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84:どうでも良い事

 心頭滅却火もまた涼し、という言葉がある。

 そんな気持ちで目を閉じていても火に飛び込めば燃えるし、極寒の地に放り込まれれば凍り付く。

 自分を騙し続けても現実は襲ってくるのだ。


「ちょっと、大丈夫二人とも」


 吐き気を堪える横でスーニャが気遣わしげな声を出す。

 壁に身体を預け、揺られたままになっている私達は屍のようにも見えるだろう。

 悟りを開くつもりで揺れを無視していたが、確実に三半規管はやられたらしくこの有様だ。


「馬車、弱いのね。そんなに弱くて良くこの辺までこれたわね」

「途中、休憩を何度か挟んで来ましたから……うう」


 呆れ半分感心半分と言った風情の彼女に答えつつ口元を押さえる。

 声を誤魔化す為ではなく吐き気を堪える為だ。一分経たずに酔うとは、情けないを通り越して恥ずかしい。

 シリルも気持ち悪そうだが私よりは大丈夫そうだし。

 身体の大きさも関係あるんだったら、子供なのが恨めしい。


「あとちょっとの我慢。もう少しよ!」


 必死に励ましてくれるスーニャには悪いが、今の私には、もう少しが星の距離に思えた。



「はいはい到着ーっと!」


 長い長い間地獄と現実の狭間を漂っていた意識を明るい声が引き戻す。

 がた、と大きく車体が揺れ車輪が軋む音が聞こえた。


「ほら、止まったわよ。行きましょ」


 掌を差し出され、了承の言葉を飲み込む。スーニャの厚意はありがたい。

 確かに酔いのせいで足は上手く動かないし前後不覚気味だ。けれど、私は首を振った。


「いえ、お気遣い無く」


 僅かに彼女の顔が曇る。


「お前、信用出来ないとでも言うつもりか」

「いいえ、この位自力で立てますから」


 静かに嘘をつく。本当はふらふらしていて立てたとしても真っ直ぐ歩ける自信がない。

 しかし、私は知らない……いや、知っている人にでも腕を借りてはいけない。

 掴まれた部分から腕の細さも分かるだろうし、老人か若者か位は判別される。

 エイナルの疑念は当たっている。私は信じていない。信じてはいけない。

 この姿を気が付かれたら全てがお仕舞い。

 捕まる事も恐れられる事も崇められる事もある程度は覚悟出来ている。

 でも、そうなった時せめて教会のみんなに軽いお別れでも渡したい。

 これは、少しだけあの教会に長く留まりすぎた私が抱える我が侭の一つ。

 服の下で拳を握っていると横から腕をそっと掴まれる。振り払わなかったのは、その弱さに覚えがあったから。

 薄く微笑んでシリルが手を引いた。


「僕の方はそんなに酔いが酷くありませんから」


 支えますよ、と首を軽く傾ける。本当に、彼には甘えっぱなしで申し訳ない。

 全部背負わせるつもりはないのに、ついつい甘えてしまいたくなる。

 しっかりしないと。

 だけどこの場は甘える事にした。流石に振り払う気はないし、そこまで意固地になってもみっともなくよろけて転がって心配を掛けるだけだろうし。

 言い訳かもな、と自覚しながら分かるように大きく頷いた。


「はい、急に立つと気分が悪くなるでしょうから、ゆっくり行きましょう」


 無理矢理引っ張る事はなく支えとして居てくれるシリルの腕にしがみついて立ち上がる。

 世界に波紋が広がるような違和感。数拍ほど視界がグニャグニャになる。

 おお、凄まじい目眩だ。

 自分の事なのに思わずそんな感想を胸の内で漏らす。軽い頭痛はするが吐き気は催さなかった。

 助けて貰っていなければ立つ前にすっころぶどころか頭から落下していたかも知れない。

 そうなってまで拒む私はきっと不信感をもたれるだろう。まあ、既にもたれてるんだけど。

 神ではないが、不信は少ない方が良い。

 嫌われるより好かれる方が心地いい。限度はあるが。

 微かに青色の髪が脳裏をよぎり思わず半眼になる。


「着きましたけど、ちょっと良いですかエイナルにスーニャ」


 フラフラしそうになる足取りを意識的に押さえつけ、馬車から降りると御者役だったセザルが馬を操る席から声を落としてくる。

 浮つきそうな意識を鎮め、木の葉のクッションを踏みしめ見上げると困ったような顔が映る。


「なによ〜」


 早く火をおこさせろ、との不満の混じった答え。

 エイナルは先程の私の態度が気に入らなかったのか、黙したままだ。


「この人達を助けたんですよね。ここで」


 私が見えていないと思ってか、彼は渋面でよく分からない事を問いかけてくる。

 御者席からなら、よく見えるだろうに。

 スーニャが帽子を揺らし、ずれて目隠しになりかけた鍔を杖の先端で押し上げる。

 かちんと水晶の飾りが打ち合わさる音が涼やかに響いた。


「そうよ。あ、死体が気持ち悪いーとか言うのは我慢して。

 群れで黒こげにするには火力が足りなかったの」


 頬を膨らませて『悪い?』と杖を振り回す。

 彼女的に行使した魔法に何か不満点があったらしい。


「いえ、獣の屍じゃなくて。エイナル……夜盗を疑ってましたよね」


 こめかみを押さえセザルがもう一度私達の馬車の方を見た。


「そうだ。怪しいだろ」


 キッパリと答えられる。それには返す言葉も無い。

 だが、意外にも反論は私達からではなくエイナルの仲間から出た。


「あの、状況というか立場的に疑われるの私達じゃないんですか」


 とても困ったような口調で。


「はあぁ!?」

「なんでよ、正義の味方なのに!」


 当然反論と驚きを発する二名。


「二人とも、馬車見たんですよね」


 相当な勇気がこもっていそうな台詞を恐々と絞り出す。

 止まった馬車の上で言葉を落とすのは杖で叩かれるのが怖いからかも知れない。


「見たけど。暗かったからよく見えなかったし、今もよく見えないし」


 問われてピンクの帽子を跳ねさせて考え込む。確かに森である事も相まって随分暗い。

 夜目が利いたとしてもこの暗さはぼんやりとしか分からないだろう。

 なので私だけ見えるなんて絶対に言えない。


「月光がこちらからだと明かりとなり、助けになります。

 この席に座ってみて下さい。凄く失礼な事をしたと反省出来ますから」

「ん〜。よっく分かんないけどまあ良いわよ」


 不満を身体全体から表しつつも言われた通り席に向かう。エイナルは黙したままで続いた。

 指名はされなかったので大人しく酔いが収まりつつある身体を休ませる事にする。

 休みましょうかと呟こうとしたら、夜の静けさをつんざくどころか粉々にする悲鳴が側で上がった。


「っぎゃああ。なにあれなにあれ!?」

「み、みみが」


 鼓膜にモロに喰らった二人が耳を押さえて居る。

 スーニャの声が木霊して広がっていく。


「どうかしました?」


 尋ねながら、彼女の声が掌で挟め込めないかと手を合わせてみるがやはり声は形にはならない。

 肉体をすり抜けて遠くに消える。


「ど、どどど。どうもこうも、どうかしたも何も。あ、あの馬車」


 乗ってきた馬車がどうかしたのか。そう言えば、御者の人どこにいるんだろう。


「貴族かそれに類する方の使える馬車です。夜盗なんて逆ならともかく」


 苦いセザルの言葉にエイナルは絶句して固まっている。

 ああ、成る程。

 出来る限り良い馬車と言ってきたから適当に任せたが出来る限りどころか相当高価な馬車を選んでくれたらしい。

 ユハの所に行くからにしても貴族用使っても良かったんだろうか。今の口ぶりだとお金を積めば良さそうだから大丈夫か。


「まあ、気にせずに」


 私にはそんなランクというか階級なんてどうでも良い事だ。聖女もどうでも良いし。

 パタパタ手を振るとまた絶句された。

 やっぱり私はまだまだ勉強不足。どれだけ貴族が偉いのかも、あの馬車がどんな意味があるのかも分からない。

 だから、上手いフォローが見つからず場が自然と滑らかになるまで待つしかなかった。

 幾ら長生き出来ると言っても、早くに覚えておくに越した事はない。

 覚える事は沢山ある。国に捕まえられるまでに一杯覚えて神にも悪魔にも世界にも一泡吹かせるのだ。

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