なろうは『楽しんだもの負け』なのか
最近、どうやらまたクラスタ話が持ち上がっているようだ。
以前「なろうを楽しめよ、このビクビク野郎どもhttps://ncode.syosetu.com/n6623hh/」というエッセイを書いたことがある通り、俺はこうした問題をバカらしいと感じている。
【自然な流れでなろうを楽しめば、それは疑心暗鬼を生むものになる】
なろうに初めて投稿をした。誰も読んでくれないかと思いきや、意外に読まれるものだ。pvが30もついた。すげぇ!
他の人のも読んでみたら、感性の合う作者さんを見つけた。お気に入り登録すると、あちらも逆お気に入り登録してくれた。嬉しさにその人の作品をいっぱい読んで、ポイントも進呈した。
投稿し続けてたら感想がついた。めっちゃ嬉しい。この嬉しさを他人にもと思って、自分も色んな人の作品を読み、感想をつけるようになった。
そうしているうち相互さんが増えた。さらに色んな人のを読んではいるが、やはり主に読むのはいつものお気に入り作者さんのものになる。投稿があったことが通知されるからだ。初めての作者さんのものにもポイントや感想をつけてもいるが、ランキングにない人のは見つけようがないこともあり、自然と相互さんやランキング上位の作品を中心に読むことになる。
相互さんが増えた人のものは当然、読んでくれる人も多くなる。それが仲間うちのみでの評価の交換となり、読んでもいないのにそれをするならば当然クラスタと呼ばれてもいかしかたない。
しかし、投稿されて目についた作品を広く読み(とはいえ前述した通り制限はあるが)、なろうを盛り上げようと思って旺盛に活動している人は、相互の少ない人から見れば、クラスタと見分けがつかない。
ゆえに、なろうにおいては、自作執筆にとどまらず、それ以外のことまで広く頑張って活動している人は、疑心暗鬼の目を向けられ、白い目で見られることになるのである。
広くなろうを楽しもうと思えば自然とそういう流れになるので、なろうはビクビクした場所になることになる。
バカとしか思えないw