れ流し続ける灰色の巨大な生物に変わり果てていた。
「って、私たちあの中で動き回って、身体に変な液体とか付いてないよね」
「大丈夫だと思いますよ? まあ、わたしなら大抵のものは平気ですし」
「私は耐性人並の一般人なんだけど」
靴とかどっか適当な所で洗えないだろうか。
ナメクジ、蛞蝓・・・ヌメヌメしてるの苦手なんだよ、まあミミズとかじゃなかっただけマシか。
邪神怪獣の類は、まあ残念ながら何度か遭遇した経験がある。でもあれは屋敷を取り込んで一体化、もしくは幻術で擬態している?
だとしたら目的は捕食あるいは繁殖とか・・・エログロ。どっちにしろ悍ましい。
「それで、宇羅。あれは『幽霊屋敷』なの?」率直に訊く。
「ええ、まあ大体は同じものかと」
? 歯切れが悪いな。いつもは根拠がなくても断言するのに。
「その言い方だと、今までの奴とは違うってこと」
「多分『蔵神様』に引っ張られた・・・外部の神性の影響を受け『幽霊屋敷』が、変異したものです」
「神様・・・神もどき」
この世界とは異なる世、彼岸から来訪するもの。古よりこの世界の裏側に潜み、様々な文献や伝説に記されていた存在。
園村さんはそっち方面の専門家だからこそ、最初に派遣されたんだけど。
「怨霊より質が悪いんだよね、不用意に接触するだけで精神が汚染されるらしいし」
「ですが幸い、今回はあの屋敷や背後の『蔵記様』と敵対する必要は今の所はないです」
「まあ、さっきは面食らったけど、いきなり取って食うって感じじゃなかったよね」
こっちは勝手に胃の中のものぶちまけたけど。
「少なくとも真面目に仕事をしている限りは、岬さんやこの村の人たちとは穏便な関係を保っていけるはずですよね」
「そうだといいけど」
でも、私が関わる祓いがそんな順調に行くわけがないんだよね。
「庚さん、裏内さん、お待たせしました」
背後から岬さんの声が聞こえてきた。
思わずビクンとなって、振り返るのに一瞬躊躇した、けれど。
「? どうしました?」
「いえ。何でもないです」
沈船岬さんは出会った時と同じ、黒髪をたなびかせ、コートを羽織っていた。
どう見てもぐちょぐちょグロスライムじゃなくて人だけど。
「ちょっと。これ幻覚? 頭パチンする必要ある?」
「パチンて・・・そんな雑な言い方」
さっきはそれで幻が消えたし。副作用はないと信じたい。
「でも、あれは幻ではないようですよ」
密かに宇羅に尋ねると、あっさり返された。
「でもさっきは異臭放つ不定形物体だったのに」
「そりゃ、外なんですから。あの姿だと目立つでしょ」
それ以前の問題だと思うけど。
3人で湖に沿って敷かれた道を歩く。この湖の名前は「蔵記湖」やっぱり蔵記様が住むからその名前なんだろうな。
それで岬さんは先に行って、私と宇羅の案内をしてくれている。こうしていると普通の人にしか見えないけど。
「彼女は自分の状態について自覚あるのかな」
「さあ。少なくとも、あの『亜種幽霊屋敷』に心臓があるとして、彼女ではないです」
「わかるの?」
「あれはたしかに変わり種ですが、それでもこの私が同類の心臓を誤認するはずがありません」
それで言うなら、あなたは下手したらもっと異端だろうに、まあいいや。他の幽霊屋敷もそれ程知ってる訳じゃないし。
「じゃあ取り合えず身構えず接するってことでいいか・・・」
「お話は終わりました?」
・・・びっくりした。岬さん、振り返って急に声かけてくるんだから。
「驚かせてしまいすみません。そろそろ到着します」
祠は林の中にあるらしい。木々が生い茂り、薄暗くそこはかとなく不気味な雰囲気の場所だけど、さっきの屋敷よりはまあマシか。
「この【ぐさあ差あ彩氏】の向こうに『蔵記様』の祠が【記治sw】あるので、もう少しですよ」
「はい」・・・ああ、また、ノイズっていうのか。聞き取れない音声が岬さんのセリフに混じってる。
「宇羅」
「幻覚の方は今の所大丈夫そうです」
何か不安になる言い方。
「まあ仮にも神様が奉られた聖なる場に近づいているんですから、『異言』というか、そういうのが入って来ることもあると思います」
入って来るのか・・・それはそれで嫌だよ。
「府市子・・・見えてきまし【府負】祠です」
言ってることはわかるけど、この声、いや音か、なんとかならないんだろうか。
とにかくやっと到着した祠は思ったより小さかった。派手な装飾とかもない。何処にでもあるものに見えるけど。
「ここに異変があるとの話でしたけど」
「はい、これなんですよ」
祠の扉、って言うのか、開いて中を見せる。
そこには****があった。
「これが奉っているものなんですね」
ギュチャギュチャ。
また雑音が聞こえる。忙しいのに。
「ええ【こで】これが****。蔵記様の御神体です」
「游理さん」
「ご覧の通り、だいぶ汚されておりまして、洗っても洗っても穢れが落ちないんです」
洗うのか、これを。
まあ汚れたんだから当たり前だよね。
「あの、游理さん」
「宇羅、ちょっと待ってって。今話してるとこだから」
「それで、やはりこういったものは専門家の方の手をお借りすべきと判断しまして」
それでうちに依頼したんだ。所長は簡単に状況は聞いて、園村さんが適任と判断したんだろうな。
園村さん。
今何処にいるんだろう。
「これは・・・游理さん、何を見ているか理解していないようですね」
・・・宇羅、何を言いたいの・・・
頭が痛い・・・・
・・・・・・・えっと、そうそう。今は岬さんと打ち合わせをしないと。
「どうでしょうか? 庚さん、裏内さん」
「見た所、土地に縛られたものとは違うようです」
そもそも神様の色に染まりきっている地に他の霊魂魍魎が生まれる余地はない。
「他所から流れ着いた妖の類でしょうね。岬さん、失礼ですが『蔵記様』の信仰で、悪魔祓いへの言及はありますか?」
「いえ。通り一遍の魔除けはともかく、西洋のような祓いについては、私にわかる範囲ではなかったかと」
「そうですか、わかりました。では差し当たっては東式の悪霊祓いを私と宇羅で行います」
「『悪魔』ではなく『悪霊』祓いですか?」
その辺りはややこしいんだよ。
あ・・・頭がまだ痛い。喋り続ければ少しは気が紛れるだろうか?
ちょうどいいから岬さん相手に解説の真似事をさせてもらおう。
「悪魔というのは宗教で明確に悪とされる存在。言い換えれば特定の信仰があって初めて存在し得るものなんです」
一神教多神教問わず、善悪の概念は教えの核。
「ある信仰のやり方で悪魔を祓おうとしても、相手が別の基盤を持つ場合はあまり効果は期待出来ません」
一応正統派のエクソシスト系の園村さんは、自分の法を押し付け、相手に悪魔の役を割り振る、とか言ってたっけな。
私も宇羅もそんな真似は出来ないから。
「魑魅魍魎、悪霊は漠然とした魔の概念。信仰の型に嵌まらないもの」
今の世界にはありふれている有象無象の魔。
「それを祓う術は悪魔祓いのような強力さはありませんが、相手がどんなものでも一定以上の効果があるという利点があります」
だから今回は確実な方法を取る。
「なるほど。よくわかりました。やはり庚さんはプロフェッショナルなんですね、頼もしいです」
もしかして今の私、この職場で初めて専門家っぽい空気出せてる?
あの家を追い出されなかったらこういうのも当たり前に出来てたんだろうけど。
うん、久しぶりにポジティブ思考になれた。
相変わらず頭はズキンズキンしてるけど。
「游理さん、游理さん。喜んでる所すみませんが・・・」
あ、いけない。今は仕事に集中しないと。
「とにかく、方針はこうして定まりましたので、一旦戻って準備をします」
「ええ。もし何か御入用でしたら、遠慮なくお申し付け下さい」
助かる。たまに塩とか硫黄とか大量に使う事例があるんだよ。手持ちは十分あるとはいえ、何があるかわからないから。
「じゃあ、屋敷に戻りましょうか、岬さん。宇羅、行くよ」
「・・・最後まで気付きませんでしたか。まああれを見て、並の精神は耐えられないでしょうし」
? 訳のわからないことを。
「このまま知らないままでいてくれたら・・・ただでさえメンタル不安定なんですから・・・」
宇羅が言ってることは私には理解出来なかった。
ただ。
ギチャクグチャ。
また音が聞こえた。
・・・・頭痛がひどくなった気がする。




