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ep-YG:開眼・後

 ――嫌々やってると思ってたけど、そうでもなかったのか。

 

 父の背を見たアルノーの感想はそれだった。

 作業中声を掛けるなと言われる事もあったが、ここまで作品にのめり込んだ姿を見た事は、今までなかった。

 ユーグは黒に近い髪と瞳のせいで人々に顔を背けられ、外に出られる職業に就く事が出来なかったと母から少しだけ聞いていた。

 一つだけ幸福な事があるとすれば、ユーグには籠編みの経験があり、作品を作り出すだけの腕があった事。

 アルノーの父は籠編みの職人になった。

 それは境遇で狭められた選択。籠編みは生活の為に仕方なくやっているのだろうし、日の当たる場所でもっと並の生活をしたいのだろうとも考えていた。

 が、ここしばらく食事も睡眠も取らずに仕事を続ける父の姿に自分の考えが間違っていた事を悟る。

 マナが楽しそうに言っていた通り、アルノーの父は間違いなく職人だった。

 言葉は要らない。空気で感じ取れる気迫が部屋に漂っていた。


「オ、オヤジ。晩飯置いておくからな、本当に食べとけよ」


 感心するのと同時、打ち込む姿に恐怖を覚える。昼食はやはり手を付けられた様子が見られない。


「ああ」


 ぶっきらぼうな返答にトレイを交換して息をつく。

 あー、男親らしいと初めて感じつつこのまま断食が続いたらどうしようとも思う。

 そんときは流動食を作ってもらって無理矢理注ぎ込んでやるかと半ば本気で考えた。

 


 翌朝トレイを持って部屋に入り、アルノーは悲鳴を上げた。


「ぎゃー、オヤジなにしてんだよ!」


 扉を開くと前のめりに倒れた父親がいた。横から眺めると倒れているにも関わらず何処か幸せそうだ。


「で、でき……た」

「出来たじゃねぇだろ! また食ってねぇし。

 三日三晩徹夜して飲まず食わずするとかアホな事すんな!」


 震える指先で出来上がった作品を持ち微笑むユーグの頬は、三日と言わず二週間は断食したかのようにけている。

 職人は作品に命を注ぐと言うが、この姿を見ていると本気で入れたんじゃないかと疑いたくなる。


「食欲無いかと思ってスープにして貰って良かった。ほら、水飲んでスープを食え、衰弱死するだろ」


 熱の入れすぎで真っ白に燃え尽きた父親を眺め頭痛を堪えてトレイを差し出す。


「マナは……」

「もう出たよ。なんか邪魔したら悪いからとかで」


 尋ねられ呆れかえりながら答える。この状態で人に会いたいとは我が父ながら良い根性だ。


「そうか。出来たのに」


 始終笑みを浮かべていた顔に陰りが差した。

 アドバイスや自分の要望を伝えるマナに一番最初に見せたかったのだろう。

 全体的にはユーグが作っているが、固さや質感形状はマナ指摘を生かし作っている。

 気持ちは分かる、気持ちは分かるのだがアルノーはその台詞を聞いて目眩を覚えた。


「二日前の話だからな。ちゃんと言ってたのに聞いてなかったんだなやっぱり」


 額を指で押さえ、唸る。父にとっては訪問中でもアルノーにとっては過去の人である。

 本来なら付いていきたかったが、何かに取り憑かれたかのように作業に入った父と、客人を放っておく訳にもいかないので自宅にいる。


「そんなに前か!?」


 衝撃でか、勢いよく起きあがるユーグ。


「そんなに前だよ。しっかりしてくれオヤジ」


 朝の仕事の前に疲れを覚えつつトレイを押し付けた。

 父親はそれを受け取った後、水だけ含み。


「じゃあ、早速売りに行ってくる」


 食器に手も付けずにトレイを置くと素早く片手を上げた。

 語尾が微妙に尻上がり気味だ。徹夜と食事抜きが続いた上に作品が出来上がってハイになっている。

 マナから首を傾けて「アルノーとお父さんはよく似てますよね」と言われ、首を横に振った。

 が、ゾンビのような執念で外に出ようとする父を見てアルノーは自分の性格ってオヤジ似なのかもと少し悩む。

 余り大人しいとは言えないアルノーが思わず「落ち着け」と叫びたくなる位だ。


(オヤジがここまでめんどくさいタイプだとは)


 普段の温厚さとぼんやりした口調で隠れていて見逃していたらしい。


「売りって、少し休んでからにしろよ。フラフラだし顔色悪い。

 それに、今日は手伝えないしさ」


 襟首を引っ掴んで座らせて、もう一度食器を示した。

 出来る限り曖昧に言葉を濁して一緒に座る。

 考えたくない可能性だが、髪と目のせいで売れないだけではなく石を投げられるかもしれない。


「良いんだ、自分で売ってこの作品の威力を確かめたい」

「威力て、爆弾じゃあるまいし」


 倦怠感にも似た疲労を感じつつ出来上がった作品を取り、見つめる。

 何時もユーグが作っているのとはかなり毛色が違う。掌より少し大きな、包みのような籠だった。

 籠ではなく、新作ポーチと言えばいいのだろうか。

 触れればすぐにたわみ、歪むのにしばらく経てば元の形に戻る。

 これだけのしなやかさを出すのには随分苦労しただろう。

 籠に幾つも華美なものから繊細な装飾を施す父親の作品とは思えない程に、シンプル。

 片隅にひっそりと咲く花、揺らぐ葉。戯れる蝶。

 隅に描かれているからこそ、繊細さが増していた。

 花の香りと相まって、本物の花がそこに挿されているかのようだ。


「この姿でも本当に売れるか知りたい。いや、売れるはずだ! そう言って貰えた」


 徹夜続きのはずなのに、瞳に強い光を宿した父を見て、アルノーは苦笑した。


「…………そうだな」


 ふと、拳を握って力説していたマナの台詞が蘇る。

 ――きっと凄く売れると思います。

 この出来なら、少女の予言は当たるだろう。それに止めても這って出て行きそうな雰囲気だ。


「じゃあ行ってくる!」


 ま、いいかと笑おうとしたアルノーは明るい返答に転んで頭を打ちかける。


「待てオヤジ。もう止めないけどな、せめて食ってからにしろ!」


 がっしと背を向けた父親の襟首を掴み、叫んだ言葉は悲鳴に近かった。

 流石に三日連続食べられない手料理が可哀想だ。食材と母親が泣く。

 売りに、売りに。とうわごとのように呟き続ける父親を力一杯引き留めて何とか食事だけは食わせようと心に誓った。



 一仕事終え、様子を見に帰ってくると父親はまだ戻ってきていなかった。


「おっそいなぁ」


 茜色に染まった空を眺め、呻く。


「大丈夫かしら」


 アルノーと同じように外に佇んで、白に近い髪を揺らし、母親が柳眉を潜めた。


「……大丈夫だろ」


「道に迷ったのかもしれないわ」


 グリーンの瞳を潤ませてアンネは夫の身を案じる。

 異形だと囁かれる父親だが巡り合わせは良いのか母親とは何時までも新婚状態。息子ですらたまに逃げたくなる熱愛ぶりだ。


「いや、売りに行くっても村の中だろ」


 心配性の母親に片手を振って半眼になった。


「前に凄い格好で帰ってきた事があったでしょう」

「ああ」


 頬に手を当て、溜息混じりの言葉に頷くと共に渋面になる。

 二年ほど前の話だ。泥や草にまみれ、何ともないと笑いながらボロボロになって真夜中に帰ってきた父親。

 あまりに酷い姿だったので思わず問いつめたが、のらりくらりとかわされて、詳しい事は聞けなかった。


「あの時、もしやと思って尋ねたの」

「何をだよ」


 あの有様は大方差別系統なんだろうと憂鬱になる。


「迷子になったのかって」


 暗くなりかけた気分がアンネの素っ頓狂な一言で霧散する。

 いや、いい大人がそれはないだろうと突っ込もうとしたら、大きくかぶりを振る母親の声で留められる。


「あの人、生粋の方向音痴なのよ! ああ、やっぱり付いていけば良かったわ」

「え。あの泥とかは」


 狼狽する母親に、ぽかん、と口を開いて尋ねる。


「道に迷って滑り落ちたらしいの。

 もうそろそろ道を覚えたと思ったのだけど、違ったのかしら」


 予想外の答えにがく然とする。まさかいい大人が村の中で迷って転んで滑り落ちるとは。


「……オヤジって方向音痴なのか」


 集団リンチでない事にほっとしつつも、暗くなり始めた空に不安を覚える。

 確かにこのままでは二年前の二の舞になるかもしれない。


「知らなかったの」

「ん。外に出て行く事自体珍しいからさ」


 自分の容姿を気にしているユーグが出て行くのはせいぜい年に数回。材質選びの為位だ。


「そうねぇ。本当に珍しいわ」


 心変わりは確実にあの聖女の姿をした少女の一言だ。

 焦れた心が背を追い立て、もう探しに行こうかと口を開いた時、ふらふらと見覚えのある影が家に近寄ってきた。


「あ、お帰りなさい。あなた」


 アンナが素早く駆け寄って手を握り、夫の状態を確認する。泥があちこちに付いてはいるが、怪我をしている様子はない。


「……ああ」


 ぼんやりと、何処か遠くを見ながら頷く。

 朝に見た作品は一抱えほどあったはず。ユーグは手ぶらで泥にまみれている。


「お帰り遅いよオヤジ。あれ、売り物はどうした。

 結構あったから少しは残ってるはず……まさか」


 嫌な予感。商品が無く、虚ろに視線を彷徨わせる父親。

 もしや今度こそ襲われたのではあるまいか。

 ユーグは沈痛な表情で瞠目する。


「そんな」


 何事か呟かれたのか、口元を抑えるアンネ。

 嫌な予想が的中するのかと背筋に寒気が登った。

 ゆっくりと、ユーグが口を開いた。


「売れた」


 意味を咀嚼し、反すうするまで数呼吸分。

 真っ白になった頭に『売れた』の文字だけが焼き付けられる。


「は、売れた?」


 固まったせいで質問が僅かに遅れた。

 茜色の光が降り注ぐ。それよりも頬を赤くして彼の父は力強く頷いた。


「全部。売れた……川を眺めて思わず畑に突っ込んだら遅くなった」

「思わずで畑に突入するなよ」


 反射的に呻いてしまう。というより、紛らわしい沈黙と表情はしないで欲しい。

 それにしても畑を荒らされた人間は可哀想だ。


「大丈夫だ。お前の所の畑だったから」


 気軽に告げられアルノーは微笑み。


「おーなるほど。って良くないだろ! 怒られるの俺なのに」


 盛大に突っ込みを入れた。正悪魔並みに恐ろしい親方の姿が脳裏に浮かぶ。


「ホントに完売?」


 後々の事を考え怯えながら、もう一度問う。


「本当に売れた」


 キッパリとした言葉と共に袋を突き出され、後退る。じゃらり、と固い音が聞こえる。

 何時もなら三分の一売れればいい方。アルノーが売りに行っても完売にはほど遠い。


「まじ」

「大まじだ」


 唸ると真剣に見つめられ、現実だと実感する。

 でもいちいち真似なくて良いよオヤジとも思う。

 まじ、という言葉はユーグにあまり似合わない。

 考えて眺めるとひし、と両親が抱き合った。一応家の前だが外なので誰が通りかかってもおかしくない。


「あなた。良かったわ。本当に」

「ああ、商品だけでも買って貰える。腕が認められたんだ」


 注意しようとして、肩の力を抜く。

 アルノーの父のコンプレックスである色の力は実力で覆せた。

 作品は何色の髪の人が作っても良いんですよ、とマナが笑っている気がした。

 空気に薄い歌声が溶ける。聞き慣れた聖歌。確認するまでもなく歌っているのは両親だ。

 神を讃え、心を捧げる歌。今日ばかりはその相手は神ではない事は分かっていたので、アルノーは同じように歌詞を口ずさんだ。

 銀の髪と金の双眸。神に愛された姿よりも重要な言葉を扱う少女を思って。感謝と敬意を。


 次の日、アルノーの仕事場には大きな穴が出来ていた。


「なんじゃこりゃ」


 肉親がしましたと言いにくいとは思っていたが、別の意味合いで言い辛くなっている。


「ええ、と」


 目を剥く親方に、見事な人型の付いた畑は父の仕業ですと何時言おうかと悩んだ。

 そして、マナに親近感を抱く父親の理由の一つはこの素晴らしい転びっぷりにもあるんじゃないかと密かに考える。

 取り敢えず、話は付けておくかと徹夜の反動で眠り続けるユーグの顔を思い浮かべ、口の中で恨み言を幾つか呟いた。

アルノーはともかくいきなりこの人の視点は困るだろうと考え、今回は人称を変更してお届けします。

基本アルノー寄り。親子のほのぼのしたやり取りをお楽しみ頂ければ幸いです。

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