88:倍返し
インプは見た事はあるが、他は見た事がないらしいスーニャの無邪気な問いかけに困っていた。
キラキラした瞳から目線を少しずらしながら心で唸る。どう答えたモノか。
漠然としていてなおかつ直球なこの問いに。
スーニャはとてもストレートに聞いてきた。
すなわち、悪魔ってどういう感じ。声、形なの!?
異性のタイプでも尋ねるようなハイテンションの質問である。
「どんな感じと言われましても」
悪魔は悪魔であって、私的には悪魔としか言いようがないから困る。
見た感じでぱっと身体が反応するから最近は特に特別な区切りというものがない。
近くにいれば嫌な気分になったり視界がぶれたりする。
全自動悪魔探知機になっているという自覚はある。
「共通点は黒い……位ですね。見て面白いモノでもありませんよ」
殺され掛けた雑魚魔物以外で見かけた悪魔は全て黒。もしくはドギツイ色をしていた。
蛍光ピンクや黄色の悪魔は記憶に新しい。というか夢に出て来そうなので一刻も早く忘れたい。
「ううー。まあそうなんだけどさ、気になるじゃない。知的好奇心というか探求心が疼くのよ」
ずれていたのか、ピンク帽子の鍔の位置をずらしながらスーニャが唇を尖らせる。
固く塩気の強い干し肉を囓っていたエイナルの眉が絞られたように寄る。
「悪魔まで探求するならお前と別れるぞ。命が幾つあっても足りねぇ」
くわえた部分から干し肉を一気に引き裂き飲み込んで、吐き捨てるよう言葉を紡ぐ。
するりとスーニャの杖が滑り落ち、月の飾りが引っかかって指の隙間で留まる。
「酷い、これまで連れ添ってきた仲なのにあたしを捨てる気!」
落ちた杖の柄を掌で押し上げ、握り直し。悲しそうに首を振る。
全くぶれない冷静な指使いがなければ多少同情を買えるであろう悲痛な叫びだ。
「人聞きが悪い! お前と行動してるだけで奇異の視線集めまくってるんだからな。
今まで行動してるだけで心が広いだろうが」
犬歯を剥き出し険悪な表情で唸る彼の言葉が思考の片隅に残留する。
……奇異の視線?
スーニャの服装がある意味に置いて素晴らしくセンスが良いと言うのは何か理由があっての事かと思い。
いや、思いこもうとしていたけれどやっぱり違うんだろうか。怖いが一応その疑問を口に出す。
「……つかぬ事をお伺いしますが、その色の帽子やマントを付けていると何かの力が上がるとか」
「ないわね」
スーニャ本人に一刀両断された。
服の色で力が変わるとかじゃ、ないのか。
ええと、ならば。
「規則でそう言う服じゃないといけないとか」
魔法使いの制服、と言うのはどうだろう。
「そんな事になったらギルドで暴動が起きますね」
冷ややかなセザルの声がそれはあり得ない事だと理解させる。
『…………』
と言う事はやっぱり、スーニャは変な格好で。
しかも好んで身につけているという結論になる。
「何よ。可愛い色じゃない。このライン出して貰うのに苦労したんだから!」
憮然とした顔で自分のマントを引っ張り上げ、斜めに黄色のラインの入ったマントを示す。
最初の印象通り、ただの変な人というか。奇抜な格好が大好きな人なのか。
「世俗に疎いものでして。そう言う取り決めなのかと気にしないようにしていたんですが、気にして良い部分だったのでしょうか」
「動じない方だと思っていたんですが、勘違いされてただけですか。
大丈夫です、他の魔法使いはこんな派手な色の服を身につけたりはしません」
苦笑を交えたセザルの言葉に少しだけ安堵する。幾ら趣味だとはいえ徹底している。
ブームか何かだったらどうしようと微かに危惧していたが杞憂に終わりそうで何よりだ。
「疎いにも限度があるだろ」
「他と違うとして、もしこれが最先端のお洒落だとしたらと言う疑念も捨て切れません、ので」
半眼のエイナルに返す言葉が見つからず、言い訳をもごもご呟いて顔を逸らす。
「……千年経っても無いと思う」
ポツリと落とされた疲れた声に、自分の世間知らずさを教え込まれた。
徹底した趣味人と言うのは厄介だ。
世間一般とずれているなら更に危険性は増す。
本人に自覚がないので被害がいつの間にか拡大する。
簡単に言うと、手に負えない。
近寄らないのが一番の予防法だ。
「ねえねえねえ。黒い布ってちょっと地味よね。
この間何でも綺麗に染められる染料を買ったのよ、染めない。マントと覆面。
脱がなくても染まるすっごい優れものなのよ」
現在逃げる前に側にいる為、退路すら確保出来ないわけではあるが。
私を助けてくれた可愛いモノ大好きな人は恐ろしい提案をしてくれる。
聞かなくても色は恐らく一色のみ。ドギツイピンク、優しい桃色。蛍光混じりのピンク。
どう転んでも最悪だ。
「いえ、お高かったでしょうし。助けられた手前これ以上お手を煩わせるわけにも行きません。
この色、夜中は目立たないから便利で気に入ってますし」
「う。安くはなかったけど。目立たないと便利なの?」
「依頼以外では人目に付きたくありませんから」
吸血鬼一族の末裔ではなく、聖女の中身的に。開放的な青春が味わいたい。
一度も来てない青春、少しで良いからウエルカム。
服を特注して貰ってマシになったとはいえ、仮面を被っているようなものだから正直余り良い気分ではない。
結果的には教会のメンバー、アルノー一家を除いて全て騙している事になる。
この姿をさらしたくないのは本音。
外だけ綺麗に創られた人間、偽り、仮初めの聖女の人形。
でも外気に触れて思う存分町を巡りたい。矛盾、矛盾、矛盾だらけ。
そう思うんだから仕方がないのだけど。もう人間でなく、猫にでもしてくれれば良かったのに。
アオの事だから化け猫にでもしてくれるかも知れないが。
複雑そうな表情をした後、ぶんと杖を一振りして乗ってきた馬車を示す。
「んー、と。うちの馬車ボロいのよね」
彼女が描いた杖の軌跡を辿るように赤い炎が薄く宙を舐め、辺りを照らす。
動物は火を怖がるはずだが、慣れているのか不機嫌そうないななきが一つあるだけで馬は逃げ出したりはしなかった。
「随分使い込んだんですか」
言われてみなくてもそれは身にしみて分かっている。軽く体を揺らせば床が軋み、幌が歪む。
かなり年季が入ってる。年代物だろう。
「ううん。安売りしてたから中古で買ったらガッタガタだったのよ」
乾いた笑いを漏らし、消えゆく炎を見つめて肩をすくめる。かち、と鍔に付いた水晶の飾りが打ち合わさる音がした。
安物で壊れかけを掴まされたのか。気の毒というか、案外詐欺に引っかかりやすいというか。
だがいきなり逸れた話の方向性が分からずに首を傾けていると、セザルも不審げな眼差しをピンク帽子の魔法使いに向ける。
「何か脈絡ないですね。スーニャまさか」
はっとしたようなセザルの声に更に首を傾ける。
「お礼に馬車ちょーだい!」
彼の言葉の割り込みを許さず、明るいスーニャの声が響いた。
沈黙が落ちる。
思考が付いていけずに脳が緩慢に動いていた。
お礼。お礼。ああ、謝礼の話か。いきなりだから分からなかった。
彼女は馬車が欲しいのか。
「馬鹿かお前。幾ら命の恩人で値段問われてなくても、あの会社の馬車がそう簡単に手にはいるわけ――」
「良いですよ」
エイナルが何か難しそうな事を言っているが、あげると言った手前あげられるものは全て許す。
間髪入れずに頷くと周囲が硬化する。
「へ」
手を挙げんばかりに要望を放った本人が瞳を大きく見開いて口元を引きつらせた。
欲しくないのだろうか。
「馬車、あげますよ」
「あげますって! 会社の」
再度告げるとセザルが噛み付かんばかりの勢いで私の方に身を乗り出してくる。
「買い取ってしまえば問題ありませんよね。家より高いですか」
高そうなのは分かっているが、買えない事はないはずだ。
家以上だと悪魔祓いを正位から中位のみに絞らないといけない日々がしばらく続くだろうが。
上位悪魔ばかり狩ってたら怪しまれるから余りやりたくはないが、謝礼の為なら仕方がない。
「いや、それはないですけど」
何故か額に汗しつつ、引きつり笑いを貼り付けたセザルが首をぎこちなく数度横に振る。
なんだ、教会の建て直しより時間が掛かるかと思った。
余り脅かさないで欲しい。
「なら問題ありません。どうせ馬車は一つしか持っていけないんですから気に入ったのを付けて行けばいいでしょう」
「いやあの」
先程から喋らなくなった三人に放置されている馬車を肩で示す。
「まあ、恐らく印は消されてしまいますけど良いですよね」
「そりゃ、文句ないけど」
喉に物が詰まったようなくぐもった声でスーニャが呻く。
「見かけより軽いみたいなので今の馬でも引けますし」
静かに言葉を紡ぐと薪が放られ、熱が顔の表面を一瞬覆い、炎で視界が赤く染まる。
「ちょっと待って! なんかあっさり言うけど気前よすぎない!?」
数拍もない間に立ち上がったスーニャが腰に手を当てて頬を膨らませている。
不審がられたか。
「私、お礼の類は倍返しが信条なんです。受け取って下さい」
素直にそう答えて煙幕代わりに投げ入れられた薪の位置を直し、ゆっくり薪を継ぎ足す。
「罠か」
エイナルの鋭い視線が私を射抜く。
確かに罠は警戒しなければならない。だからこそだ。
だからこそ私は隙を渡さない。恩なんて売れないほどに謝礼を渡す。
「掛けられないように沢山渡すんですよ。これでも足りません?」
言葉に意味を含ませて、小さく笑う。
『充分、です』
微かに響いた喉奥の笑い声が不気味だったのか、三人は首を振って俯いた。
なんとなく今、私は魔女か呪術師の気分だ。
そっちの方がしっくり来るけど、微妙に釈然としないのは何故だろう。
乙女心は複雑だ。