蜻蛉姫
「パーシー!あなた、また熱を出したんですってね?」
「たいしたことはないよ、キャス。ところでその話、誰から聞いたの?」
少し苦しげな声でパーシーが聞いてきた。どうしようと首を捻る。
いつもの衛兵のおじさんも、お庭の手入れをしていた背の高いお兄さんも、ここへ来る前におじゃました王妃様、皆がそう言っていったと言えば、きっとパーシーは恥ずかしがるだろう。
うーん……
「忘れちゃったわ」
でも、パーシーの声を聴いて直ぐにわかったもの、誰に聞いたかなんて関係ない。
そう簡単に答えると、どこかでチッ、という音が響いた。
ん?何かしら、と首を振ってみるけど、ここにはソファーに座っているこの部屋の主である第三王子のパーシー……とと、本当はパーシヴァル殿下と呼ばなければいけないのだけれど、ついいつもの癖で名前呼びしてしまう。
それと、その乳兄弟である従者のロイ、それからこの私、キャサリン・ランドルテの三人だけ。
まさか真面目なロイがそんな舌打ちみたいなことするわけがないのできっと空耳でしょう。
それに私はおっちょこちょいなところがあるから、よく聞き間違えをしてしまうことがある。きっと今のもきっとそうに違いない。
それでも、『わからないことがあれば必ず僕に聞くこと』と言われているので、いつものように声をかけた。
「ねえ、パーシー。今なにかがチッ、と鳴ったような気がするのだけれど気のせいかしら?」
「ああ、今日は朝と昼間の温度の差が激しかっただろう?昨日まで雨も降っていたし、そういった時は部屋の天井の梁が音を出しやすいんだよ」
「へー、そうなの。やっぱりパーシーは頭がいいのね」
パーシーは熱が出やすかったり疲れやすかったりと、少し体が弱い体質だけれども、それを補うくらいにとにかく頭がいい。
普通この国の王子様たちは十三歳から十八歳まで王立学院で他の貴族の人たちや特に選ばれた市井の人たちと一緒になって勉強をすることになっているのにもかかわらず、今年十六歳になるパーシーは通うことはせず、日々王宮の中で過ごしている。
そうして、学院で勉強することよりもずっと難しいことを、特別に教えてもらっているそうだ。
「さあ、キャス。せっかく来てくれたのだから紅茶でも飲んでいって。美味しいお菓子があるんだ。ロイ、用意を」
「じゃあ、お言葉に甘えて。あ、ロイ、紅茶にお砂糖はなしでね」
私のその言葉に、少しだけ目を見張ったパーシーが、何事だろうと首を傾げた。
実はさきほども王妃様のところでお茶いただいてきたところなのだ。さすがに二杯続けてお茶を飲むとお砂糖の取りすぎだと思う。
けれども、パーシーのお誘いは断れない。なんといってもパーシーは私の好みのお菓子を用意してくれる。そう告げると、優しい笑顔に変わった。
「それは勿論。キャスのことは僕が一番よく知っているのだからね」
確かにそうだった。私好みのふにゃふにゃのクッションが置かれた、日差しがきっちりとあたる温かい場所のソファーへと座るようにと勧められる。
そこへ、ぼすんと座り込むと、私の正面にパーシーの綺麗な顔がみえた。
「それで?一緒に来たアンジェリカ嬢はマクシミリアン殿下のところかい?」
「あら、私そこまでお話ししたかしら?」
今日はアンジェお姉さまが婚約者である前王弟、マクシミリアン殿下の宮に呼ばれたのをいいことに、私も付いてきてしまったのだ。
「いや、でもわかるさ。今はカストバール公爵もランドルテ伯爵も忙しいだろう?とても君を連れて来られる時間はないよね」
パーシーの言う通り、カストバール公爵である私のお祖父様は、半年後、その公爵位をお父様のランドルテ伯爵に譲り渡す準備がある為、普段以上に忙しくされている。
その上でさらにその次の月にはアンジェお姉さまの結婚式となり、そこでマクシミリアン殿下が臣籍降下なされ、ランドルテ伯爵家を継がれることになるのだ。
つまり、御目出度い行事が目白押しで、邸ではお母様を筆頭に皆が忙しく立ち回っている真っ最中。
成人もしておらず責任もない為、一人暇を持て余している私を王宮へ連れて来られる者が、婚約者と打ち合わせの多いアンジェお姉さましかいないという推論を説明してくれた。
「でも暇だからと言って、あまりあちこちをフラフラしていたらダメだよ。王宮の中だからといっても、君は貴族の令嬢なのだから」
私がここに来た理由までをしっかりと当てられてしまった。本当にパーシーは頭がいい。
でも、もう一つの理由はまだ気が付いてないようだ。
ほっとしながら焼き菓子を一つ手に取った。それをさあいただきましょうと口を開けたところで追い打ちがかかる。
「それからあともう一つ。あまりオルストン騎士の仕事の邪魔はしないようにね」
ああ、やっぱりバレていた。
モニカ・オルストン騎士は我が国では珍しい女性騎士。今まではマクシミリアン殿下に付き従い、ずっとラフランカルドへ行っていらしたのだ。
マクシミリアン殿下の帰国により一緒に帰ってこられたのだけれども、これが一部の女性たちに大人気となった。
その美しくもりりしい立ち振る舞いと、よくお似合いの騎士服が相まって、今この王宮で最も熱いラブコールを送られている内のお一人だった。
でも、私はそんな黄色い声援を送るお姉さま方とは少し違う。見目麗しいから追いかけているわけではない。
大体パーシーも何もこの大口を開けているタイミングで言わなくてもいいのにと思いつつ、焼き菓子を手に持ったまましぶしぶと答える。
「邪魔はしていないわ。ほんの少しだけお話を聞かせてもらっていただけよ」
「本当に?」
「本当に!」
私に疑いの目を向けるパーシーを無視して、ようやく焼き菓子を口にする。うん、やっぱり美味しいと、サクサクの触感を楽しむように噛みしめていると、少し固い口調で釘を刺された。
「騎士になろうだなんて、考えていないよね」
んぐっ。焼き菓子に入っていたナッツがそのまま喉に直撃する。
「なっ、な……ん、ごほっ、そんな、ことっ……ん、ん……考えるわけ、ぐっ」
淑女らしからぬ咳き込みながらの返事をすれば、呆れ顔のパーシーが私の目の前にお茶のカップを差し出してくれた。そのお茶を飲んで一息をついてからパーシーへと向き直った。
「ほら、ラフランカルドのお話をちょっとお聞きしたかっただけ」
嘘を吐く時は本当のことを混ぜると言いと教えてくれたのはアンジェお姉さまの婚約者のマクシミリアン殿下だ。しかし、そんな言い訳がパーシーに通用する訳もない。
――そう、私は小さな頃からずっと騎士への夢を持ち続けている。
お祖父様やお父様にくっついて王宮へ遊びに来ている内に、騎士様たちの格好良さに憧れた。
あんなふうに騎士服を着こなして、剣を持ち、国王陛下や王妃様、そしてパーシーを守るのだ、と。
そのために、子どものころから剣術を習い始めた。自分で言うのもおこがましいとは思うけれど、それなりに強い。少なくとも虚弱なパーシーよりはずっと。
そのせいか、いつの間にか私には『蜻蛉姫』などというあだ名までついてしまった。
せわしなく飛び回る蜻蛉。
まるで魔女の針のような剣を持ち、そこら辺りを斬りつけ回る。
細身で尖った刀身のレイピアを使う私としては、噂半分、真実半分といったところだ。ただ、私としてはそんな二つ名もそう悪くないと思っている。
なんといってもお祖父様の叔母様にあたるシェリーゼ様は、鮮血の薔薇姫という二つ名を持ち、獅子王クロウスナイド陛下と共に戦場に立ったのだから。
けれども最初は見守ってくれていたお父様もお母様も、私が成長するにしたがって段々と良い顔をしなくなった。
そうして、淑女マナーやダンスのレッスンが増え、とうとう先日、剣を習うことを止められてしまった。社交デビューが近いのだから、ケガをしないでちょうだいと、お母様から泣かれてしまうと言うことを聞かざるをえない。
だからまず、社交デビューまでは諦めたふりをして大人しくしていることにした。とりあえずお母様の言う通りデビューして、それから交渉しようと決めたのだ。
その騎士になる夢を、掲げた時と同じくらい前から聞かされ続けているパーシーは、私が諦めていないことを知っている。
「君はランドルテ伯爵家の……いや、我が国の勇、カストバール公爵家のお姫様となるのだからね」
「わかっているわよ……」
「いいや、わかってない。わかっていないんだ」
はあ、と小さなため息を吐いたのと同時に、急にパーシーは咳き込み始める。
まだ何か言いたそうな雰囲気ではあるけれど、これ以上お小言もいわれたくないので、お休みの邪魔をしてごめんなさいねと告げて、私はそこでパーシーの部屋を出ることにした。
お姉さまには内緒でパーシーのところまで来てしまったから、そのことがバレないように人の通りが少ない廊下を選んで歩く。
小さな頃からお祖父様について回り、その辺りは本当に慣れたものだというのに、パーシーは本当に心配性だと思う。
そうして歩いていると、廊下隅の行き止まりの扉の辺りで、ちらりと動くピンクが目の端に入った。
普段から人気のないこの廊下、ただでさえ人がいるというだけで珍しいのに、その人影はさらに声を押さえて会話をしている。
「いけませ……様、私には……そんな、」
「いいえ、……です。私たち……きっと、……です」
ひそひそと話す言葉の端々から、きっと人に聞かれたくないことを話しているのだと言うことはわかった。それ以上聞いてしまわないように、私はその場から早く立ち去ろうと足を速めお姉さまのところへと急いだ。
それでも結局、戻りが遅いと心配したアンジェリカお姉さまに小言をもらってしまい、しばらくの間は王宮へ連れて来ないと言われてしまった。
***
剣を持つことは休止中でも、体を動かすのは毎日の日課の中に組み込んでいる。
今日もいつものように運動の出来る姿になり裏庭で走っていると、クリスティーナお姉さまとその婚約者であるアルフレッド様を見つけたので、そこからは一緒になっておしゃべりしながら屋敷へと戻った。
すると下働きの一人が私宛にと一通の手紙を持ってきた。普通はこんなことはあり得ない。
「私に?どうして今ここへ?あなたが?」
疑問をそのまま口にすれば、その下働きの女の子がしどろもどろ答える。どうやら買い物に出た時に、身なりのいい女性から渡されたのだという。
そうして、『こっそりと渡して欲しいという言葉とともに銀貨一枚貰ってしまった』と、プルプルと震える握りこぶしを開いた。
「ランドルテ伯爵家の品位にもかかわる。以後は二度と軽はずみな行動はしないように」
アルフレッド様が顔をしかめながらきつく言い渡し、その手紙を掴み取ると、下働きの子は泣きそうになりながら走り去ってしまった。
宛名を確認したアルフレッド様は、眉間の皺をさらに深める。
「スコット・ジョイスン。ジョイスン伯爵家の次男からだ」
「どこかでお会いしたことがあるかしら、キャス?」
「知らないわ。会ったことも見たこともない人よ」
「学者の卵さ。去年までは学院に在籍していて、今は王宮の機関にいるのだと思う。……キャサリン、確認しても?」
私が頷くとアルフレッド様がその場で開封して中の手紙を開く。正式に届いてものでもない手紙など、わざわざ部屋に戻って読むこともなければ返事の必要もないと思った。
そして一読して危険がないと判断したアルフレッド様は、私に開いたままの手紙を返す。
「ええと、ふんふん……んー……なんだか意味がわからないわねえ。お忙しい伯爵家の皆様に代わり、貴女の無聊を慰めたいとかなんとか書いてあるわ」
「失礼極まりないな」
「本当よ。私はいつだって退屈な時間など持てあましていないのに」
「……でも、気持ちが悪いわ。知らない方からそんな手紙をいただくなんて。しかも、下働きの子を使ってまで」
クリスティーナお姉さまが見た目通りの繊細さで私を気にかけてくれる。
確かに。これが人目を忍ぶ恋仲なんて話ならまだしも、会ったこともない人からの手紙というには、少し図々しい文言だ。
どういうことだろうと考えていると、アルフレッド様が切り出した。
「これを少し貸してもらえるかい、キャサリン?気になることがあるから、少しスコットを調べてみたいのだが」
「あら、いいわよ、アルフレッド様。一つお願いを叶えてくれたなら、持っていってくださって構わないわ」
「で、今日はアルフレッドに連れてきてもらったというわけかい、キャス」
「そうよ。だって、パーシーに聞きたいことができたのだもの」
アンジェリカお姉さまに叱られてから、連れてきてもらえなかったため、久しぶりの王宮だ。それなのに、なんとなくパーシーの態度が素っ気ない。
そしてそれはアルフレッド様も同じで、どうやら私の存在が邪魔のようだ。例のジョイスン家のスコット様については私への不可思議な手紙以外にも色々とあるのかもしれない。
「でもまあ、アルフレッド様に先をお譲りするわ。私は今から少し、オルストン騎士にお話を聞かせてもらいますね」
「彼女ならこの時間ならば練武場だろう。ロイ、キャスを案内してくれ」
「いやだわ。練武場の場所なら目を瞑っていてもたどり着けるのに」
「キャス……」
「はーい、わかっていますって。じゃあ、また後でね、パーシー」
パーシーの心配性は今に始まったことではないので、ここは素直に聞いておこうと、ロイを伴って部屋を出た。
それから練武場へと足を運ぶとそこは、黄色い声で騒ぐ見学者たちの一段と賑やかな声に包まれていた。
「あらいやだ、ゲイブリエル殿下もいらっしゃるのね。だったら来るんじゃなかったわ」
「ランドルテ伯爵家のご令嬢方くらいのものですよ。そうおっしゃられるのは」
「ロイ、間違えてはだめよ。アンジェリカお姉さまは貴族としての矜持高くいらっしゃるし、クリスティーナお姉さまは天使のようにお優しいから、思っていても絶対にそんなことはおっしゃられないわ。つまり、私だけよ。正直に口に出すのは」
苦笑いするロイを横目に、練武場へと視線を移す。
ゲイブリエル第二王子殿下は今年十八歳になるなかなかの美丈夫だ。おそらく王太子殿下とパーシーの三兄弟で並べば、大抵の令嬢方はゲイブリエル殿下に目が釘付けになるだろう。
けれども私たち姉妹は知っている。第二王子殿下の頭の中がどうしようもなく空っぽなことを。
「ほら、今だってあんなにはしゃいでしまって……あら、あの方……」
手合わせを終えたらしいゲイブリエル殿下が駆け寄った先に居る少女を見て驚いた。
明るいストロベリーピンクの髪をした可愛らしい女の子が、眩しい笑顔で仲良く殿下と談笑している。
「オールトン侯爵家のベアトリス様……ではないわよね」
ベアトリス様はゲイブリエル殿下の婚約者だけれども、侯爵家令嬢の名に恥じない、立派なレディだという噂だから、あんなふうに大口を開けて笑うことはしないはず。
「ああ……あのお方は、プリシラ様です。ロジエンダ男爵家の。王立学院のご学友と聞いております」
どうも歯に挟まったようなものの言い方だ。
あれだけ密着していては流石に頭が良くないと自覚している私でも、言葉通りに受け取ろうとする方が難しい。それに――
とにかくここにいてもあまり気分の良くないものを見せられるだけだと思い、パーシーの部屋へと戻ろうと踵を返した。が、一歩遅かった。
「そこにいるのはキャサリンではないか?挨拶もなしで帰るつもりか?」
運悪く、ゲイブリエル殿下に見つかってしまった。正直無視したいくらいだけれども、それはそれで角が立つ。ドレスの裾を持ち、軽く足を曲げて挨拶をした。
「お久しぶりでございます、ゲイブリエル殿下。ご学友との歓談中、お邪魔になってはと思い、戻ろうかとしたところでした」
ご学友という言葉が癪に障ったのか、へらへらと寄ってきた足を止める。
「ふん、相変わらず頭が良くないな。そんな風に見えたとは」
「あら、違いまして?随分と親しい仲に見えましてよ。私、目はとてもよろしいのですわ」
「ああ、お前は『蜻蛉』だからな。じゃじゃ馬、はねっこの、でか目娘だ」
私の『親しい仲』という言葉にゲイブリエル殿下は満足したように頷く。
けれども、殿下の隣でなよやかに立つプリシラという名の少女の方は、私の返事を聞くと小さく震え出した。
「どうした、プリシラ?気分が悪いのか?」
「ええ……ゲイブ……いえ、ゲイブリエル殿下。少し寒気が」
「ならばもう戻ろう。稽古も終わった」
そう二人の世界に入るや否や、そそくさと練武場から立ち去って行ってしまった。
私は今見たことと、そしてこの間見かけたことの二つの事実を持ち、今度こそパーシーの部屋へと戻ることにした。
「ねえ、あの……ええと、男爵家の……プリシラ様!この間、東棟の四番廊下の九番目の柱の奥で男の方と抱き合っていたのよ。でも、お相手はゲイブリエル殿下ではなかったわ」
部屋に入ってすぐに自分が見たままのことを告げると、パーシーとアルフレッド様が二人揃ってため息をついた。
「キャサリン、それは本当か?確かに彼女だと?」
「勿論。私、目はとても良いのよ。髪の色に体型、声も一緒。間違えようがないわ。それに騎士にとって方向音痴は致命的だから、普段から場所の確認は常に意識しているの」
「アルフレッド、キャスの見る目は確かだよ。僕が保証しよう」
「はい、それは承知しております。が、そうなると、やはり……」
「だろうね。しかし、全くもって厄介なことになりそうだ」
もう一度大きなため息を吐き出した後、パーシーは中指で眉間をトントンと叩く。これはパーシーが深く考え事をしているときの癖だ。
「ねえ、パーシー。私がプリシラ様と一緒に見かけた男性が、そのジョイスン様なのかしら?」
今しがた知った事実にうずうずした私は、二人の会話に飛び入り尋ねる。
パーシーは手を止めて目をぱちくりと開いた。
「そうだ。十中八九、間違いはないよ。スコット・ジョイスンは学院に在籍中からプリシラ嬢にかなり熱を上げていたらしい。……ゲイブと同様にね。けど、どうしたの、キャス?そんなことが、今日聞きたかったことかい?」
「そうよ。だって、あまりに突然で気味が悪かったのだもの。いつも言ってくれているでしょう?わからないことは全部パーシーに聞きなさいって。でもこれでスッキリしたわ」
「ならばわかるよね。彼らには近づいてはいけないよ」
私が笑顔で返事をすると、同じように笑みを見せるパーシー。
「とにかく、もうあいつらの尻ぬぐいは御免こうむりたい。ただでさえ学院内でのいざこざが増えているというのに」
アルフレッド様が苦々しい口調で言い放つと、パーシーも同じくと頷いた。
「こちらにも報告が上がってきている。しかしアルフレッドには悪いが、もう少し学院の様子に目を光らせて、連絡の頻度を上げてくれ」
そんなパーシーの言葉に天を仰いだアルフレッド様には少し可哀想だけれど、これでティナお姉さまとお喋りする時間が増えるかと思うと、私としては嬉しい結果となった。
***
「え……本当に?」
「はい。仮にも王家に連なる御方が、門前で助けを請われているものを捨て置くわけにもできませんので……」
「いいわ、入れて差し上げてちょうだい。ああ、念のために医師も手配してね。本当にご病気だったらいけないから」
恭しく頭を下げて家令が手配に動き始めたけれど、その表情はとても不満そうに見えた。実際、ランドルテ伯爵家の門の前でこれ見よがしに苦しみだして助けを請うなど馬鹿げている。
しかもそれがあの頭空っぽゲイブリエル殿下が乗る馬車からの要請などとは……絶対に何かある。
こうなると、お父様やお母様、その上お姉さま方までもが留守にしている今このタイミングというのも、とても厭らしい。
それでも伯爵家の一員として挨拶をしないでいる訳にもいかず、適当に身づくろいをしてから応接室の扉をノックした。
すると、「入れ」などというひどく尊大な声が返ってきた。
「お久しぶりでございます、ゲイブリエル殿下。お連れ様のご加減がよろしくないとお聞きいたしました。ただいま医師を呼んで参りましたので、もう少しお待ちください」
「ああ、馬車に酔っただけらしい。常備薬も飲んだし、少し休めば落ち着くだろう。そうだな、プリシラ」
「はい、ゲイブ……あ、ごめんなさい」
「いい。ここは王宮ではないし、自由に呼ぶがいい」
鷹揚に答えているつもりなのだろうけれど、にやにやと脂下がった顔にしか見えない。
そんなことは二人だけでやって欲しい。そうでなくとも婚約者のいる王子殿下が、そのお相手とは違う貴族令嬢と二人だけで馬車に乗って出かけているところになど、行き合いたくはなかった。
「それでしたら、しばらくこちらでお休みください。侍女をつけておきますので、お帰りの際は彼女に伝えれば全て手配いたします」
儀礼的にそれだけ伝えた。すると、甘ったるい声がそれに被さるように響く。
「キャサリン様、私お化粧室へ行きたいのですが……案内していただけますか?」
「ええ。メイ、案内して差し上げて」
「私、キャサリン様にお願いしたのですが……殿下」
プリシラ様の拗ねたような声が響くと、侍女のメイや家令の周りの空気がピシッと音を立てた。
単なる一男爵令嬢が、これから公爵家の令嬢と呼ばれることとなる私に案内をさせることに怒りを隠せないようだ。
しかしこれでも今日のところは第二王子殿下の同伴者である。あまり大げさに彼のプライドを刺激させない方がいい。そう思ったからこそ、私はゆっくりと扉を開けた。
「それではご案内いたしますわ、どうぞ」
ランドルテ伯爵家で働く者たちは教育が行き届いていると自負している。そんな家令や侍女たちが驚くほど、プリシラ様の立ち振る舞いは幼かった。
まだ社交デビューしていない私が思うほどにだから相当なものだろう。
「ねえ、キャサリン様。あのね、私あなたとずっと仲良くしたいと思っていたのよ」
「そうですか」
「だってあなた、ずいぶんとお転婆なんですってね。きっと私と気が合うわ」
とんでもない言い草だ。一緒について歩くメイの青筋がとんでもないことになっている。
「そうでしょうか?」
「ええ。ゲイブ……あ、ゲイブリエル殿下から聞いたの。私も小さな時はお転婆で、よくお家の中を走り回って……」
「でも私は、誰かれ構わぬと抱きつくようなことは致しませんわ」
「あ、あ……」
ひゅっと息を飲む音が聞こえ、途端にプリシラ様はふらりとその場に倒れ込んだ。
あまりに聞きがたい話にうんざりして、つい先日のプリシラ様の逢瀬のことをそれとなくぼかしただけなのに、ここまで驚くとは思わなかった。
ゲイブリエル殿下へプリシラ様の様子を伝えると慌てて駆け寄り医者だ医者を呼べとわめきたてる。
もう本当に面倒くさい。今初めて、あの日天を仰いだアルフレッド様の気持ちがわかったような気がした。
***
半月の間に三度の王宮への訪問は、さすがの私でも多すぎると思う。そう思っているはずなのに何故私が今日ここへ来ているのかといえば――
「キャサリン・ランドルテ、お前がプリシラのありもしない虚言を振りまいたこと、許しがたい。しかしながら我がプリシラたっての願いを聞き入れ、お前には謝罪の機会を与えてやる。さあ、跪き許しを乞え」
ゲイブリエル殿下からの正式な呼び出状に応え、渋々と指定された練武場に出向けば、いちゃつく二人の前、砂の舞う地面を指さされ告げられた。
虚言とは何の話だろう。殿下の後ろに立ち私を睨みつける取り巻き二人、スコット・ジョイスン様とジェフリー・アズドラック様はともかく、護衛についている騎士の方々も、困惑の色が隠せていないようだ。
「あら、もしかしてプリシラ様がスコット・ジョイスン様と王宮の廊下で抱き合っていたというお話でしょうか?でもそれは……」
「ば、ば、馬鹿なっ……!それは私が、プリシラ様を慰めていただけだ!だ、抱きしめていたなど……嘘、です」
「そうよ!っ……ゲイブ、私そんなことしていないわ!ゲイブ以外の方の胸の中になど……考えただけでも気持ちが悪くなる」
それは、パーシーとアルフレッド様にしか話してないと続けようとしたところを、スコット様とプリシラ様に大声で遮られた。
何故か傷ついたような表情のスコット様と、そのスコット様を睨みつけるゲイブリエル殿下。片方の手でプリシラ様をなだめるように優しく撫でた。
「わかっている、プリシラ。もう二度とそんな事実無根の虚言を、何人たりとも言わせない。だからこそ、ここでその噂の主にきちんと謝罪させよう、な」
正直な話、彼らの言っている話の意味がほとんど分からない。
しかし一つだけ分かるのは、私には全くといっていいほど謝罪するべき点がないことだ。
「わかりました」
「ふんっ、最初からそう言えばいいものの……」
「いいえ、私には関係のないお話だということが分かったと言うことです。これ以上お話がないようでしたら帰らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「な、な……っ、キャサリン、ふざけたことを申すな!」
「ふざけたことと言うのは、何の瑕疵もない者に対し、謝罪を要求すると言うことです。しかも、騎士を盾に練武場で地面にひれ伏せなどと言うのならば、それ相応の対応をしてもよろしいということですね、ゲイブリエル殿下……私も騎士を目指す身。それなりの矜持というものもございます」
ぎろりと睨みつけると、ゲイブリエル殿下の足が一歩下がった。
よし、もうどうなってもいいからやってしまおうと、拳に力を入れたところで突然私を止める声が響いた。
「ふぉっふぉっふぉ。そこまでじゃ、キャス」
「……お祖父様!」
パン、パン。と、軽く両手を叩き、カストバール公爵である私のお祖父様が練武場へと入ってくると、周りの騎士たちの表情と姿勢がより一層引き締まった。
三代前のウィルクベント王国中興の祖、獅子王と呼ばれたクロウスナイド陛下の右腕として戦場を駆け巡りまわったお祖父様は、騎士からみれば生ける伝説だ。
私たち三姉妹にはお優しい顔しか見せない好々爺ではあるが、このウィルクベント王国の剣として今もその影響は絶大である。
「どうして、こちらへ?」
「うむ、うちの可愛いお転婆娘が囲まれ虐められていると聞いてなあ。野暮ではあると思ったが、じじいが出張ってきたというわけじゃよ」
その言葉に周りの騎士たちの顔色がみるみる青くなる。
「あら、虐められてなどいませんわ。ただ、いわれのない濡れ衣を着せられていただけです」
そう。とっても素敵なびしょ濡れの嘘を。ちらりとゲイブリエル殿下へと視線を動かせば、騎士たち以上に真っ青になっている。
「なるほど……ならば、キャスはどうしたい?」
「はい。勿論、自信の名誉のために、私に事実無根の罪を押し付けた者に対し、決闘を申し込みますわ」
私の言葉に、その場にいる者の多くが息を飲んだ。
「では、私が」
そう言ってゲイブリエル殿下とプリシラ様を守るように一歩前に出たのは、ジェフリー・アズドラック様――アンジェリカお姉さまの元婚約者だった男。
一方的な婚約解消の件でアズドラック侯爵家から見放され騎士見習の任も解かれたと、お姉さまの新しい婚約者であるマクシミリアン王弟殿下に聞いていたのだけれども、まだこんなところにいたのかと違う意味で感心した。よくもまあ、この場に出られたものだと。
「いいえ、ジェフリー様は関係ありません。私を貶めたのは三人。私の言葉を嘘だと言い切った、スコット・ジョイスン様と、プリシラ様、そしてゲイブリエル殿下ですわ」
にっこりと笑ってそう告げると、プリシラ様以外の二人はヒィッと肩を竦めた。
ゲイブリエル殿下はファッション剣舞しかできないので負ける気はしないし、いかにもひょろひょろとしたスコット様はそれ以前の問題だろう。
どちらが出てきてもコテンパンにして叩きのめしてあげよう。いえ、いっそ二人まとめて医者送りにしてもいい。
そんなことを考えながら剣を受け取ろうとして出した手を、お祖父様に止められた。
「え……?」
「キャスよ。どうも今回はレディとしての信用の問題のようだ。だとしたら、戦うべきはそのレディの騎士でなければならないだろう?」
「でも、それでは……」
一体誰に戦わせようというのだろうか。この場にいる騎士は皆中立の立場にある。
私の味方といえばお祖父様しかいないのだけれど……まさか?
「安心しろ。この老いぼれが戦うわけではない」
よかった……万が一でもお祖父様が出てしまえば、相手はコテンパンどころか一瞬で真っ二つになるだろう。
少し前から持ち始めたという、金魚の柄がついた杖もちゃっかり刃が仕込んであるのを知っている。
王族相手でも、もし決闘ともなれば容赦しないのがお祖父様。
しかしそうなると……
「うむ、来たようだな。そなたら道を開けろ」
お祖父様の声で、あっという間に道が開ける。その向こう側に見えたのは、美貌のモニカ・オルストン騎士。
え、彼女が?そう思ったのも束の間、その隣には少し重そうに剣を持つパーシーの姿があった。
「嘘でしょう!?止めて、パーシー!」
パーシーは体が弱い。
昔からちょっとしたことでも風邪をひき、すぐに体調を崩す。だから王族の嗜みとしての剣舞だって習ってこなかった。
それなのにいきなり剣をもつなんて無理な話だ。
慌てて駆け寄ろうとする私の手を、お祖父様は掴んで離さない。
「お祖父様!お祖父様だって知っているでしょう?パーシーは……」
「聞かんか、キャス。パーシヴァル殿下とて、いつまでも体の弱い小さな男の子ではない」
「そんなこと……」
そんなこと知っている。パーシーは私よりも二つ年上で、体は弱いが頭が良くて、とてもとても頑張り屋だ。
いつの間にか身長だって私よりも随分と高くなった。
手の平だって大きくて……そして力強くなっていた。
「レディの名誉を守るのは、一人前の男の仕事だ。だから、わかるな?」
パーシーは騎士ではない。
それでもパーシーは一人の男性として私の名誉を守るために戦ってくれるのだというのだ。
つまり、それは……
両手をぎゅっと握りしめる私の前に来ると、パーシーは持っていた剣を捧げるように差し出した。
「カストバール公、キャサリン嬢の名誉のために戦う権利をいただけたこと、この上なく感謝いたします」
「ふむ……わしを失望させるなよ。ベル坊の倅」
「お祖父様、そんな言い方はないでしょう!」
「はは。いいよ、キャス。いいんだよ」
お祖父様が呼ぶベル坊とは、現国王のベルフェイド陛下のことだ。この辺りは一言では言いあらわせることができない確執があるようだが、詳しくは教えてもらえない。
「君はまた心配するだろうけれど、僕にとってはキャスの名誉のために動けない方がつらいんだ。だから、ここは僕にまかせてくれないか?」
「パーシー……」
パーシーの決意に私がコクリと頷くと、それを見ていたゲイブリエル殿下があざけ笑うように声を立てた。
「な、なんだ。寝たきりパーシヴァルが相手だって?笑わせるな……ハハ。いいさ、ならば俺が相手をしてやろう」
相手が私でなくパーシーだと分かった途端、得意満面の顔で剣を持つ。なんという現金さ。
あまりにも底が浅く、やっぱりゲイブリエル殿下は空っぽなのだと思った。
「見ていろ、プリシラ。俺の愛しい苺姫。お前の名誉のために、俺があいつを完膚なきまでに叩き、キャサリンに謝罪させてやる」
そう息巻くゲイブリエル殿下の後ろで、愛する彼女は他の男の手を握っているというのに。
二人の殿下の間に立ち、オルストン騎士が決闘の段取りを取る。その間にもゲイブリエル殿下はにやにやとした表情を見せ続けていた。
始めの声がかかっても、変わることなく聞くに堪えない言葉を吐き出している。
「振り回せるのか?そんなひょろひょろの腕で、お前が?俺が教えてやるよ。ほらほら」
剣の重なり合う音が、練武場に響き渡る。
習った剣舞のように剣を振り回すものの、ゲイブリエル殿下の剣は格好だけの剣だ。
それに引き換え、パーシーの剣はきっちりと敵に向かう。周りの騎士たちもそれに気がついたようだ。
パーシーの剣を握る手が、傷だらけになっている。きっと、私が気づかなかっただけで、もっと前からパーシーは剣の練習をしてきたのだろう。
徐々に、徐々に、ゲイブリエル殿下が押されながら後ろへと足が流れていく。
「バ、カな……俺が?パーシーなんぞ、にっ……!?」
あっ、と気がついた時にはゲイブリエル殿下が地面にひっくり返っていた。慌てすぎたために、足を滑らせたのだ。
呆然とするゲイブリエル殿下の顔の横に、パーシーが剣を突き刺すと、オルストン騎士の「勝負あり」の声が高々と練武場に響き渡った。
私はその声を聞くと、弾きひかれたようにパーシーの元へと駆け寄った。
パーシー、パーシー、パーシー!私のために戦ってくれた。
剣なんてちっとも好きじゃないのに、私のために――
「はっ、あんな『蜻蛉』のために、剣を持つなど酔狂だな」
ゲイブリエル殿下は格下に見ていたパーシーに剣で負けたことが悔しくて仕方がないらしい。顔を歪めながら悔し紛れに私のことを論った。
けれどもパーシーはとても冷静だった。
「ええ、キャスは自由で、気高く、強い、僕だけの『蜻蛉姫』です。兄上にはわからないでしょうが……」
そこまで伝えると顎をある方向へ向けた。
視線の先にはふるえながらスコット様にしなだれかかっているプリシラ様の姿。
「残念ながらあなたの『苺』は、蛇すら殺す毒苺でしたね」
「う……う、あ、貴様、らぁああ!」
ゲイブリエル殿下は目を血走らせながら、落ちていた剣を掴み立ちあがった。そしてプリシラ様たちの下へと走る。
このままではまずいと思った私は、パーシーの制止を振り切りゲイブリエル殿下を追いかけた。しかしドレスのままではさすがに追いつけない。
振りかぶった剣が下ろされるのを黙ってみるしかないのかと思ったその時、ヒュン、と空気を切るような音とガツンと何かがぶつかる音がほぼ同時に起こった。
一瞬の制止の後で、足から崩れるように倒れたゲイブリエル殿下の足元には、お祖父様の杖が転がっていた。
「しまった。柄の金魚が取れてしまったではないか……ティナに、何と言って説明すればよいかのう」
見事な腕前で杖を矢のように投げるその剛腕に、周りからは感嘆の声が漏れる。
そして、杖の当たった第二王子の頭の具合や、その元となった少女たちを気にするよりも、杖の彫刻部分を気にするお祖父様は、本当にお祖父様らしかった。
***
あの後、陛下直属の騎士様方が到着すると、気を失ったままのゲイブリエル殿下とプリシラ様たちが拘束され連れて行かれた。そしてパーシーも説明するためにと一緒についていってしまったのだ。
私はお祖父様と一緒に王宮から出て、しばらくの間大人しくしているようにと言い渡された。
一方的に巻き込まれただけだということはわかっているけれども、事後の片づけが終わるまではパーシーへ連絡を取ることも止められた。
そうしてちょうどひと月たった今日、アンジェリカお姉さまとクリスティーナお姉さまとともに、マクシミリアン先代王弟殿下の宮へとお呼ばれしてやって来た。久しぶりの王宮だ。
もちろんティナお姉さまの婚約者、アルフレッド様も一緒にお邪魔している。
「パーシー、元気にしていた!?」
「あまり元気でもないね。なにぶん、やらなければならないことが一気に増えたものだから」
そういうわりには、なかなか楽しそうだ。
結局、ゲイブリエル殿下は心神耗弱状態に陥り、第二王子としての責務を果たすことができないと判断され継承権を失った。
勿論病気は建前だ。
なんと彼らは先日の決闘だけでなく、なんの瑕疵もない婚約者を陥れ、あらたにプリシラ様を婚約者に祭り上げようと画策していたらしい。
本当に頭が空っぽだった。そんなことが本当に上手くいくとでも思ったのだろうか?
結局いくつものバカな計画が全て晒されてしまい、第二王子と言う立場に相応しくないとなったのだ。
その結果、パーシーの継承権が繰り上がり第二位となった。それが、先ほどのやらなければならないことが増えたという言葉の意味だった。
「正直、臣下としてはあの馬鹿の下につかなくてホッとしたよ。できれば学院で付き合わされる前にどうにかして欲しかったけど」
「別に僕が欲したわけじゃない。継承権は単なるオマケみたいなものだ」
「いやあ、若いっていいよね」
パーシーとアルフレッド様が言い合いしている中、マクシミリアン殿下がアンジェお姉さまの腰を抱きながらにこにこと合いの手を入れている。
「ところで、キャサリン嬢はもう騎士の夢は諦めたのかな?オルストンが、最近キャサリン嬢からの質問の手紙がこないと寂しがっていたが」
「え、ああ……そう、ですね……」
剣を使うのは今でも好きだ。鍛錬だって欠かしてはいない。けれども、最近はそこまで騎士にこだわらなくてもいいのではないかと思ってきている。
「パーシーに守ってもらって考えたのです。率直に言ってパーシーは、まだまだ体力もないし、剣の腕前も騎士見習いなりたての子よりも酷いけれど……それでも、守ってもらえてとても嬉しかった。そうしたら、気がついたんです」
ダメ出しをもらって少し気恥ずかしそうにしているパーシーの瞳をのぞく。
そこには、やっぱり少し恥ずかしそうに笑う私の顔が映っていた。
「私が守りたいのは、家族以外ならばパーシーだけだし、守って欲しいのもパーシーだけだなって。だったら、別に騎士にならなくてもいいんじゃないかしらって」
「ああ、キャス!キャサリン!僕もずっと、そう思っていた。君が僕の隣にいてくれることだけを願っていたんだ」
「本当に、パーシー?」
「勿論。ああ、今すぐにでもランドルテ伯爵へ、婚約の承諾を……いや、カストバール公爵か?」
先走って今にも出かけてしまいそうなパーシーを押しとどめる。お父様やお祖父様ではなく、まず陛下へお尋ねするべきではないのかと首を捻った。
パーシーへの気持ちに気がついた私としては、婚約は歓迎なのだけれどもさすがに気が早すぎる。少し落ち着いてもらうために、庭の散策へと誘った。
マクシミリアン殿下は花のアレルギーがあるために、この庭も花らしい花はほとんど咲いていない。
華やかさはないものの、小さな池や水草などがあり少し落ち着いた雰囲気だ。夏の盛りも過ぎた庭に、涼やかな空気が流れていた。
アンジェお姉さまとティナお姉さま、そして私の三人姉妹が揃って歩く後ろから、マクシミリアン殿下とアルフレッド様とパーシーの三人もついて歩いてくる。
とても、とても和やかなひととき。
そんな落ち着いた散策の中で、ふと開けた空間、目の端に動くものを見つけた。
「あら、真っ赤な蜻蛉がたくさんいるのね」
「あちらの蜻蛉……ふふ、可愛い。赤いハートの形よ」
「え……あ、本当だわ!見て、パーシー!二匹の蜻蛉がくっついてハートの形になっているわ。初めてみた……でも、どうしてあんな形になるのかしら?」
不思議よね、とティナお姉さまと一緒に首をかしげると、庭の主であるマクシミリアン殿下が優しい声で教えてくれた。
「あれは、恋人同士で愛を確かめ合っているんだよ」
「まあ、だからハートの形になっているのね」
片方のしっぽの部分が曲線を描き、もう片方の頭の部分にくっついている。そっちは窮屈そうに頭をまげてしっぽ部分を先ほどの蜻蛉の胴体にぴたりとつけていた。
可愛い赤いハートの蜻蛉たち。
「恋人同士……だったら私たちも同じようなことができるのかしら?」
ティナお姉さまが呟くと、アルフレッド様がゲホゲホと大きくえづいた。
「いや、その……ティナ……あの、ねえ……」
心なしか顔が赤いようだ。こんなに慌てているアルフレッド様を見たのは初めてかもしれない。
「うーん。君たちにはまだ少し早いかなあ。私たちは、もうす……ぐっ、げふ」
アルフレッド様に助け舟を出すように答えたはずのマクシミリアン殿下のお腹を、顔を真っ赤にしたアンジェお姉さまが肘で打った。
いつも貴族らしい姿を崩さないアンジェお姉さまのそんな仕草は初めてだ。
とてもびっくりしたけれども、咳き込みながら優しくお姉さまの髪を撫でるマクシミリアン殿下を見ていると、なんだかとても暖かい気分になる。
どうやらアンジェお姉さまたちは、この蜻蛉の愛情表現の意味を知っているようだ。だから、こんなにも素敵な気持ちになれるのだろう。
私はいつの間にか横に立っていたパーシーへと顔を向ける。
そうすれば、パーシーは柔らかな笑顔を見せてくれた。
そうね、私もお姉さま方のように、パーシーと素敵な恋人同士になってみたい。
「ねえ、パーシー?どうしたら私たちもあの蜻蛉みたいになれるのかしら?」
わからないことがあれば、必ずパーシーに尋ねる。いつだってそうしていた。
そして、これからもずっと私はそうするのだ。
少しだけ大きく目を開いた後で笑みをぐっと深くしたパーシーは、以前よりもずっとごつごつした右手を、掴むような形にして私の前に差し出した。
「ほら、キャスも、そう左の手を同じようにして」
言われるままに真似をして、パーシーのそれとピタリとくっつけた。
「まあ、ハートになったわ」
「これが君と僕の、愛の形だよ。どうかな、素敵な世界が見えないかい?」
二人で合わせたハートの向こう側は、今まで以上にキラキラと輝いた世界がみえるようだ。
「やっぱり、パーシーは頭がいいのね」
マクシミリアン殿下にも、アルフレッド様にも答えられなかった問が、あっという間に私の中に入ってくる。
「一生君のために答えを導くよ。だから、ずっと僕の側で飛び回っておくれ――僕の、僕だけの乙女」
傾きかけた陽の光がほんのりとオレンジ色に変わりかける池の前で、私はパーシーの言葉にゆっくりと頷いた。