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短編まとめ【商業化未作品】

その足跡を辿って

作者: 瑠璃川あやね

「絶対、この地に獣人は住んでいたんです! 信じて下さい!」

「そんな事を言ったってねぇ……。えまちゃん…」

 伯父さんは困惑して頭を掻く。

 そんな伯父さんの態度に、また私は声を上げる。

「本当ですって! この足跡を見て下さい! 獣の足跡以外にも、人の足跡があるでしょう! それも最近のものが! お供え物もなくなっています!」


 秋も深まる十一月。

 落葉の絨毯を踏みしめ、大小様々な枝を分けて、やって来たのはとある石碑の前。

 石碑には、遥か昔、この地に人と獣、両方の姿になれる者ーー獣人が住んでいたという、この山の歴史が記されていた。


「そうかもしれないけどねぇ。えまちゃん。伯父さんはこの山の所有者だけど、一度だって獣人を見た事は無いんだよ」

 まるで聞き分けのない子供に説明するように、諭すような話し方をする伯父の態度にムッとする。

 二十歳になったのに、この伯父は未だに私を子供扱いしている。


「でも、わたしは見たんです。子供の頃、この山で迷子になった時に……。ずっと泣いていた私を慰めて、麓に続く山道まで連れて行ってくれたんです……」

「その話は伯父さんも覚えているよ。

 でも、山道には人と獣の足跡しか居なかった。山の中にも誰もいなかった。

 大方、近所に住む人が、えまちゃんを連れてきてくれて、足跡は近くを通った野生動物だろうって」

「本当に見たんです。あの人、頭から狼みたいな耳を生やしていました。尻尾も。

 別れ際にしか見せてくれなかったけど……」


 私は負けじと反論する。

「獣人じゃないなら、この足跡は誰のものだと言うんですか?」

「犬を散歩させていた人じゃない? ほら、石碑の前だけ人と犬の足跡が複数あるし。その人がお供え物を持って行ったのかもしれないよ」


 石碑の前には、人の靴跡と犬と思しき獣の足跡が落ち葉の上に残っていた。

 昨晩の雨でこの道はぬかるみ、私たちの靴も泥で汚れていたのだった。


「それなら、石碑までの山道にも、犬と人両方の足跡が残っている筈です。

 それなのに、ここに来るまで、人の足跡しかなかったです。誰ともすれ違わなかったし。それはおかしいです!」


 石碑まで続く山道は他にもいくつかあるが、いずれも昨晩の雨で通行止めになったり、何年か前に土砂崩れが起こって工事のため封鎖をしていた。

 今は私たちが登ってきた山道しか、利用出来ない筈だった。


「えまちゃん、もう帰ろうか。伯父さんも仕事があるからさ」

「そんな……」

「また一緒に来よう。ね?」


 私は伯父さんに促されて、とぼとぼと来た道を戻る。

 何度、振り返っても、石碑の前には私たちの足跡以外にも獣と第三者の足跡が残っていたのだった。


 今から十二年前。私が八歳だった頃。

 父の伯父さんの家に遊びに来た私は、伯父さんが所有する山で遊んでいた。


 伯父さんはこの山の麓で農業を営んでおり、昔は山の中にも畑があって、野菜を栽培していたらしい。

 今は使っていないが、たまに学生の農業体験や林業体験で使っており、私が遊んでいたのも体験場所として貸し出ししている、木々がない開けた場所だった。


 一人遊びに飽きた私は、山を散策しようと親や伯父が目を離した隙に、山の中に足を踏み入れた。

 けれども、体験場所以外は何の手入れもしていない山の中は道が整備されていないので、歩きづらく、あちこちに木の根や石が出ていて転びやすかった。

 当然、八歳の私は道に迷って、木の根や石であちこちで転び、服を枝に引っかけてしまったのだった。


 元の場所に戻れなくなって泣いていると、どこからか、チリーンと鈴の音が聞こえてきた。

 あたりをキョロキョロと探していると、背後の茂みが音を立てたのだった。

「だ、だれ?」

 後ろを振り向くと、茂みが動いて、大柄な影が現れたのだった。


「なんだ。子供か」

 大柄な影は、ボロボロの薄手のTシャツに、ダメージジーンズのように破れたズボンを履いた髭面の男だった。

 低い声で呟くと、男はため息を吐いたのだった。

「他の獣どもが騒ぐから、不法投棄に来た不届き者かと思ったのに……」

「ふほう……? ふとどき……?」

 難しい言葉に首を傾げていると、男は私の前で膝をついて、頭を撫でてくれたのだった。


「こんなところに何しに来たんだ……? 迷子か? お父さんとお母さんはどうした?」

「迷子……まいご……」

「迷子」という言葉に、急速に寂しくなる。目に涙を溜めて、「うえ〜ん」と泣き出すと、男は「うわぁ!」と声を上げたのだった。


「パパ……ママ……伯父さん……」

「やっぱり迷子かよ……やれやれ」

 男は私を抱き上げると、「よしよし」と慰めてくれる。


「うちの息子と同じくらいか。ほら、泣くな。お兄さんが麓まで連れて行くからな」

「おじさんが……?」

「おじさんじゃなくて、お兄さんだ」


 大柄なお兄さんは、私を抱いたまま、道無き道を歩いて行った。

 お兄さんは裸足だった気がするが、まるで慣れているように草木を掻き分けて、山を下りて行く。

 お兄さんの首に掴まって泣いていると、犬の様な獣の匂いがしてきた。

 それはお兄さんから漂ってくるようで、きっと犬を飼っているのだろうと思った。


 泣き止む頃には、麓に続く山道に着いて、私はそっと地面に下されたのだった。

「いいか。この道を真っ直ぐ行けば、人里に辿り着く。そこで助けを呼ぶんだ。

 そうすれば、誰かが親を呼んでくれるからな」

「……おじさんは一緒に行ってくれないの?」

「お兄さんだ……。お兄さんは一緒に行けない。嬢ちゃんが一人で行くんだ」

「嬢ちゃんじゃない……えまだよ」

「じゃあ、えまちゃん。ここからは一人で行くんだ。いいな」


 私はお兄さんに背中を押されて、麓に向かって歩き出す。

 途中、振り返っては、お兄さんを確かめて、また歩き出す。

 それを何度か繰り返していると、いつの間にかお兄さんはいなくなっていた。


「なんで……。いないの……?」

 急に姿が見えなくなって来た道を駆け戻る。すると、山道の途中で派手に転んでしまったのだった。

「いたい……」

 膝からは血が流れていた。どうやら、転んだ時に擦りむいてしまったらしい。

 痛みを堪えて立ち上がると、山道のずっと先にお兄さんの背中があったのだった。


「おにいさ……」

「来るな!」

 お兄さんに怒鳴られて、私は立ち止まる。

「こっちに来るな。早く家に帰れ」

「なんで……」

「早く帰るんだ! 血の臭いがしてきて、身体が限界なんだ……」


 何度も「帰れ!」と怒鳴られて、私は泣きながら山道を下っていく。

 グズグズ泣いていると、不意に後ろから獣の叫び声が聞こえてきた。


「お兄さん」

 伯父さんから、「今の時期にはいないと思うけ、この山には熊が出るから気をつけてね」と、言われていたのを思い出す。

 お兄さんが熊に襲われたのかもしれないと焦って、山道を振り返る。

 すると、そこにいたのは。


「ガルルルル……」

 頭と尻から狼の様な耳と尻尾を生やし、目をギラギラと光らせたお兄さんが唸っていたのだった。

「お、お兄さん……」

 私の目の前で、お兄さんの身体からはフサフサの毛が生えていき、背が縮んでいった。

 四つん這いになると、鼻が伸びて、手は縮んで鋭い爪が出てきた。

 服や靴が毛で覆われると、そこには一頭の狼がいたのだった。


「あ、あ……」

 私は何も言えなくなって、その場にドサッと座り込む。

 お兄さんは私の姿に気づくと、そのまま山道を逸れて、茂みの中に入って行った。

 ガサガサと草木を掻き分ける音が続いたかと思うと、やがてその音も止んだ。

「お、お兄さん……」

 お兄さんがいた場所には、お兄さんの足跡と獣の足跡が残っていたのだった。


(あの人は獣人だった。だって、私はお兄さんが獣人になるところを見たんだから)

 その日の夜、近くに住む近所の人や親戚も集まって、久々に遊びに来た私の為に、今夜も宴会を開いてくれた。ーーただ単に、酒を飲んで、騒ぐ理由が欲しかっただけの気もするが。


 あの日、お兄さんに送られて山道を下ると、私がいなくなった事に気づいた両親が呼んだ警察と出会って、保護された。

 両親には酷くて怒られたが、それよりも獣の姿に変わったお兄さんが忘れられなかった。

 どうやって下山出来たのか、両親に尋ねられたので、お兄さんについて話した。

 けれども、「獣の姿に変わった」と言ったら、「そんな人はいない」と信じてもらえなかった。


 自宅に帰る前、伯父さんにも同じ話をすると、伯父さんは私を山に連れて行ってくれた。

 案内してくれたのは、山道の行き止まりにぽつんと建てられた石碑であった。


「昔、この地にはね。獣人が住んでいたんだ」

「じゅうじん?」

「そう。人にも、狼のような獣にもなれる人間さ。この土地に住む人たちは、彼ら獣人を山の神の遣いとして大切にして、共に暮らしていた」


 この時の私には、石碑の文字は難しくて読めなかったので、伯父さんに読み上げてもらったのだった。


「今はもういないの……?」

「ずっと昔に、田畑を荒らす狼を駆逐せよ。と国からお触れが出てね。

 この辺りではあまり被害がなかったが、他の地域ではたくさん出ていてね。

 それでここでも、お触れに従って、狼諸共、獣人も殺してしまったんだ」


 獣に変身した獣人は、狼とよく似ていた。

 お触れを聞いた人々は、獣人も狼の一種として殺すようになったのだった。

 生き残った獣人は、伯父さんが管理する山のずっと奥に逃げてしまった。

 それ以来、一度も見かけていなかった。


「獣人たちがいなくなると、これまで被害が少なかったこの辺りの田畑も野生動物たちに荒されるようになった。

 その時になって、この地に住む人々は、これまで田畑が荒されなかったのは、獣人たちが守っていたからだと気づいたんだ」


 日に日に荒される田畑を見て、人々は自分たちの愚かさを知った。

 彼らを忘れない為に、人々は獣人たちが住んでいたこの山に石碑を建てた。

 それ以来、この山は代々うちが管理して、今は伯父さんが管理しているらしい。


「じゃあ、えまが見たのは……?」

「獣人だったのかもしれないね。この地に眠る獣人の魂が導いてくれたのかな」


 そうして、伯父さんは頭を撫でてくれたが、私はどうしても伯父さんの話を信じられなかった。

 私を抱いて、山を下りてくれたお兄さんの犬の様な獣の臭いを、はっきり覚えていたからだった。


「えまちゃん、もう飲まないの?」

 昔を思い出していた私は、酔っ払った伯父さんに声を掛けられて我に返る。

「はい。お酒はあまり得意じゃなくて」

 二十歳になって、宴会や飲み会の機会が増えた。

 けれども、お酒はやっぱり得意じゃなかった。


「そう。それじゃあ、ジュースを持って来ようか。何がいい?」

「私、もう部屋に帰ります。長旅の疲れがまだ取れていないので」


 昨日、自宅からここまで、電車とバスに揺られて、二時間が掛かった。

 座り疲れして身体中が痛い中、休む間もなく石碑に続く山道を登って、石碑の前にお供え物をした。

 ここに来る途中で買った煎餅の詰め合わせだった。


 あの日、私はお兄さんにお礼を言えなかった。

 あれ以降、この地には来なかったので、お兄さんにお礼をいうから言えないまま、十二年が経ってしまった。

 それなら、せめてものお礼として石碑にお供え物をしたのだった。

 次の日、伯父さんを連れて石碑に向かうと、お供え物が無くなっていた。

 そして、石碑の周辺には獣と人の足跡が残っていたのだった。


「そうかい。それなら、無理には言わないけど……」

「ありがとうございます。明日には帰るので……」

「もう帰っちゃうの? ゆっくりしていけばいいのに……」

「パパもママもあまり良い顔してくれなかったんです。昔、この山で迷子になってから過保護になって……」


 あの日、山で迷子になってから、両親は過保護になった。

 二十歳になっても、執拗に干渉してきて、どこに行くにもついて来た。

 今回の一人旅もなかなか許してくれなかったが、三日間だけならと、渋々許可してくれたのだった。


「そうか……」

「そうなんです。すみませんが、先に部屋に戻りますね。それでは、おやすみなさい」

「おやすみ」と伯父さんは返すと、すぐに親戚や近所の人たちの輪の中に入っていった。

 私は手伝いに来てくれた近所の奥様方や、親戚のおばさんたちにも同じ事を言うと、部屋を出た。


 一度部屋に戻って、お風呂に入ろうと、着替えを持って部屋を出た時だった。

「ワオーン」

 山の方から、遠吠えが聞こえてきた。

「今の声、もしかして……」

 私は部屋に着替えを放り投げると、玄関へと駆け出す。


「えまちゃん!?」

 足音に気付いて、台所からおばさんが顔を出す。

「石碑まで行って来ます!」

「今から行くの!? 暗いから危ないよ!?」

「懐中電灯をお借りしていくので」

 玄関にあった懐中電灯を取ると、スイッチを入れる。

 明かりが点くと、それを持って家を出たのだった。


 足元を照らしながら山道を登って行くと、昼間の倍の時間がかかったが、石碑まで辿り着いた。

「いない……」

 さっきの遠吠えから、なんとなくあの時のお兄さんがいる様な気がした。

 けれども、それは気のせいだったようだ。

「帰ろう……」

 後ろを向いて、数歩進んだところで、背後の茂みが揺れた。


「獣人!?」

 懐中電灯で茂みを照らすが、出てきたのは狼の様な犬だった。

「なんだ。犬か……」

 暗闇に混ざるような黒い毛とつぶらな瞳。

 きっと、この山に住む野犬だろう。

「あの時の獣人のお兄さんじゃないや……」

 がっかりすると、また元来た道を辿ろうとした。

 するとーー。


「獣人に会った事があるの?」

 どこからか、澄んだ男子の声が聞こえてきた。

 懐中電灯で辺りを照らすが、ここにいるのは私と野犬しかいなかった。

「今、どこから声が……?」

「おれだよ。おれ」

 足元から声が聞こえてきて懐中電灯で照らすと、そこには野犬が舌を出してハアハア言っているだけだった。


「まさか……」

 野犬は石碑まで走って行くと、二本足で立った。

 すると、どんどん背が伸びて、体毛が縮んでいった。

 手足が伸びて、顔が縮むと、そこにはボロボロの服を着た男子が立っていたのだった。

「そう。そのまさか」

 野犬は、私と同い年くらいの男子になると、親指を立てて自分を指差していた。

「おれも獣人なんだ」

 そうして、男子はニッと笑ったのだった。


 石碑の前に男子と並んで座ると、私はこの山に来た経緯を話した。

「ふ〜ん。じゃあ、ここにあった煎餅は君のお供え物だったんだ」

「そうなんだけど、今朝来たら無くなってて……」

「うん。あれなら、おれが持って行った」

「食べたの!?」

「人間の食べ物って、なかなか食べられないからね。持って帰って、仲間と一緒に食べたよ」

「仲間、いるんだ……」

「うん。でも、おれは煎餅より洋菓子が好きかな。ケーキとか、クッキーとか。あっ、ドーナツも好きかも」


 洋菓子好きな獣人の男子は、「でも、もう食べられないか」と独り言ちた。

「もうすぐ、この山から獣人は居なくなるから。今度はもっと山奥に住むんだ」

「居なくなっちゃうの?」

「今まで、住処である山の麓を追われてから、獣人たちは人に見られないように生きてきた。

 でも、この山もだんだん人が奥まで入ってくるようになって、住むのが難しくなってきたんだ。だから、人が来ないようなもっと山奥に移り住む」

「そんな……」


 男子は立ち上がると、石碑に向かう。

 そうして、両手を合わせてしゃがんだのだった。

「だから、その前にこの石碑に来たくてさ。ここには俺たちの先祖が眠っているから」

 その真剣な様子に、そっと私は尋ねる。


「獣人は住処を奪った私たち人間を恨んでる?」

 立ち上がると、男子は少しの間をおいて話し出す。

「……恨んでるやつもいるし、恨んでいないやつもいる。人と混ざって生きているやつもいるからさ」

「あなたは?」

「恨んでないよ。いずれの日には人と離別して、山奥に住む事になるって、父ちゃんがずっと言っていたからさ」


 男子は私が座っている場所まで戻って来ると、「もう行かなきゃ」と悲しげに笑う。

「あまり遅くなると怪しまれるから。君も早く帰りなよ」

「あのさ、教えて欲しいんだけど……」

 懐中電灯を持って立ち上がると、手元が男子の顔に明かりを向けてしまう。


「眩しい!」

「ご、ごめん……!」

 腕で顔を隠す男子に謝りながら、懐中電灯の明かりを地面に下ろそうとして、私は気づく。

「似てる……」

「何が?」

「子供の頃、助けてくれた獣人のお兄さんに……」

 明かりに照らされた男子の顔に髭を生やしたら、あの日助けてくれた獣人になりそうだった。


「子供の頃、獣人に助けてもらったんだ?」

「うん。山で迷子になってたら、あなたによく似た髭面のお兄さんに助けてもらって……」

 すると、男子は気まずそうに目を逸らしたのだった。

「あの時、その助けてくれた獣人のお兄さんにお礼を言えなくて……。それで、ずっとお礼を言いたくて、ここに来たの。あなたはその獣人のお兄さんを知ってる……?」

「……その人はもういないよ」

「いないの?」


 男子は覚悟を決めると頷いた。

「もういないんだ……。数年前の大雨の日、土砂崩れに巻き込まれて死んじゃったんだ」

「そうなんだ……」

 お兄さんは死んでいた。もっと早く、両親を説得すれば良かった。

 そうすれば、お兄さんに会えていたかもしれないのに。


「でも、その人は君の事をずっと気にしていたよ。君の血の臭いで、獣の力が暴れ出してしまったって。急に獣の姿になって、怖がらせたって」

「確かに、あの時、転んで膝から血を流していたけど……。それが原因で獣になったんだ……」

 お兄さんに悪い事をしてしまった。

 でも、亡くなっているなら、もう謝る事も出来ない。


「そのお兄さんと仲が良かったの?」

「おれの自慢の父ちゃんなんだ」

 ようやく、納得がいった。

 どうりで、お兄さんとこの男子が似ている訳だ。

 言われてみれば、あの時、お兄さんは「うちの息子と同じくらいか」と言っていた。

 私と同じくらいに見えるから、きっとそうなのだろう。


「そうなんだ。あなたがお兄さんの……」

「この地を離れる前に君に会えて良かったよ。父ちゃん、ずっと君を気にしていたから」

「じゃあね」と獣に戻ろうとした男子に、私は「待って」と声を掛ける。


「まだあなたの名前を聞いてない。私はえま。あなたは?」

「知ってる。父ちゃんが何度も話してくれたから……。おれはケイシ。もう会わないと思うけど、またな、えま」

「あのね。ケイシくん。お願いがあるの」

 男子ーーケイシは「なんだ」と返事をする。


「お兄さん……お父さんに、ありがとうって伝えてくれる? 私がお礼を言っていたって」

「わかった。伝えるよ」

「私も、一緒に行っちゃだめ?」

「だめに決まっているだろう。君は人で、俺は獣人なんだから。住む世界が違うだろう」


 あの日のお兄さんと同じように獣になると、「でもさ」と振り返る。

「一緒には行けないけど、おれたちを忘れないでくれると嬉しいかな。父ちゃんもきっと喜ぶと思う」

 今度こそ、ケイシは茂みの中に飛び込みと、遠ざかって行ったのだった。


「忘れないでか……」

 私も石碑から離れると、山道を下って行く。

 麓に着いたところで、遠くからさっきと同じ遠吠えが聞こえてきた。

 なんとなく、ケイシの遠吠えだろうと思った。

「また、会えるかな」

 そうしたら、獣人についてもっと話してみたいと思ったのだった。

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