第一話 仕事の依頼
アジアの南に世界中のはみ出し者が集まる都市があった。
都市の名前はアルゼナム。SF世界のような次世代近未来都市を目指して作られたその都市は、世界中で感染者を出したウイルスや北の大国が起こした戦争によって計画が一時中断。ウイルスの特効薬が発明され、感染や戦争が終結したころにはアルゼナムは出資をしていた企業の手を離れて世界中からはみ出された人間たちのたまり場となっていた。
裏社会の勢力や戦争で家を失った難民など、現在のアルゼナムはそういったものたちが住まう街になった。大雑把にまとめれば、アルゼナムは世界のはみ出し者たちが集まる魔界都市というわけだ。
そんな現代のディストピアとも言われる魔界都市アルゼナムで何でも屋を営んでいるウィリアム・リーは昼前になりようやく目を覚ました。この魔界都市に住む人間であるのにも関わらず、彼の部屋のごみはゴミ箱の中に入っており酒瓶が転がっているようなことはない。
ウィリアムは燃えるような赤い目に後ろで束ねたくせっけのある黒い髪、そして丸形の黒いサングラスと頬に生々しい大きな傷というなかなかに怖い見た目をしているが、この街の中だとかなりマシな方だ。
ひげは綺麗に剃られているし顔も整っており、重ねて言うがこの街の中だと比較的清潔感のある見た目をしている。
「もう昼か」
そう言いながら、ウィリアムはあくびをしながら窓を開ける。いかにも建設途中である様子のビル群がウィリアムの視界へ入った。
コロナウイルスの感染拡大と北の大国が起こした戦争でアルゼナムの開発は中止され、その後再開されることが無かったので、このような建設途中のビルや施設がこの街にはたくさんある。
ピコン、とウィリアムの持っていた携帯が鳴った。電話の着信のようだが仕事用に使うそれが鳴るとき、相手はだいたい決まっている。馴染みの情報屋だ。
ウィリアムは窓に肘をついて電話へと出た。
「もしも───」
『もしもしぃ!!!』
「うるせえ!!!」
『あ、起きてるんすね! よかった。ウィルさん、たまに昼すぎまで寝てることあるんで出てくれるのか心配だったんすよーーー』
「だからって大声出す必要ねえだろうが……トリシュ、それで何の用だ? 寝起きの人間に耳元で大声あびせやがって。仕事か? 仕事の話だよな?」
『昼過ぎまで寝てるかもしれないウィルさんのためにモーニングコールを───』
ウィルは最後まで聞き終わる前に、電話を切った。まだ頭が覚醒しきっていないので顔を洗いに行こうかと洗面所へ向かおうとしたとき、再び電話がなった。相手が誰だか分かっているので、ウィリアムは確認せず出る。
「申し開きはあるか?」
『ごめんっすよーーー。仕事の話なんで聞いてください、お願いするっす』
「暇な時は付き合ってやるよ。それで、どんな仕事だ?」
『ただの護衛任務っすよ。なんかこの街を通して荷物を輸送しているやつらがいるらしいんですけど、警備が足りなくなってるらしいっす』
「……荷物ねぇ」
一部例外を除き、アルゼナムという都市は無法地帯である。そのため、ブラックマーケットが開催されたり正規の手段では運べない荷物を運ぶ流通経路としてよく使われるのだ。
そして、大事なことだがこの魔界都市を使って違法に荷物を運べば当然奪われても誰にも文句が言えはしない。警察に頼ることはできないし、そもそもこの都市に警察はいない。
ゆえに、この街で荷物を運ぶためには厳重な警備が必要不可欠なのでトリシュが持ってきたような荷物の警備依頼はよくあることなのだ。しかし、ウィリアムはこの護衛任務に妙な胸騒ぎを覚えた。
「うさんくせえな」
『あ、やっぱりそう思います? 私もなんすよーーー、私たち気が合いますね!!!』
「気が合うって……お前がそういうのを選んで俺に斡旋してるんだろうが」
『その人に合った仕事を与えてるだけっすよ。そう考えると、私ってかなり優秀な情報屋じゃないっすか?』
「はいはい、お前は優秀な情報屋だよ。ところで、肝心の依頼主は誰だ?」
『スプーキー・ドッグっす』
「ブラウンのところか」
スプーキー・ドッグとは、このアルゼナムにある運び屋会社の1つだ。非正規の荷物を運ぶのが専門である彼らとウィリアムは仕事を通じて比較的交流がある。代表のブラウンとも面識があるので、ウィリアムは彼と会ったときに胸騒ぎを覚えた箇所について聞くことにした。
『細かい話はスプーキー・ドッグの代表から直接聞いてくださいね。それじゃあ何かあったら連絡くださいっす』
「オーケー」
ウィリアムは電話を切って仕事へ行く準備を始めた。
★★★
時刻は20:00
ウィリアムは指定された時間に中心地から外れた場所にあるスプーキー・ドッグの本拠地へと向かっていた。この街でもそこそこの規模を持つ運び屋である彼らの本拠地は敷地も広く保有する建物も比較的新しい。だが、それでも街の中心地に建つビル群やこの街で大きな力を持つ勢力が保有する施設と比べれば見劣りしてしまう。
半壊した街灯の下を通り、ウィリアムはスプーキー・ドッグが保有する敷地へと足を踏み入れた。それなりに広い敷地には貨物運搬用のホバークラフトが10数台ほどがある。ウィリアムはその前を通り過ぎて、スプーキー・ドッグの本拠地に入っていく。中では受付嬢がいてウィリアムのような依頼参加者───ウィードと呼ばれるフリーの何でも屋たちが列を作っていた。
受付嬢はウィリアムのことに気が付くと目の前のウィードたちを後回しにして、ウィリアムに声をかける。
「リー様、代表がお待ちです。どうぞこちらに」
「悪いな」
ウィリアムのせいで列が止まったことに苛立ったウィードが一斉にウィリアムを睨みつける。ウィリアムは敵意を込められた視線を向けられるが、それがどうしたと言わんばかりの表情で受付嬢の案内を受けた。
受付嬢に案内された部屋の名前は代表専用室。扉が開き中に入るとタブレットを持って険しい顔したスキンヘッドの男が椅子に座っていた。彼はウィリアムの存在に気が付き手を挙げた。ウィリアムも軽く手を挙げて部屋の中に入った。
「おお、来たか! ウィリアム」
熊のような大きな体格とスキンヘッドが特徴的なこの男の名はブラウン。スプーキー・ドッグの代表だ。ブラウンとウィリアムはほぼ同時期にこの街にやって来たこともあって一緒に仕事をすることも多かった。たまに一緒に酒を飲む程度には交流がある2人にはいまさら、前置きじみたやり取りは必要はない。
ゆえにウィリアムは部屋の中にあるソファに遠慮なく座って即座に話題を切り出した。
「ブラウン、トリシュに聞いて今回の依頼を受けたがうさんくせえぞ。何があった?」
「あぁー、やっぱり気付いちまうか?」
「当然だろ。何人やられた?」
トリシュから『警備が足りなくなっている』と聞いたとき、ウィリアムすぐに不可解に思った。警備が足りなくなった、という表現はもともと用意していた警備体制では質的にもしくは量的に不十分だったということを表している。
そして、警備が不十分だと分かったということは一度荷物が狙われたのではないかとウィリアムは考えたのだ。ブラウンの反応を見て自分の予想が当たっていたのだなとウィリアムは確信する。
「うちの部下が9人」
「そりゃ随分と派手にやられたもんだ。相手は何人だ?」
「1人だ」
「1人だぁ!? お前のところの社員を9人も単独でやれるなんてすげえな。どんなやつか分かってるのか?」
運び屋という稼業をしているスプーキー・ドッグの社員は、受付嬢などの事務員を除けば全員が軍事的訓練を積んだいわゆる戦闘のプロだ。その社員たちを1人で9人も倒すなどウィリアムでも難しい。
「いや、まったくわからん。そいつが襲ってきたときに俺はその場にいなかったからな。やられた奴らが言うには目で追えないほどにすばしっこい上に素手で外装型のパワードスーツを破壊してきたんだと」
「そいつはやべえな」
外装型のパワードスーツとは、合金によって作られた機械式の鎧のことである。子供でもそれを装着するだけで車を持ち上げることができるようになるし、猛スピードで車が突っ込んできても無傷でいられる。
そんな人型要塞ともいえる代物を素手で破壊できるような人間は端的に言って化物だ。生身で殴られれば体に穴があくだろう。
「どうりでこうも戦力を揃えてるわけか」
そう言って、ウィリアムはここに足を踏み入れたときの光景を思い出した。
列に並んでいたウィードたちは、ウィリアムと同じく荷物の警備をするためにやってきた追加の戦力だろう。彼らは地肌の上から着るタイプのそこそこ高性能なパワードスーツを着用していた。密着型のパワードスーツは防御力という面では外装型に劣るものの、同じぐらいのパワーと尋常ではないほどのスピードを得ることができる代物。
外装型のパワードスーツを破壊できるようなやつを相手取るためにはそれぐらいの準備が必要だな、とウィリアムは納得した。
だが、同時に不思議にも思った。日々をギリギリで食いつないでいるものも多いウィードの中で、パワードスーツを持っている人間は僅か。その代わり、パワードスーツを持っていると言うことはそれを購入し維持できるほどの稼ぎがある実力者であるということに他ならない。
そのスーツもちのウィードが10人近くもいる。ウィードを雇うのもただではないし、目の前の男は手持ちの戦力も警備に回すつもりなのだろう。そうなれば、単なる荷物の護衛にしては費用がかかりすぎていることはウィリアムにも分かった。
「ブラウン、正直に話してくれ。どう考えても今回の荷物にかかってる費用が普通じゃない。このまま無事運びきれたとしても赤字になるようにしか思えん」
「……そうだな」
「お前、何を運んでる? かかった費用が問題にならないほどの高い報酬がある依頼を受けたとしか思えない」
「……はぁ。お前に隠し事をするもんじゃないなあ」
ウィリアムからの圧を感じたブラウンは、仕方がないかとため息をついた。
「このことは絶対に誰にも言うなよ?」
「いいから話せよ。何を運んでるんだ?」
「実はな、俺も何を運んでいるのかは知らない」
「何で知らないんだよ。お前、運び屋だろうが」
「たまにあるんだよ。荷物の中身を伏せる代わりに、倍の値段を払うって依頼が」
「そういうやつらがいるってのは知ってるが、お前は面倒ごとに巻き込まれたくないからってそういう依頼は全部突っぱねて来ただろう?」
ブラウンはこの街でのやっていき方を知っている男だった。どんなに高額な報酬であっても、怪しい仕事であれば裏を取り自分が破滅する道を回避する。安全な道を選ぶという一見すれば面白味のない男だったが、ブラウンはこの混沌の街で安全な道を見分けることのできる能力を持った男だった。
その能力でスプーキー・ドッグを1人で立ち上げてここまで大きくしたのだから大したものだとウィリアムは思っている。ゆえにそんな男が明らかに怪しい仕事を引き受けたと言うのがウィリアムにはにわかに信じられなかった。実際、化物じみた相手に荷物を狙われる羽目になっている。
ウィリアムの指摘にブラウンは苦虫をつぶしたような顔をした。
「今回のは断るわけにもいかなかったんだ。とんだ貧乏くじを引いちまったもんだが、それなりに長く生きてけば博打を打たなきゃならんときもあるだろう。それがいまだったってだけさ。幸運なことにこの仕事の報酬は目が飛び出るほどある」
ブラウンは天を仰ぎながら覚悟を決めたような顔をする。その額にはびっしりと汗がしたたっていたが、ウィリアムはそれに気が付かないふりをした。
「なるほどな。そういうことなら頑張れよ。死なないといいな」
「俺が死んでるときはお前も死んでるさ。それと、ウィリアム。この仕事が終わったらスプーキー・ドッグに入れ」
「急になんだよ。前から言ってるが、俺はどこにも入る気はねえぞ」
この街にはたくさんの勢力が存在する。大きいものから小さいものまで細かく見て行けば200は存在している。そんな街でどこの勢力にも属さず後ろ盾無しで生きていくのは難しい。社会保障なんて存在しないこの街では、怪我や病気になってしまえばだれにも助けてもらえず死ぬしかない。
それでも、どこの勢力にも属さずに一人で生きていく人間たちのことをアルゼナムの住人は雑草と呼ぶ。
ウィリアムもそのウィードの1人だ。
「俺も前から言っているが、お前のような男は組織の中にいてこそその力を発揮できるはずだ」
前からブラウンはウィリアムの能力を見込んで、何度も自分の組織に入るように言ってきた。その度にウィリアムはめんどくさいと言って断って来た。
「会社の名前をスヌーピー・ドッグって名前に変えてくれるなら考えてもいいぜ」
「誰がチャーリー・ブラウンだ。仕事が終わったあと、もう一度だけ聞くぞ。そのときに嫌ならまた断ってくれ」
「はいはい。それよか、肝心の荷物をどうやってどこまで運ぶんだよ。それを聞かないと警備なんて出来ないぜ?」
「このあと他のウィードたちにもまとめて教えてやろうかと思ってたんだが……まあ、いいだろう」
そう言って、ブラウンは椅子から立ち上がって部屋の壁へと触れる。ブラウンがその指で幾何学模様を描くと壁が開いてスッポリと開いて大きなトランクケースが現れた。
「これだ」
「これ……って、これだけなのか?」
かなりの戦力を揃えていたからよっぽど大きいか大量の荷物を運ぶのだろうと思っていたウィリアムは意表を突かれた。
「そうだ、と言ってもこのケースを守るのはお前と俺のところの数人だけだがな」
「どういうことだ?」
「他のウィードたちには偽の荷物を警備してもらう。表にホバークラフトが10台ほどあっただろう? あれを全て別々の方向に向けて発信させるつもりだ」
「はぁーーーなるほど。そうやって襲撃犯に的を絞らせないようにすんのか。よく考えたもんだ」
「だろう?」
ウィリアムは立ち上がってトランクケースをまじまじとみた。そうまでして運ばなきゃならないここのトランクケースの中身がなんであるのか、ウィリアムは気になって仕方がなかった。
「お前、絶対開けるなよ」
「開けるつもりはねえよ。にしても、頑丈そうなケースだな」
「実際馬鹿みたいに頑丈だぞ。ランチャーの衝撃にも耐えられるように作られたケースらしい」
へぇ、と言いながらウィリアムはそのトランクケースに触れた。ただの興味本位、どれくらい頑丈なんだろうという程度の好奇心だった。
「そりゃあ旅行カバンにしちゃあ頑丈すぎ……だ?」
「おい、ウィリアムどうした?」
「……ブラウン、いますぐこれを開けるぞ」
「はぁ!?」
ウィリアムは腰に差してあった拳銃をケースの鍵の部分に向かって撃ち込んだ。しかし、傷一つつかないケースにウィリアムは舌打ちをする。
「ブラウン、これの鍵を持ってないか?」
「持ってない。いや、そんなことよりもお前は何をしてるんだ!? ケースが頑丈だとはいえ、中身に何があったらどうするつもりだ!!! それに、向こうは中身のことをわざわざ伝えてこなかったんだ。中身を知ってしまったら俺たちは依頼主に殺されてしまうかもしれないんだぞ!?」
「だとしても、さすがに中身がヤバい。このトランクケースの中身は、生きた人間だ」
「なんだと?」
「向こうの手違いかもしれんが、この荷物を生きたまま届けなきゃならないんだとしたらここで死なせるのは不味いだろう? 下手をすれば、お前の責任問題にもなる」
「それは、そうだが……というか、お前はどうしてケースの中身が人間だって分かるんだ!?」
「そういう力が俺にはあるんだよ」
ウィリアムは再びトランクケースに触れる。すると、中から生きた人間の波動のようなものを感じた。普通の人間ではそんなこと感じ取ることはできない。しかし、ウィリアムにはそれができるのだ。
中の人間がかなり弱っているのをウィリアムは感じ取る。このままでは中身は死んでしまうかもしれない。
───仕方がねえか
トランクを開けるのを一旦諦めて、ウィリアムは中にいる人間を助けることに決める。ウィリアムは自分の内側から力を引きずり出して、ケース内へと充満させた。
「これは……ッ!?」
すると次の瞬間、トランクケースが弾け飛んだ。その衝撃の強さにウィリアムは吹っ飛ばされ背後にいたブラウンを巻き込んだ。
衝撃によってふらつく頭を抑えながらウィリアムは顔を上げる。トランクケースがあった場所には青々とした瑞々しいツタが生えていた。
そして、そのツタに包まれように美しい少女がスヤスヤと寝息を立てている。その光景は、神話をモチーフにした絵画を思わせるように美しくまた幻想的だった。
「やっぱり開けて正解だったな」
顔を青ざめているブラウンを横目に、ウィリアムはそう呟いた。
ブクマ、評価ありがとうございます。