鶴(の令嬢)の恩返し そして、仕返し
「あら、ブリギッテ様。お久しぶりですね。どちらかへお出かけでしたか?」
ここは、鳥人の王国の宮廷。
長い廊下で行き会ったのは、公爵令嬢のブリギッテとその取り巻きの一人(一羽?)エレオノーラ。二人とも鶴族の鳥人だ。
「久しぶりね、エレオノーラ。実は、わたくし人間界へ出かけていたの。王宮へ来るのは、一か月ぶりぐらいかしら?」
昔から、「鶴は千年 亀は万年」といい、鶴は長寿の生き物の代表だ。
ブリギッテは、百六十五歳。まだまだ若く、好奇心も旺盛だ。
興味を持てば、危険を顧みず、いろいろな場所へ出かけてしまう。
「まあ、そうでしたの。いかがでしたか、人間界は?」
「それがねえ……。ちょっと、聞いてくださる?」
ブリギッテは、半月前、ある村に降り立った。
久しぶりの人間界訪問に興奮して、田んぼで踊りまくっていたら、罠にかかってしまった。たまたま通りかかった太助という人間の男が、罠を外し助けてくれた。
「怪我はしてないようだな。二度と罠なんかにかかるんじゃないよ」
そう言って、太助はブリギッテを抱え上げ、空に放してくれた。
「逃がしてくれるなんて、良い人間に出会えましたね。人間の中には、『鶴の肉を食べると長生きする』という言い伝えを信じていて、鶴を捕まえて鶴鍋にしようとする者もいるそうですよ」
「良い人間かどうかはさておいて、鶴鍋にせずに逃がしてくれたのは確かよね。そうなると、そのままというわけにはいかないでしょう? だから――」
だから、ブリギッテは人間の娘の姿になって、太助の家を訪ねていった。
鶴は義理堅い生き物なのだ。
ましてや、ブリギッテは公爵令嬢である。恩に報いるのは、当然のことであるという教育を受けていた。
「太助は一人暮らしで、小さな古ぼけた家に住んでいたわ。わたくしは、道に迷った旅人のふりをして、一夜の宿を貸して欲しいと頼んだの」
「一夜の宿を――。ということは――」
「いやだわ! おかしな想像をしないでちょうだい! 太助は、わたくしのために使っていなかった機織り小屋を掃除して、わらの寝床を用意してくれたの。『ゆっくり旅の疲れをとってください』と言って、すぐに小屋を出て行ったわ」
「母屋ではなく、いきなり機織り小屋に泊められてしまったのですか?」
「そうなのよ。『使っていなかった』と言ってたけれど、機織り機はきちんと手入れがしてあって、新しい糸も十分に用意されていたわ。まるで、『ここに泊まるなら、機織りをしてくださいね』と言わんばかりに――」
一人だし暇なので、ブリギッテは機織りの準備を始めた。
昔、神への供え物の酒を飲み、酔っ払ったあげく道に倒れていたブリギッテを介抱してくれた人間の老夫婦がいた。
ブリギッテは人間の娘となって、恩を返しに老夫婦の家を訪ねた。
何か手伝えることはないかと問うと、老婆は、ブリギッテに機織りを教えた。
単純な作業を根気よく繰り返すうちに、美しい布が少しずつ織り上がっていくのが楽しくて、ブリギッテはすっかり機織りが気に入ってしまった。
「絶対に覗かないでくださいね!」
と、一応念を押して一人部屋に籠もり、自分の羽毛をふんだんに織り交ぜた布を織り上げてやると、老夫婦はたいそう喜んだ。
二人ともとぼけていたが、こっそり部屋を覗いていたことをブリギッテは知っている。ブリギッテが鶴とわかっても、見事な布に目が眩み二人は黙っていたのだ。
二人が布を売るために町へ出かけた隙に、ブリギッテは王国へ帰ってきた。
その後も、人間に世話になるたびに、ブリギッテは機織りをして恩返しをしてきた。
次第に手の込んだ布を織れるようになり、ブリギッテは、機織りがますます楽しくなっていた。
「今回も一晩かけて、何とか手拭いぐらいの長さを織ったのよ。いつものように、体から羽毛を引き抜いて織り込んだから、短くてもそれなりの価値があるものが織れたと思うの。布をはずして母屋の前にでも置いて、夜明け前に、さっさと王国へ帰ろうとしたのだけど、小屋の引き戸が動かなかったのよ!」
「えぇっ!? それって、監禁されちゃったってことですか!?」
「どうやら、そういうことだったらしいわ。夜が明けると小屋の外に太助が来たの」
太助は、引き戸を開けずにブリギッテに呼びかけた。
「娘さん、いや、俺が助けた鶴さん、布はもう織り上がりましたか?」
ブリギッテは驚いた。
太助は、助けた鶴が恩返しに来ることを予想し、機織りをさせようと準備をしていたらしい。いや、もしかすると、罠を仕掛けたのも太助なのかもしれない。
ブリギッテは、まんまと太助の計略に引っかかってしまったのだ。
太助は、引き戸の下の方にある、猫がようやく通れるぐらいの大きさの破れ目から、水の入った竹筒や握り飯などを中へ入れてくれた。
朝飯を食べて、さらに頑張って織ってくれという意味だろう。
差し込まれた手が、何かを寄越せというように動いたので、ブリギッテは、織り上がった布を持たせた。
布を掴んだ手は、さっと引っ込められて、母屋へ走る太助の足音が聞こえてきた。引き戸は閉められたままだった。
「わたくしも良くなかったのだけど、世話になった人間に、律儀に恩返しとして機織りを続けるうちに、人間界ではマニュアルみたいな物が作られちゃっていたのよ。これが、機織り機の下に転がっていたわ」
ブリギッテは、『これで君も億万長者 ~上手に鶴に恩返しさせる方法~』と表紙に書かれた小さな冊子を、羽根の付け根の辺りから取り出すと、エレオノーラに渡した。
エレオノーラは、くちばしや足を器用に動かして、冊子の内容を確かめた。
「人間たちはこれを読んで、鶴に恩を売り、恩返しとして高価な布を織らせ、それを売って億万長者になることを夢見ているというわけですね。人間も――、ずいぶん変わりましたね」
「そうね。恩返しをあてにするようになっちゃ、お仕舞いよね。本当の善意は、見返りなど期待しないものでしょう? わたくしたち、人間を甘やかしすぎてしまったのかもしれないわね」
「それで、ブリギッテ様は、どうやって機織り小屋から逃げ出してきたのですか?」
「簡単よ。人間の姿のまま、小屋の中にあった心張り棒や手桶をぶん回して引き戸を叩き壊したの。あまりに腹が立っていたから、機織り機もぐちゃぐちゃにしてやったわ。鶴が変身した娘だから、か弱くて力なんかないだろうって勝手に思い込んでいたようだけど、とんでもない誤解よね。鳥族の体力を甘く見ないで欲しいわ! わたしが暴れる音を聞きつけて、慌てて太助が小屋へ来たけれど、急いで鶴の姿になって逃げてきたの。でも、このままではすませないつもりよ」
ブリギッテは、エレオノーラに向かって不敵に笑った。
細めた目が、ひどく酷薄に見えて、エレオノーラは思わず身震いした。
「稲を食う虫たちを『言うことをきかないと食べるわよ』とおどして、太助の田んぼへ向かわせたわ。虫たちのせいで今年の収量は、大幅に減るでしょうね。
わたしが残してきた布を売れば、米がとれなくても冬は越せると思うけど、機織り機や小屋の修理代までは出ないわね。これに懲りて、鶴の恩返しで儲けようなんて浅ましい考えを、捨ててくれると良いのだけど――」
金儲けに失敗した太助は、あの冊子を作った人物の所へ、文句を言いに行くかもしれない。
ブリギッテは雀族の令嬢たちに頼んで、それとなく太助を見張らせていた。
もし冊子を作った人物がわかったら、その人物の田んぼをみんなで荒らしに行ってくれることになっている。
ブリギッテは、ほかにも様々な生き物たちに声を掛け、調子に乗った人間たちをちょっとだけ懲らしめる計画を着々と進めていた。
「なんでも、『これで新年の支度は万全 ~お地蔵様に笠をかぶせてお宝を手にする方法~』とかいう冊子も出回っているらしいの。わざわざお地蔵様が被っている笠をはぎ取って、自分が持ってきた笠を被せ直す不届き者も出始めたのですって――。そのうち、間違いなく仏罰が下るわよ! それに比べれば、わたくしの仕返しなんて可愛いものよね。ホホホホホッ! ではまたね。ごきげんよう」
優雅に廊下を歩いて行くブリギッテの後ろ姿を見送りながら、エレオノーラは深い溜息をついた。
(人間たちは、何もわかっていないのよね――)
彼らが、平和で清らかだと思っている鶴族の世界にも、本当は恩返しよりも仕返しを楽しいと感じる悪役令嬢キャラが存在する――。同じ鶴族でも、一羽一羽個性があるのだ。
なにしろ寿命が長いので、時間はたっぷりある。
ブリギッテの仕返しは、しつこく続くかもしれない。何年も何十年も――。
誰もブリギッテを止めることはできない。
平和で清らかで温情に満ちた鶴族の世界には、ちょっとばかりやり過ぎた悪役令嬢を断罪したり追放したりする者などいないのだから――。