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8:時を凍らせる言葉

 二人並んで腕を広げてもなお余裕がある一本道を進み続ける。軋みも上げずに門は閉められ、辺りを完全な闇が支配している。

 てくてくてくと歩いているはずなのに音が立たない。

 映画館の中よりも真っ暗な、ノイズ一つ無い漆黒。この場所をどのぐらい私は歩けば良いんだろうか。

 悪魔が好む闇が私は一番苦手だった。普段なら足がすくむこの場所で落ち着いていられるのは掴めるものがあるからだった。

 ―― 一人じゃない。

 それだけが今の私の支えだ。

 握られた手の平に少しだけぬくもりを感じる。

 ああそうだ、忘れていた。アオがザッパリ断ったせいで聞きそびれていた相手の名前。

 聞いていれば話しかけるのも多少楽になるのに、と心で唸る。

 更に自分も名乗っていなかった事を後悔した。不作法にも程がある。

 そうだよ、私の名前もまだ。そこでカチンと歯車に砂が噛んだような違和感。



 わたしのなまえ。


 そう言えば。

 

 私の名前って、何だったっけ?



 ここに入るまでは確かにそれは身体に染み込んで、意識せずとも発せられた。

 生まれた時から共にある、自分の名前。入ったとたんに何処かに蒸発してしまったかのように、記憶を掘り起こしても出てこない。

 不思議と動揺はしなかった。名前を呼ばれる事自体滅多になかったので、無くなったところで余り問題ないとも思えてきた。

 名前が消失するなんて普通ではない。だからきっとこれはアオの仕業なのだろう。そう言えば準備うんぬん言っていたから恐らくこれの事だ。

 世界を捨てるという事は、名前も捨てるという事か。

 今更ながらに気が付いた事実を少しだけ口の中で反すうした。

 

『荷物はいらない。いるのは君の身体一つ。

 この世界の物は全て置いて、君は向こうの世界で生き延びなければならない。それが決まり』


 あの台詞には名前も含まれていたのだと今なら分かる。アオ、私の名前そんなに重いか。

 服と言語能力は残して欲しいと考えながら、ぶら下がるように相手の手の平に力を込めて先を進んだ。

 微かに隣の輪郭が感じられた。

 足が早くなる、なぜならば、私達はもうすぐ出口へ着くのだから。

 薄い点にも見える出口を彼も見つけたのだろう、手を強く掴まれた。声を出す事はせずに軽く頷く。

 言葉は要らない。


「あれ」


 彼が少しだけ不思議そうな声を上げたが、心が光を求めて止まない。


「早く!」


 私は疑問の声を深く追及せずに腕を引っ張った。

 

 


 出口には扉は付いていなかった。直線で進んでいたのに見えないのもおかしい話だが、神の仕業ならしょうがない。

 柔らかさと固さが同居する床とオサラバするべく光の中に足を踏み込む。

 ぶわりと私達を迎えるように一陣の風が吹き抜けた。草の香りが鼻をくすぐり、懐かしいような妙な気分だ。

 懐かしいも何も、私の世界ではアスファルトと人工の公園ばかりで蒼い野原なんて高原まで足を運ばねばならないほどに珍しいものだったのに。

 空いた手の平を掲げて軽く伸びをする。身体が光と風に溶けてしまいそうだ。とろけるような気持ち。

 目を瞑ったまましばらく草の匂いを楽しむ。そして現実を見る事にする。

 

 正直言いますと、眩しすぎて目が開きません。 


 隣でも「うぅ」といううめき声が聞こえる。長時間暗闇に居続けた後遺症だ。

 闇から抜け出した瞬間光が網膜を焼いた。

 目がー! と本気でのたうつ前に目を閉じる事で回避したんだけれど。いつまで経てば元に戻るのかこの状態。


「何してるのかな二人とも」


 この、人を小馬鹿にした声は。

 胸の辺りが多少むかつくが、怒鳴るのは大人げない。問われたのなら答えてあげねば。


「何って、誰かが長時間闇の中に置いたんで、急激な変化に付いていけない身体が悲鳴を上げている最中です」


 心からの私の声に空気が少し強張った。


「……うわぁ。イヤミな子だー」


 アオが棒読みで何か言っている。しかし、こうなるのは自明の理ではないか、対策していない番人が責任を問われるのは当然の話だ。


「声は綺麗で可愛らしいのにね」


 しみじみ呟かれて眉を寄せる。それだけは良く言われる。

 私の側でしばらく過ごす人は必ずと言っていいほどに、言うのだ。

 ――声は綺麗なのにね。

 そして、前後に不愉快な単語が絶対と言っていい割合で付く。だから、その台詞は褒め言葉とは思えなかった。

 声は可愛いのにやってる事電波だよね。とかストレートなところで顔さえ整ってればパーフェクトなのにとか。その時はついうっかり鞄をその男子生徒の顔面に飛ばしてしまった。

 地球温暖化が深刻化しているのか、あの日はとても暑かったので手の平が汗ばんでいたのだろう、悪い事をした。

 鼻血が流れるのを眺めた後、更にうっかり謝るのもティッシュを渡すのも忘れて帰ってしまったが、恥じらい深き乙女の所業。誰もが許してくれるはずだ。


「はい、どうせ顔は伴ってませんよ」


 付け足される位なら幾らか自虐的でも自分で言った方がマシだ。


「いいや、君は可愛いし綺麗だよ。鏡は見なかった?」


 さらりとアオがそう言ってきた。相手が相手なので恥ずかしがるという事にはならず、一瞬にして幾つかの項目が並ぶ。

 

 一.お世辞。

 二.本気。

 三.遠回しに馬鹿にしている。

 四.とてつもなく目が悪い。


「目が腐ってるんですね。ちゃんと治療したほうが良いと思いますよ」


 三か四で迷ったが、四番を選んだ。敬語も合わさって我ながら慇懃無礼な態度になっていると思う。


「ひねた子だよね君は。でも君のそう言う部分嫌いじゃないよ」

「確かに、アオさんが素直な子と談笑したら不自然極まりませんが」


 不自然というか、かなりコワイ光景になるのではなかろうか。

 様々な意味合いですれ違った会話みたいに。


「まあとにかく、目を開けるようにして下さい。職務怠慢はいけません」


 何か言いたげな沈黙の後、ポン、と頭に手がのせられる感触がした。


「目を開けて大丈夫。好きなだけ異世界を堪能するといい」


 握りしめていた手はいつの間にか解かれていた。何となく物足りない。


「これから嫌と言うほど出来るんだから、まず彼も目を治して下さい」


 目を開くと屈んだアオの顔が見えた。

 悪戯っぽい目。楽しい事が大好きだという顔だ。


「あ、あそこに川がある。触ったら気持ちよさそう!」


 アオは私の言葉に答えずにっこり微笑んで、指で私の左側を示す。

 川! 真っ暗闇の中歩き続けた私は子供だましのミスリードにあっさり引っかかってそっちを向く。

 とにかく身体が熱い。喉が渇く。飲めはしなくても川の側は冷気が溜まっているはずだ。

 柔らかい草を踏み分けて、煌めく一筋の川目差し一直線に進んでいった。


 うわー。川だ川だかわだー!

 

 キャンプ地でもなく、人工でもなく。

 完全天然モノの川に感動し、年甲斐もなくはしゃいでしまう。

 近くの草を踏みつけて柔らかくし、座り込む。上流から流れる水と共に、風が冷気を運んでくる。

 極楽極楽。

 ぜえぜえと切れていた息が戻っていくのが分かる。運動不足にしても疲れるのが早い気がする。

 さっきはよろめき掛けた上に、樹にぶつかりそうにもなった。意外と遠い川に着くまでに何度か転んで顔が痛い。

 血が出た感じではないので、軽く擦り剥いた程度だろう。

 今日は色々あったしなぁ。死の宣告に、悪魔を抜いて、闇の中で歩いて、異界へ到着。結果的に異世界を二回も見てしまった。

 下生えを踏みしだく音に顔を向ける。白い服を汚すことなく彼が少年の手を引いてきた。


「あ。アオさん」


 おもむろに私に近寄り、隣に座り込む。座ってでもこの差。背が高いなあ。


「派手にやらかしたね。美人が台無し」


 びしびし手の平で軽く怪我した頬や額を叩きながらの台詞は説得力というものがない。


「服まで汚れて」


 ぱっぱと私の汚した服を軽く撫でる。

 お前はお母さんか。


「なんか転びやすいのが悪いんですよ。あ、魚!」


 流れる水面に黒い影が映り、立ち上がって近寄った。

 大自然の力か、何だかテンションが高くなる。

 私が近寄ると驚いた魚が跳ねて、キラキラと透明な雫がまき散らされた。

 うっわぁぁ。何だか感動だ。汚染されていないで、直に触って(多分)飲んでも無害な天然水。

 それも川!

 尖っている小石がない事を確認して軽く足を水につける。


「痛い、冷たい、痛いー。あははでも冷たくて気持ちいいっ」


 切るような冷たさ。でも慣れてくると我慢できる。

 指先も少しだけ水につけて見ると、じわりと痺れが走った。

 ううっ、つめたーい。思い切って両手首まで突っ込み、感覚が無くなりかけるところで急いで引き抜く。


「つーめたー」


 ばしゃっと音が立って飛沫が宙に溶ける。幻想的だ。

 少なくとも神様の使用する門より百倍は幻想的だ。


「子供みたいだね」

「私の世界ではこんなの滅多に出来ない体験だったもので」


 くすくすと堪えるように笑われて頬が少し熱くなる。

 う、ちょっとはしゃぎすぎたか。


「っていうか彼はまだ治してあげてないんですか」

「色々衝撃的だろうから、少し間を置いてと思って」

「なるほど」


 村は全滅、いきなり異世界では衝撃的すぎるだろう。私だったら絶望する。

 とはいえ、ずっとそのままというのも酷なのではないだろうか。

 目を開いて現実を見せた方が良いだろう。

 脳みそがオーバーヒートしたらしたで、冷却水を掛けてやればいい。

 丁度私の足下には沢山の水がある事だ。冷たさは我が身を持って実証済みである。


「……いいんじゃないですか? 見せても」

「結構楽観的だね」

「現実は変えられないのですよ」


 それだけは、十年以上掛けて教えられた。じっくりと。

 アオは後ろを向き少年の頭に手を置いたのだろう、そう経たずに「いいよ」と合図を出す。

 しばしの間を置いて、酷く上擦った声が響いた。


「これ、なんですか」


 手持ちぶさたなので両手に一掬いしてから空に水をぶちまける。


「現実」


 そして一言だけで答えた。空に散らばった水の粒はダイヤモンドみたい。


「取り敢えず言ってた気もしますが、僕は異界の門番で神様のようなものです。

 訳あって、君は異世界行き決定になったと言う事です」

「確かにそんな事も言ってましたけど。でも……あの人は」


 あの人というのは私の事だろうか。うん、アオ以外は私しか居ないか。


「彼女も同じく異世界へ行く途中でした。途中で君の事に気が付いて少し寄り道をしていただけです」


 微笑みながら穏やかな調子で残酷な事を述べるアオ。

 待てお前、かるーくついでに助けたけど後処理困ったから連れて来ちゃったって、本人目の前でぶっちゃけるな。


「そ、うなん、ですか」


 ほらもの凄いショック受けてるから。もう少し柔らかく言ってあげろ。


「そう」


 断言したアオにていや、と足下の水を投げつける。


「ぎゃ冷た、うわ、無茶苦茶冷たい!」

「冷たさを感じろ。冷血人間!」


 ばしゃばしゃと音を立てて相手にぶつけまくる。


「人間じゃな――あいたっ。ちょ、石混ざってるッ」


 気が付けば、川底が軽く抉れていた。結構大きな石があった気もするが、まあアオなら多少の事では気にするまい。

 何せ神様だもの、心が広いに違いない。ええ、きっとそうだ。

 宙に投げられた水が雨のように降り注いで水をまき散らしていた為に見えなかった周囲がクリアになる。

 ぼんやりと、スミレ色の瞳が私の方を見ていた。


「ほらっ、こんなに水が冷たいですよ。気持ちいいー」


 アオの言葉がさぞかしショックだったのだろう、口を軽く開けて放心状態だ。


「せめて手を入れてみませんか。すっごくスッキリしますから」


 出来るだけ大きく手を広げて主張してみる。腕に絡み付いた髪が邪魔だ。

 力を入れた台詞が功を奏したか、ふらふらとした足取りで彼は私の側に近寄り、冷水に顔をしかめながら綺麗な手の平を水中に沈めた。

 微妙な違和感に目を細める。白い、指?

 血まみれの手を差し出す事を躊躇っていたのに彼の指は、いや、手の平は血で汚れてすらいなかった。

 私の手も汚れているか確認はしていなかったけど、多分汚れていなかった。アオがまた何かしたんだろうか。


「本当に、冷たい」


 少しだけ相好を崩して彼が笑う。


「騒いだから魚は逃げちゃいましたけどね」


 おどけたつもりの私の台詞に彼が顔を上げて私を見つめた。

 そして、時が止まる言葉を発する。


「あなたは、だれ、ですか?」


 私を真正面から貫く瞳は真剣な色を含んでいた。

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