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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

気まぐれなキミに、無償の愛を

作者: 津籠睦月

 無償の愛なんてあり得ない、見返りを求めない愛は難しい……なんて言葉をよく聞くが、聞くたびに「何で?」と不思議に思ってきた。

 だって、むくいや見返りを求めない愛や好意なんて、みんな、普通に持っていないか?

 当たり前にソレを使っていないか?

 なのに、ソレが、さも実現困難な人類の“課題”のように言う人たちの、その感覚が、俺にはイマイチ理解できない。

 

 だって、今日もうちのミィは、俺の愛なんて知らん顔で猫パンチをり出して来る。

 オヤツをあげても、でてあげても、機嫌きげんが良いのは最初のうちだけ。

 ちょっとしつこく撫で回そうものなら、シャーッと牙をいて爪を出して来る。

 それでも俺はミィのことを嫌いになったりしないし、世界で一番可愛い猫だと思っている。

 

 思えば俺は、一目見た時から、ミィに夢中だった。

 うちに来たばかりのころのミィは、手のひらにるほど小さくて、頼りないほどにやわらかくて、一緒に寝たりしたら、うっかりつぶしてしまうのではないかと心配で、布団ふとんに入れることもできなかったくらいだ。

 

 知らない家で、知らない人間たちに囲まれて不安だったのか、ミィは、ここにはいない母猫やきょうだい猫を呼ぶように、か細い声で「ミィ……ミィ……」と鳴いていた。

 聞こえるか聞こえないかのはかなく、いじらしいその鳴き声に、子どもながらに保護欲がくすぐられた。

 大切に大切に可愛がろうと、幼心に決めたのだ。

 

 ミィはタンポポの綿毛のように真っ白で、ホワホワした白猫だ。

 人間のように毎日風呂に入るわけでもないのに……むしろ風呂に入れようとすると嫌がって暴れるから、滅多めったに入れられないのに、不思議なほどにひとつの汚れも無く、純白の毛並を保ち続けている。

 

 肉球の色は、桜のような淡いピンクだ。

 猫の手足はズルいと思う。

 表から見ただけでも、絶妙に愛らしい、まるっとしたフォルムで、「だから家具に“猫脚”を付けたりするのか」と、妙に納得してしまうのに、裏返すと、あのプニプニした肉球が、ほわりとした毛の中にもれている。

 普段は丸くたたまれたその手のひらは、気まぐれにぴゃーっと開かれる。それはまるで、白い花がぱぁーっとひらいていくようだ。

 見るだけで顔がほころぶほど可愛くてたまらないのに、その手足は決して見た目が美しいだけのものではない。足音を消したり、高所から飛び下りた際の衝撃しょうげきやわらげるという、機能性までそなえているのだ。

 おまけに爪は出し入れ可能。キャットタワーに登る時にも役立つ便利な鉤爪かぎづめだ。

 猫という生き物は、どこまで可愛らしさと機能美を追い求めれば気がむのかと、ねたましくさえ思ってしまう。

 

 瞳は、金ともみどりともつかない、複雑で神秘的な色をしている。

 俺はミィと出逢であうまで、この世界にこんな色があるなんて知らなかった。

 まるで虹の光沢こうたくを持つ宝石のように、あるいは、日の光や周囲の景色を映し込んで何色にもきらめいて見える湖のように……猫の目は、いくつもの色と光を複雑にかしんでいる。

 なのに、真横から見ると硝子がらすのように透明な半球なのだ。

 それだけでも不思議なのに、暗がりで見ると、まるで違う色に光る。

 それ自体が光を放つわけではないその眼は、まるで神社の奥で妖しく光る鏡、あるいは闇夜に浮かぶ真円の月だ。

 

 俺はこんなにもミィにせられ、愛してやまないのに、ミィは何年()ってもなついてくれない。

 猫トイレを掃除そうじしたり、ご飯をあげたりと世話を焼いても、「かまい過ぎが良くない」と言われ、断食だんじきえる修行僧のような気持ちでミィに触れるのを我慢がまんしても、ミィは女王様のようにゆったりと寝そべったまま、優雅に俺を一瞥(いちべつ)するだけだ。

 そしてこちらがこらえきれずに突進して抱き上げると、瞬時に激怒し、手を出して来る。

 

 猫の本気で怒った顔は、何かに似ていると、ずっと頭に引っかかってきた。

 だが、最近やっと、それが何なのかに気づいた。――般若はんにゃの面にそっくりなのだ。

 カッと開いた口の両端からのぞく、するどい牙。人にはありない、爛々(らんらん)と光る金の眼なんて、まさしく猫だ。

 真っ白な顔と真ん中で分かれた黒髪は、そういう模様もようの猫みたいだし、三角にとがった二本の角は、まるで猫耳だ。

 最後が「にゃ」で終わっている辺りも、まるで猫とかさねてくれと言っているようじゃないか。

 ……なんてことを考えていたら、だんだん般若面が激怒した猫にしか見えなくなってきた。

 今では般若を見るたびに、猫を思い出して心がほっこりする始末しまつだ。

 猫愛も、ここまで来ると、もう末期かも知れない。

 

 気まぐれなミィはごくたまに、俺のスキンシップを許してくれることがある。

 窓辺の陽だまりで、眼を細めてぬくぬく日向ひなたぼっこをしている時など、その毛並に触れても……それどころか、フカフカの背中にもふりと顔をうずめても、全く怒らない。

 お日様の熱にほど良く温められた、まんじゅうのように柔らかなからだを抱きめ、目をつむっていると、何もかもがどうでも良くなる。

 学校であった嫌なことも、憂鬱ゆううつな今後の予定のことも、将来へのモヤッとした不安も、何もかも。

 そんな時、さらにまれに、ミィはゴロゴロのどを鳴らしてくれる。

 肌を優しくくすぐるような……まるで俺を受け入れてくれたかのような、その小さな振動は、生まれて来る前に母のはらの中で聴いた何かのようで、落ち着くような、泣きたいような、妙な気持ちにさせられる。

 ミィに甘えてもらいたいはずなのに、気づけばいつでも、俺の方がミィに甘えている。

 

 ミィが俺のことをどう思っているのかは、正直、よく分からない。

 無視するか、け足で逃げていくかが、ミィの俺に対する基本姿勢だ。

 だが時々、物言いたげに俺を見上げ、仔猫こねこの頃よりだいぶ低くなった声で「ミャア」と鳴くことがある。

 猫の鳴き声は高く澄んだ「ニャー」や「ミャー」だと思っていたが、ミィのそれには確実に濁点だくてんが付いている。低くにごった「ミャア」だ。

 どうせご飯かオヤツか飲み水の催促さいそくだろうとは思っても、俺に呼びかけてくれたことがうれしくて、いそいそと用意し、メロメロにくずれてミィに差し出す。

 だがミィは、それをしばらく見つめると、プイッとそっぽを向いて行ってしまったりするのだ。

 かと思うと、俺の前に身を投げ出し、「撫でろ」と言うようにからだをくねらせたりする。

 ちょっとでも撫で過ぎれば引っかれると分かっていても、俺はその誘惑にあらがえない。

 まるでいいようにもてあそばれ、手のひらでころがされているような気がしてならない。だけどそれは、不思議とこれっぽっちも不快なものではないのだ。

 

 塾でおそくに帰って来て、家族も自室か風呂に行ってしまって誰もいない時、廊下をミィが歩いて来ただけで、胸がホワッと温かくなる。

 決して俺の出迎でむかえなどではなく、さわろうとばした手をするりとかわされても、ミィがそこにいるだけで、張りつめていた何かがほどけていく気がする。

 

 好きなら全部を独占したいとか、支配したいとか、そういう言葉をよく聞くけれど、俺にはイマイチ分からない。

 俺がまだ、そんな恋の狂気にちたことが無いせいかも知れないが……。

 

 だって、ミィの躯をどれほどきつく抱き締めて、俺のひざから逃げられないようにしたって、ミィの心は俺のものになんかならない。

 猫の心はどこまでも自由で、孤高で、気まぐれだ。

 そんなミィを無理矢理(うで)に閉じ込めて、嫌われたいとは思わないし、ミィが俺だけのものにならないからと言って、ミィを嫌いになったりなんかしない。

 俺の愛情は、ミィから渡されるものでも、ミィから無理矢理(うば)うものでもない。

 ミィがそこにいるだけで、俺の身体からだの奥底から、勝手にき上がり、あふれ出るものだ。

 ミィが何をしてくれなくてもいいんだ。

 その姿を見るだけで、目と心が勝手にいやされる。廊下をはずむように歩いて行く、トットットットッという軽やかな足音を聞くだけで、耳と心が弾んで軽くなる。

 

 好きなら必ず手に入れたい、見返りが欲しい、愛してもらいたい――世間ではそれも愛と呼んでいるみたいだが、俺にはどうにも違和感いわかんがある。

 本当はただ“欲しがり”なだけなのに、“言いわけ”に愛を使って誤魔化ごまかしているように聞こえて仕方しかたない。

 

 それはもちろん、俺にだって「ミィに好かれたい」という多少の下心はある。

 甘い声で「ミャア~」と鳴いて、足にスリスリしてくれたら最高だとは思う。

 だけど、俺のミィへの奉仕ほうしが結局これっぽっちもむくわれなくて、結果全てがタダ働きの“無償の愛”となったとしても……それどころか、恩をあだで返すかのごとく、手を引っかれ、壁紙をボロボロにされ、とんでもない所に粗相そそうされようと……それは俺がミィを嫌いになる理由にはならない。

 

 好きなものを、ただ好きなままでいることに、理由なんて無い。見返りがもらえなかったからって、嫌いになる理由も無い。

 そもそも最初から、期待なんてしていないんだ。

 

 気まぐれな猫の心に、特別な何かを望んだりはしない。

 綺麗な空を見て「この空、好きだー」と思っても、「この空が俺だけのものじゃないなんて許せない」と思ったり、綺麗な花を見て「この花に俺を愛して欲しい」と思ったりしないのと一緒だ。

 ただ、あるがまま、自然のままに、ここにてくれたら、それでいい。

 

 見返り無く何かを好きでいるなんて、人間には普通にできることなのに、どうして同じ人間相手だと、途端とたんにそれが難しくなるんだろう。

 同じ人間相手だと、なまじ言葉が通じる分、過剰かじょうに期待して、その分ガッカリしてしまうのかな。

 だけど、普通にできる(・・・・・・)ことではあるんだから、不可能なことではないんじゃないかと思う。

 皆、愛を難しく考え過ぎて――高尚こうしょうで哲学的なものだと思い過ぎて、かえってとても簡単で単純なことを、見落としているんじゃないかな。

 

 ミィと出逢って数年。今日も俺はミィを可愛がりたくて、手を伸ばしては、ミィににらまれ引っ込める。

 きもせず、毎日、同じことの繰り返し。

 だけど、この繰り返しが永遠に続くわけじゃないことを、俺は知っている。

 

 猫の寿命は、人間よりもはるかに短い。

 今は当たり前のこの日常も、いつかは消えてしまうと知っている。

 だから余計に、一秒でも、一瞬でも長く、ミィをでておかねばと思うのだ。

 

 俺にとっては、ミィが世界で一番の猫だけど、世の中にはきっと、もっとなつこい猫も、もっと性格の優しい猫もいるんだろう。

 だけどそれでも俺にとって、ミィが一番可愛い猫であることに変わりはない。

 

 ミィがどんな猫だとか、俺に何をしてくれるかは、関係無いんだ。

 ただ俺と出逢ってくれて、人生の一部になってくれた。

 俺の毎日に、ホワリと優しいぬくもりをえてくれた。

 それだけで、充分じゅうぶんだ。

 

 できる限り、長く長く、そばに居て欲しい。

 その思い出を、忘れられないほどに強く、俺の胸に刻みつけて欲しい。

 そして願わくば、ミィにとっての“俺”も、ミィの幸せな猫生じんせいの一部であれたなら……それだけで、きっと俺は、報われた気持ちになるだろう。

Copyright(C) 2021 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.

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