87:救世主は星使い
大げさな位肩を跳ねさせたスーニャは油を差し忘れたゼンマイ仕掛けの人形のように首をぎこちなく動かしてセザルを見る。
彼女の前には仁王がいた。
「試しちゃったんですね、スーニャ」
仁王立ちどころではなく微笑みが鬼か悪魔を彷彿とさせる凄みがある。
声は穏やかだが、現在のセザルは私でも引くほどに冷ややかな眼差しだった。
何か修羅場に舞い込んでしまったようだ。いや、今一気に修羅場化したのか。
「だ、だだだだって量多かったしぃ」
引きつった笑みを貼り付けて人差し指を合わせるスーニャの声は弱々しい。
弁解を試みているらしいが、セザルの眼差しが和らがないところを見ると失敗に終わっているようだ。
ええと。助けられた手前、多少弁護とかフォローをするべきなんだろうけど、今現在の話題が何かが分からないので手の出しようがない。
「ちょっと位なら平気かなぁって思ったのよ。効率、良いし?」
「へぇ」
尻すぼみになる彼女とは違い、セザルの声は平坦である。この人は怒らせると怖いのか。
この静かな怒り様、シリルを思い出す。この手の追及は厄介だ。
深くは責めてこなくてもプレッシャーというか重しが心臓に掛かったような息苦しさと痛みがある。
触らぬ神にたたり無し。関わらない方が良いかもしれない。
下手なフォローをすると状況が悪化する可能性がある。きっと悪化する。
経験的にそう思う。怒りに冷静さが加わる分、誤魔化しが利かないのも面倒な部分だ。
彼のような人種は出来うる限り怒らせないに限る。怒られたら、凪のような気分で嵐が去るのを待つのだ。
大方原因は己だったりするので無理難題だけど。
蚊帳の外だった私達と同じく不思議そうに二人のやり取りを見ていたエイナルが、顎に手を当て何かを思い出すように目を細める。
「試しって何だよ。そういやスーニャがなんかぺらい紙片手にはしゃいでた記憶が」
「わーわーわーわー。エイちーだめよ。それ触れないで頂戴!」
ぴく、とピンクの帽子が軽く動きぱたぱた腕を振り回す。
その勢いのままたき火の中に突っ込まないか心配だ。
過剰反応で怪しい、というかエイちーって誰。その可愛い名前もしかしてエイナルですか。
「その妙なあだ名こそ止めろ」
「だってにぶちんのエイちーが妙なところで鋭い獣な部分を発揮するのが悪いのよ。
ああ、セザル怒ってるしぃぃ」
さり気なく失礼な事を言いながら、ぶつぶつ口の中で文句をこねる。
「……言う前から怒ってたけどな」
「追撃しなくても良いじゃない。無難な方向に話逸らすとかしてよ」
無茶な注文にエイナルの目が半眼になる。逸らすも何も話題の中心がイマイチ分からないのだから援護も追撃も出来ない。
多分さっきの追撃はたまたまだろうし。暖かいたき火の側なのに少し寒い。
冷気の元は判明しているので心穏やかに成り行きを見守る。
セザルさん、怖いです。この空気で普通に笑ってるところが特に怖いです。
「スーニャ」
「ひぃぃぃ! セザル何時からそこに!?」
静かな問いかけに水晶の飾りが跳ね上がり、一気にセザルから距離を取る。
何時からも何も、大胆にも彼女たちは当人の横で喋っていたわけだが。
「さっきからずっと居ますけど」
微笑みが凍えている。絶対零度である。
たき火に寄っても暖まらないのは心に寒波が押し寄せてくるからであろうか。
「この僅かな時間で僧侶見習いから瞬間移動の出来る超魔法使いに進化!?」
身なりで大方予想は付いたが、セザルは僧侶型の人らしい。
動揺と混乱のせいかスーニャの台詞が斜めにすっ飛んでいる。
「だから、さっきから居ましたって。
その大慌てぶりをみるに、やっぱり使って助けたんですね」
慣れているのか軽くそれを流し、セザルが首を傾けた。さらさらと細い髪が揺れる。
一拍ほど沈黙を挟み、微かに声を低めて彼がその単語を口にした。
「リタ・ムートレス・トレス。実践するなと言ったのに」
リタ・ムートレス……ええと、トレス。……なんだそれ。
「りた、なんだよ」
エイナルが顔をしかめる。良かった、知らないのは私だけではなかった。
「魔法の一種ですよ」
セザルが迷うような素振りを見せ、微かに言葉を濁す。
「ああ、流れ星みたいなのですね」
多少その素振りが気になったものの、魔法と告げられて助けられたときのことを思い出す。
脳裏に浮かぶ一筋の光。
願掛け出来なかった星くずの次に無数の光が落ち、獣を焼き尽くす光景。
「あ、やっぱりそう見えた!?」
「最初はそう見えましたけど、次の流星群で違うと分かりました」
妙に興奮した様子でスーニャが拳を握るが、私の一言で少し悔しげに舌打ちする。
「そっかぁ。でも、星形にするの苦労したのよ。
流星ならやっぱり可愛いお星さまの形は必要よね」
「……え?」
反射的に聞き返す。今“星形”って言ったかこの人。
流星を星形にするメリットが何処にというか、流石の金の瞳でもあの一瞬の光を星か丸か判別出来るはずもない。
「なに、見えなかった? 歪んでた?」
「いえ、早すぎてちょっとそこまでは。というか星形だったんですか……一つ訊ねたいんですが、何の為に」
「星形だったの! ほら、地面に焦げ跡。
何の為って、可愛いからに決まってるじゃない」
炎が着弾した地面を見つめると、確かに星形だった。見事な五芒星である。
それが点々と続いているので可愛いと言うより不気味かつシュールだ。
たとえ星の形にしようとも炎は炎だから、効果的には全然かわいげがないと思う。
言っても聞いてくれそうにないけれど。
「威力は半減だがな」
「詠唱半端なく長くなりますけどね」
仲間から静かな突っ込みが入る。
「可愛いから良いの」
指先で杖の柄を回転させ、胸を反らす。
姿と身に纏っているというか、飾られた物を見ていて分かっていたが、基本的に可愛いモノ好きらしい。
威力が落ち、詠唱が長くなると言うデメリットを背負ってすらそれを実行するとは筋金入りだ。
その魔法、全く実用向きではない。
「更にリタ・ムートレス・トレスを入れると尋常じゃない長さになりますよね。
一時的に術を停止させられますが一つずつに掛けないといけませんし」
「うっ」
胸を張っていたスーニャが淡々としたセザルの呟きに眉を寄せ、たじろぐ。
一時的に術を停止。リタ・ムートレス(長いから以下略)はストッパーのような役割の補助呪文という事か。
スーニャの術は基本的に発動までに時間が掛かり、多分単発の火炎の玉だから――
何となくセザルが怒っている理由が見えてきた。
「流星群と言う事は、この人達をどの程度放置していたんですか」
「その……結構初めから辺り?」
てへ、と首を傾けるピンク帽子の魔法使い。
ああ、やっぱり。私達が狼と攻防している間にスーニャは裏方で地道に仕込みをしていたらしい。
「助けるなら早く助けなさい。抵抗していたから良かった物の、見殺しにする所じゃないですか」
「だ、だってぇ。助けるなら可愛く格好良くしたかったし」
完全なる正論に反論のしようもないのかちまちま飾りの三日月をつつきながら口を尖らせる。
「それで相手が死んでたら寝覚め悪いどころの話じゃないな」
「う、エイちーまでそんな事言う! 共犯なのに。
怪しい奴は強いだろって、時間掛かっても良いじゃないかとか言ったじゃない」
頷くエイナルへ頬を膨らませたスーニャの声が飛ぶ。
「ばらすな!」
生贄の羊にするにはスーニャは元気が良すぎた。きっちり事が露見して慌てるエイナル。
助かったからいいけれど、一瞬素直にお礼を述べた過去の自分を止めたくなる。
怪しい外見の人物が強いというのは先入観だけれど。こんな姿なら強くて自分の身を守れて当然という見方も出来るわけだし。
なんか複雑だ。
「まあ。聞きましたシリル。私達、とても実力を評価されてましたね。過大評価ですけど」
「……そう、ですね」
複雑そうな面持ちで彼が頷いた。
やり方と経過はどうあれ、結果的に助けられたのだから余り強くも出られない。
その分お仲間の制裁を静かに見守る。
じり、と後退る二人。微笑んでそっと近寄るセザル。
欠片も似合わないのに、狼と羊たち、と言うフレーズが何故か浮かんだ。
たっぷりとお小言を頂戴した二人は項垂れ、
『セザル怖い!』
異口同音の言葉を漏らした。
「反省していい加減人様に迷惑掛けないで下さい」
体罰は与えていないが、敵に回したくない叱りっぷりだったセザルに思わず距離を取る。
が、微笑まれたので位置を戻した。大人しい人は怒らせると心臓に響く。
「まあ、助かったのでその事で追及はしませんが。星、というか火炎の術ですよねアレ」
「違う。星よ、星! まだ本物は降らせられないけれどあたしは星使いのスーニャ様よ」
微妙に発言内容に矛盾が生じているのでセザルに視線を向けてみる。
「ただの火を星形に模しただけです」
冷静な訂正が返ってきた。
「ちっがうわよ、そりゃ本物はまだだけど。可愛い星でしょ、星。だから星使いなの」
「形状にこだわりすぎるせいで本来なら炎の雨を降らせる術なのに単発という本末転倒な感じなのですが」
頭痛を堪えるように額を抑え、溜息を吐き出すセザルに同情した。
それは、確かに本末転倒だ。形状にこだわらないでそれが出来るならそもそもリタ・ムートレスなんて必要がない。
呪文一つか二つで終わっていた戦いだ。
「いつか本物の星の雨を降らせるわよ!」
形にこだわるスーニャは威力は二の次らしい。
「本物って、来る前に燃え尽きるか。来たとしてもドロドロに燃えている石だと思うんですが」
地上まで来るなら星ではなく隕石だとも思うが、素朴な疑問を口にする。
「セザルみたいな事言うのね。分かってるわよ。ちゃんとその石も星の形にするんだから」
あくまでも形にこだわるらしい。
「いえ、もうそこまで行くと流星ではなく隕石じゃ」
「隕石はいやよ可愛くないし。難しいし、というかあたしじゃ無理だし」
なんか言っても無駄な気がしてきた。星形にしても威力は地を砕き辺りを燃やし尽くすおっそろしいものだとか、燃える石が降ってくる時点でそれは隕石じゃないかとか。
可愛さ重視の彼女には何を告げても徒労に終わりそうでもある。
放っておいて何時の日かホントに星形の隕石を降らせ、大魔法使いと呼ばれてしまうようになるまで静観するのも一興だ。
「じゃあ、ええと。応援してますから頑張って下さい」
適当に応援すると、ぱあっとスーニャの顔が明るくなり『同志よ!』とよく分からない感激をされた。
セザルの疲労感が増して見えたのは、恐らく気のせいではない。
なんというか、大変だなぁ。色々と。
隣にいるのがシリルのようなまともな人で良かったと私は心の中で小さく溜息を漏らした。