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7:スミレ色の瞳

 どざ、と重い音を立てて床に転がった。


「いたた」


 したたかに尻餅をつき、立ち上がる。まだ少年は身体を弛緩させて目を閉じているが、羽は消えている。

 やっと終わったと息をついて、妙に軽くなった両腕を見つめ、


「ぎゃ!」


 手の中のそれを放り投げた。少年の中で見た悪魔は妖艶を絵に描いたような姿だった。

 それを掴んで引き寄せたのに、私の腕に収まっていたのは。言葉で表せば不気味としか言いようのない生き物だった。

 言い表すならば、三葉虫にムカデの足が生えた黒い生き物。放り投げたくもなる。というか手にしていた事実すら目を背けたい。


 お前それが本体か!


 どこをどういじればあんな美女に変化できるのか。悪魔の底知れ無さを感じた瞬間でもある。

 私の腕から逃れたと知ると、悪魔はわさわさと地面を這ってアオの側をすり抜けようとし、ぐしゃりと音を立てて潰された。

 一切躊躇いなく、顔色すら変えずに踏んだよこの人。

 風船から空気が抜けるような音と共に、潰された悪魔の身体から微かな煙が上がり、更にアオがトドメとばかりに微笑んだまま踏みつけるとガラス細工のように粉々になった。

 今、パキーンて音が聞こえた。悪魔って一体どんな構造なのだろうか。

 視界の端で、微かに何かが動いた。そして、小さなうめき声が何度か聞こえる。

 慌てて振り返ると、僅かに少年の瞳が開いていた。

 身体の無事を確認するように腕を動かし、目を開く。

 その目を見た時、私は飲まれそうになった。深い、スミレ色の瞳。強い引力に引き寄せられそうになる。

 目に魔力を持ってるみたいだ。気を抜けば彼の目から視線を放せなくなる。


「あ、く……」


 彼は私を見て驚いたように瞳を開く。綺麗な色だなぁ。


「ま…………?」


 最後の呟きに私の血が凍った。感動が吹き飛ぶ。

 今、なんつった。この人。

 私を見て『悪魔?』とか抜かさなかったか。

 絶望した。凄い絶望した。助けた相手からの一言目が悪魔とか。一番嫌いなモノと間違えられて深く落ち込む。

 地獄より深い淵に沈み込んでいく気分だ。

 アオが頭を撫でてくれてるけど慰めにもならない。いじけてやる。ぐれてやる。


「彼女は悪魔ではないよ。君を助けた人」

「悪魔悪魔悪魔悪魔」


 ていうか泣こう。連呼すればマシになるかと思った気分は沈んでいく一方だし。


「あ、その声。ごめんなさい……目や髪が黒かったから思わず」


 慌てた声に、滲んだ涙を指先で拭った。そうか、この世界では黒い目や髪自体が異端なのか。

 そう言えばあの悪魔も目や髪が漆黒だった。美貌は比べたくもないけれど。

 同じく黒い髪、目、更に黒に近い制服と来れば怯えもする。そう、理解は出来るのだけど。

 理解は出来るのだけど。あの一言による傷がそう簡単に癒える訳がなかった。よしよしとアオには子供扱いされてるし。

 はぁ、と心の底から溜息が漏れる。


「あ、の。失礼ですけど……僕の両親と姉。知りませんか。先に逃げろと言われたので」


 恐る恐る尋ねられてもう一度溜息。来るとは分かっていたけど気が重い。

 幸か不幸かソファが影になって見えていない。彼の背後は惨状だ。


「…………」


 ゆっくり歩み寄り、手の平で静かに彼の視界を封じた。


「なにっ、す」


 しゃっくり気味の問いかけに、しばし無言を貫いて。アオを見た。

 微笑まれてしまう。人に押し付けて投げっぱなしか。

 仕方がないので、私が重い重い唇を開いた。これも確かに試練ではあった。


「残念だけど」


 彼の動きが止まった。筋肉が軋む音が聞こえる気がする。


「動いているのはあなただけ」


 息を吸い、考え。笑えるのは、この血潮にまみれた少年だけ。もう、彼の知っている家族は消えた。

 残ったのは、魂を入れてあった壊れた器だけ。


「嘘、です、よね」


 私は、答えずに彼の目蓋を指の腹で軽く撫でる。ぬるい雫が腕を濡らしている。

 あなたは分かっているから泣くのだと、わざわざ告げなくてもこの子はきっと気が付いている。

 濃い血臭に、今までの自分の置かれていた状況、辺りの静けさ。全てを合わせれば嫌でも現実を突きつけられる。

 他人だから私はまだ見られた。肉親ならば、目に映す事は出来なくなる。まず確実に数秒は正気を保てなくなる。

 だから、私は彼から光を奪った。尋ねられても答えてはあげない。この沈黙が私の答えだ。


「……分かりました。そう、ですね。生きているだけ……不思議なんですよね」

「手を離すから、立ち上がらないで」


 そっと手を離すと、彼がこくんと頷いた。赤くなった目が痛々しい。

 だけど背後は身体を張ってでも見せてはいけない光景だ。


「さて、僕の課した試練は無事に合格。君は見事に悪魔を(はら)いました。拍手」


 よし、踏むか。

 場の空気を全く読まないでわざとらしく乾いた拍手を送るアオの足を思い切り踏んづけると、大げさな悲鳴を上げて七転八倒する。

 実体無いのかと思ったらあったのか、番人。

 全く、幾ら神様でも不謹慎すぎる。踵落としで捻っておくべきだった。


「い、いきなり踏まなくても!」


 何だか涙目だ。神様を虐めてしまった。相手の自業自得だけど。


「胸に手を置いて、いたわりという言葉を考えてください」


 溜息を深ぁく吐き出して睨み付けてやる。


「溢れるほどに持っているのに」


 胸に手を当て、アオが沈痛な表情でかぶりを振った。

 どの口が抜かすか。


「幾ら何でも、孤立した彼を放り出す事はしないよ」


 思わぬ優しい台詞に狼狽したような声を上げたのは少年だった。まだ自由が利かない身体で、大きく両手を振っている。


「いえ、そこまでして頂かなくても。助けて頂いただけで僕は充分です。後は、自分でどうにかしますから」


 なんて謙虚な。見た感じは中学生程なのに、これだけの事があってこちらに気まで使ってくる。精神面は大人顔負けだ。


「大丈夫。二人、力を合わせれば何とかなるから」


 今、何か言いましたかこの人は。


「何か言いましたか?」


 寝ぼけた言葉が聞こえたのは気のせいだ。空耳だ。幻聴が流行っているんだろう。

 インフルエンザって怖いよねぇ。空とぼけようと思考が現実逃避をする。


「連れて行こうかと」


 アオがにっこり笑って人の努力を無に帰した。

 異世界にか。遠足でもあるまいし、幾ら何でも寝ぼけすぎだ。


「冗談は休み休み――」

「この村の側は狼の生息地。放り出すと確実にがぶり」


 私の台詞をアオが言葉で塞ぐ。

 スミレ色の瞳の少年は、何か言おうと口を開き掛けて止めた。無言の肯定と言う奴だ。


「うぐ」


 呻きしか漏れない。狼が周辺に出没すると聞いては「それじゃあこれで」と薄情な事を言い切れない。


「置いていく?」


 にんやりとアオが意地悪く笑う。

 脅しだろう、これ。


「おーけー。分かりました」


 私は両手を挙げて降参のポーズをとる。

 見たところ彼に身寄りがある風には見えない。さっきだって自分でどうにかと健気な事を言っていた。

 助けてしまった時点でそうなる可能性もあった、何よりこの番人は初めからそのつもりだったんだろう。


「あの、僕……名前を告げるのを」

「すぐに忘れるから良い」


 おずおずと申し出てくる少年の言葉を一刀両断。

 アオ、お前はなんて酷い奴なんだ。勇気絞り出したような台詞にもその返しかい。

 心の中で思わず素で突っ込む。


「さてそれでは参りますか」


 片手に持っていた聖書を捲り私と、少年を見た。


「え、あ。ちょっ――」


 開いた本をそのまま少年の頭上に掲げ。問答無用で振り下ろす。

 既視感デジャヴ

 空を切る音がして、声が途切れた。

 とさ、と手から解放された聖書が広がったまま地に落ちる。

 意外に重い音ではないと思った。

 アオが聖書を振り下ろすと、彼が消えた。

 まるでずっと誰も居なかったかのように、開かれた聖書だけが転がっている。

 この異世界に来る時に見た動作に、消えた彼を符合させ。これから起こるであろう遠くない未来を憂いた。


「その転送方法どうにかならないの」


 びっくり以前にもの凄い違和感でむずがゆくなる。魔法の一種なんだろうけど神の癖して神秘の欠片もない。

 魔法陣の一つや二つ用意して、詠唱位使ってくれ。


「便利なので却下」


 頭上に影が差し、思わず物憂げに溜息なんてついてしまう。そして見上げた聖書に息をのんだ。

 白紙だったはずの頁には。ビッシリと大量の文字が書き込まれていた。血だまりに落ちたはずの紙は微かに黄ばみかかっていたが、白い色を保っている。


「な――」


 何故と問う前に静かに被せられる。掴まれた分厚さはここに連れてこられた時と同じ程度の厚さ。

 なのに、読めはしないけれど、白紙であったはずの聖書には文字が書かれていた。

 頭から爪先まで通される冷たさを伴った痺れに私の疑問と思考は乱されていった。




 目の前に門がある。シンプルな木製の代物ではなく、重そうな鉄の両手開きでもなく。

 これぞ神の門よ、と言わんばかりの高さのある門が私の数歩先にあった。

 銀や金、そして宝石をちりばめ細工の施された置物のような美しさ。

 見上げ続けてようやく曲線らしきものを確認する。その辺りで首が悲鳴を上げた。

 なんだこの無駄にデカイ扉は。


「ここが、異界の扉の一つ。僕の管理下です。一応準備がいるので中に入ってしばらく進んで貰います」


 多少門番らしい台詞を口にして、アオが先に来ていた彼と到着したばかりの私にそう言ってきた。

 余りの大きさに危うくアホみたいに口を開きかけるところだった。急いで口元を引き締める。

 門はご立派だ。まあ神の所有地としては威厳たっぷり。しかし。


「何で部屋の中に門を入れる」

「不思議な感じで気に入ってるんだけれど」


 アオがそう言って笑っているけれどこの光景は、不思議と言うより不可解だ。

 四畳半がせいぜいのどう見てもコンクリ打ちにしか見えない壁。そこに佇む荘厳な門。

 なんという不釣り合いな光景。作った奴のセンスを疑うぞ。

 ここはもっとこう、庭園とかせめて原っぱとか、もしくは雲の上が理想だろう。

 それがどういう経緯で四畳半の飾りっ気のないコンクリート壁。

 先に連れてこられて不安だったらしい少年は、私とアオが来たとたん目をキラキラさせて辺りを見ている。

 異世界の彼からするとコンクリート壁自体珍しいらしい。私にとっては神秘と夢を砕く悪夢の代物だ。


「何でこんなに狭い部屋に門があるわけ」

「決心が鈍った人がいつ何時心変わりしてしまうか分かりませんからねぇ」


 つまり檻か。アオの言葉を聞いて鉄格子じゃないだけマシだと思う事にした。

 なんとなく門に触れて軽く揺すってみる。当然だけど大木のようにびくともしない。

 これでは自分で開いて新たな世界へ、とは行かないだろう。


 まあ、番人なのだからアオが何か暗号を使うか何かして開けてくれるのだろう。

 心の中で頷いて納得していると、その当人が私の隣に立ち。ギ、と軽く門を軋ませて大きく開いた。

 口を開けた門は、まばゆい見かけとは裏腹に漆黒を内にたたえていた。

 蒼い髪を軽く揺らし、彼が微笑んで暗闇の中を指し示す。

「さあどうぞ」


 手で開けんのかい。


 思わずアオの腕を見るが、逞しいと言うより華奢な方だ。あれも術の類なんだろうと、分かっている。

 分かっているんだよ。非常にロマンの欠片もないだけで立派な神の魔法だと。


「ああっと、灯りは決まりで使えないから危ないので手を繋いで。迷子にはならないとはおもうけど」


 アオの忠告に門を見る。確かにはぐれたら面倒な事になる気がする。手を繋ぐの部分で俯いてしまった少年に手を差し出した。

 さっきの事もあるし、私より年下だろう少年へのちょっとした気配りだ。

 スミレ色の瞳を微かに揺らし、指を伸ばして触れる寸前ではっとしたように自分の手を引き寄せて拳を握る。

 拒まれた、にしては様子がおかしい。

 なんだ? と僅かに考えて彼の指を見て納得した。

 赤い。服と同じように、少年の指は朱に染まっている。

 私に気を使ったのか。並の神経であれば気持ち悪がって握りたがらない人も出るかも知れない。

 悪魔にさんざん嫌がらせを受けた身。その程度で気をもむような細い神経はしていない。

 が、まあその気持ちはありがたい。

 制服のスカートに付いていた生乾きの血を出来るだけ多く右手の平に擦りつける。私の奇行にスミレ色の瞳がこぼれ落ちそうなほど見開かれた。


「はい、これで少しは一緒。それでも嫌なら袖を掴んで」


 少しだけ彼は躊躇うように私の顔を伺い、ゆっくり手を握ってくれた。細くてしなやかで冷たい、それでも生きた人間の手だった。

 確認するようにもう一度彼は自分の指先を動かして、くすぐったそうにはにかんだ。

 今日会って初めて見られた笑顔に、笑い返す。


「さ、進んで」


 促され、ちいさく頷く。一人なら足がすくんでも、きっと指先が離されなければ大丈夫だ。

 不思議な確信と共に、私と彼は闇の中に足を踏み入れた。門が閉まる間際、アオが何処か楽しそうに笑っていた。

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