85:身分相応?
木々が風に撫でられ梢を揺らす。
車輪を浮かせ、斜めに倒れた馬車。
丈夫な幌は踏みつけられた程度では曲がっていない。
獣の死体があることを除いては、逃げ出した時と同じ状態だった。
スーニャが指を軽く数度振り、小さな炎を出してランプに火を灯す。
「いい加減明かり覚えて下さいよ。燃料代も馬鹿にならないんですから」
セザルからそんな文句が聞こえた。
「地味じゃん。しかも慣れるまで維持が大変らしいし」
唇を尖らせて彼女が小さな声で反論する。
後の方でブツブツと『簡単に言うけど構築がむずいのよアレ』と口の中で転がす。
ファンタジー満開な魔法もすぐ使えると言うわけではないようだ。
ちょっと残念。まあ、アオから思い切り不向きだと言われたけど。
私はまだ諦めていない。
ピンクの帽子の魔法使いが鈍色のランプを掲げる姿は少しシュール。
微かに吹く風に揺らされ、マントに走った黄色い線が歪む。
私は明かりなんて要らないが怪しまれないように明かりの届く範囲で歩いた。
スーニャはランプを片手に馬車へ恐る恐る近寄っていく。
オレンジの光に照らされる闇と違う漆黒。
唾を飲み込み、肺から絞り出すような呻きが二人分。
「ふえぇ。この手の馬車にこんなに近寄ったの初めてだわ」
「う、げ。間近でみると凄いな」
そう言えば黒い馬車だったかと、そんなに離れていなかったはずの馬車の外観を眺める。
来る時は急いでいて、休憩時は酔いのせいで余り見ていなかった。
木製ではなく鉄か、また別の鉱物を使用しているらしい馬車は叩けば音が響き渡りそうな光沢を放っている。
ズッシリとした重みのある外見だが、馬一頭で引けるのだからそう重量はないのだろう。
表面はハンマーで二桁ほど叩いてもへこみそうにもないが。
「……なんというか、良くこれ気が付かなかったですよね」
「いやちょっと魔法の手順とか組んだりとかしてたし」
セザルとスーニャの会話を聞きつつ、観察を続ける。
普段から手入れが良くされているのか、泥が跳ねて汚れている感じもしない。
中の豪華さに負けず劣らず、外側も新品のように磨き抜かれている。
炎に焼かれて巻き付けていたロープが切れたらしく、扉に蒼い幕が垂れ下がり、寂しげにゆらめく。
高価だとすぐ分かる上質の赤い布の中央に金の紋章に文字が縁取られている。
確かに、揺れない方が助かるとは言ったけれど……ランク低めにして貰えば良かったかも。
馬車はよくよく眺めなくとも庶民には少し手が出せない空気を放っていた。明らかに私には分不相応である。
姫巫女なら相応なんだろうか。金の文字を読み取ろうと頑張るが、眉間に皺が寄るだけの結果に終わる。
簡単な文字程度なら覚えたけれど難しい文字や比喩は理解出来ない。多分馬車会社の名前なんだろうとは分かるけど。
まあ、いいか。その手の話題を振られたら全力でぼかそう。
「座席の下に薪があります。食料、水、毛布もありますから必要でしたら取って下さい」
荒らされた様子がないのでちょいちょいとタラップを指し示して告げる。
「それ助かるけど良いの?」
「使えるものは使いましょう」
脅えたような彼女の台詞に肩をすくめてみせる。
どんな身分を想像しているのか。
貴族と勘違いされていそうだが、腫れ物に触るような扱いは苦手なので適度に誤魔化すか。
こちらの一挙一動にびくりと震える三人の視線を感じつつ、心の中で嘆息した。
道具は全く使わずにランプと同じように指を動かすだけで薪に火はつき、あっさりとたき火が出来上がった。
私とシリル以外、それを囲んだ面々は黙したまま俯いている。
気まずい。とても気まずい。
「……誤解を受けているようなので言っておきますが、特別身分が高いわけではありません」
胃が痛くなりそうなので咳払いを交えて言葉を吐き出す。
「え、でもあんなの貴族かお金持ちじゃないと使えないし。
それにあの馬車の所プライド高いから滅多な事じゃこんなトコまで来てくれないのよ。
あたし達なんて近寄るだけで怒られるんだから。
貴族とかそんなのでしょ。っていうかそうじゃないとおかしい」
スーニャがぶんぶんと杖を振り回し大きな瞳を鋭く細める。
ああ、ややこしい事になってる。
悪魔祓いギルドからの直接指名だから来てくれたんだろう。
貴族じゃないという言葉だけでは納得して貰えそうにない。
「手配は適当に頼んで貰ったのでよくは知りません」
余り曖昧にせずに素直に答えた。
覆面を外したりはしない方向で疑問を解凍する事に決める。
「手配? てきとーって。どういう意味よ」
「貴族やお金持ちで分類するなら後者と言うだけです。
多少特殊な面もありますでしょうが」
微かに眉を跳ね上げたスーニャにそう返し、半刻ほど前と同じように薪をたき火に放る。
向かいから習うように数個薪が投げ入れられ、チリチリと火の粉が舞い上がり、一瞬だけ炎が視界を阻んだ。
シリルは薪の位置を拾ってきた長めの枝で直しながら、私がどこまで話すのか耳をすませている。
「お金持ちだったらお嬢様とか……特殊ってなに?」
「有り体に言いますと、職業が変わり種でして」
少し小腹が減ったのでスティック状の非常食を裂いて口の中に放る。
干し肉のようだが塩辛い。
食事を摂る時は覆面を脱ぐと思ったのだろう、残念そうな三人。
スーニャがちっ、と舌打ちして『特殊加工か』と残念がるのが見えた。
地理的に遭難だったら食料を温存するが、他三名の様子やこれまでの言動を考えるに町は近い。
「変わり種でお金持ち。と言うと城仕えの人とか」
「神官……は人によりけりか」
「占い師、かな」
スーニャ、エイナル、セザル。三者三様の答えが返ってきた。
外見で偏見を交えていそうな最後の答えがやや気になったものの首を振る。
「悪魔祓いをやっています」
職業と言うよりも副職のような感じだが、しているのは確かなのでそう告げた。
しばし沈黙が落ちる。
風船から空気が抜けるように、緊張感と疑念が抜け出ていくのが見えた気がした。
ぽかんと口を開けていた一同から跳ね飛んで、勢いよくスーニャが詰め寄ってくる。
「……近場にギルドあるの知ってたけど悪魔祓いって実在したんだ! 見たの初めてっ」
きらきら光る眼差しに邪気はない。が、迂闊に触られるのを避ける為、すっと移動してシリルを盾にする。
少し恨めしげに見られたが我慢して貰う。顔が見られたら大パニックだ。
「あー、確かに。悪魔祓いしてる奴なら金持ちだわな」
「高額悪魔は一攫千金ですからね。でもそれなりの悪魔はそれなりの値段。
こんな優遇される上にここまでお金を出し惜しみしないなんて相当――」
そう言えば正悪魔は強いんだった。値段の上限が高いものばかり仕留めているので雑魚の賞金は知らない。
この反応だとかなりのカスカスなのは分かる。
シリルを素通りし、視線が一気に私に突き刺さった。
彼が悪魔を祓うなんて出来そうに見えなかったらしい。
消去法で私、と言う訳か。当たってるけど。
……まずい。
ちょっと話題選択間違えたか。
集まった視線の熱気に冷や汗が流れる。
勘違いされたままの方が良かったのかもしれないと後悔した。