63:狂おしいほど
動く気が無さそうなシリルの椅子をシスターセルマに用意して貰い、心臓には悪いが隣に座って貰う事にした。
飽きることなく髪を弄ぶアオを睨み、口を開く。
「アオが私を花嫁にしたがっているのは分かりました。
私自身“納得”はしてませんが、本当にうちの世界の神様は良いとか薄情な事言ったんですか」
ほんっっっとうに納得してないけどな。
「ええ、身が固まると僕の自由が多少奪われますがあっさりと」
澄んだアオの目を見つめて悟る。売られた。
自分の世界だけではなく、他の神にまで売られた。
接触は頼まれていたんだろうけど、本当にアオは気まぐれで私に近寄った。
だって、アオだ。頼まれごとを二つ返事で引き受けて次の日には忘れていそうなアオだ。期待するだけ無駄だ。
だけどあの時、彼は動いた。本当の本当に気が乗ったから。それ以降は他の神にも予想外の出来事だったはずだろう。
よりによってもうすぐ魂を刈り取るか異界に飛ばすはずの人間を見初めてしまったんだから。
悪魔だけではなく神にまで気に入られるなんて、私の背中には大凶が貼り付いているに違いない。
他の神やらの気持ちも分かる事は分かる。そりゃ、もうすぐ殺すというか死ぬ人間の命一つが止められないはずの暴君なこの神の鎖になるなんて美味しすぎる話。
ああ、なんか想像するまでもなくそのやり取りが浮かぶ。ほぼ説得不要で『あの娘? 良いよ』とか告げられる様を。バナナの叩き売りのように私の魂が渡される瞬間を!
……やっぱり神を呪おう。
目の前の神も、辺りの神も。おまえらみんな同罪だ。
人をこんな外道か悪魔の申し子に押し付けるなんて。寵愛どころか保身に走ってるじゃねぇか。
「君の立場はこの世界に落とす時に決めてはなかったんだけど」
「ほう。それでまたなんで姫巫女というのを選びました」
おかげさまで外も歩けなくなった。
姫やら聖女にしたのは私の身の安全、とか言ってはいたがそれだけではない気がする。
「率直に言うのならば、君の姿だ。僕は別に君が何であろうと構わない。
本当に虫でも鳥でも、狼でも――やっぱり虫だと触れたら潰してしまうから人間が良いかな」
軽いアオの台詞に、場が止まる。前の私の姿をみんなは知っている。
黒。忌み嫌われる悪魔の色。
でもアオ、虫とか鳥はちょっと以上にイヤなんだが。しかもお前本気だろうその目は。
「ヒトって現金だね。君はこんな美しく愛らしいのに、髪と瞳の色が違えば石を投げるのも躊躇わない。
そのまま降り立てば君は迫害されるのは確実。そんな事、僕は許さない」
僅かにアオの瞳に暗い影がよぎった。ぞくりと寒気が襲う。
髪を弄ぶ指先は優しいのに、彼の爪が自分の肌を今にも引き裂きそうな気がする。
「そんな事!」
「無い? 君は初め見た時、彼女をどう感じた」
シリルの言葉に返した声は氷のように冷たく鋭い。まるで、氷柱だ。
スミレ色の瞳を悔しそうに細めて唇を噛むのが見える。確かに言い返せないだろう。
私はあの時、アクマと呟かれた。そう見えたのだ。酷く傷ついたのも覚えている。
図太い私でこうだ、シリルが忘れているはずもない。
「愛する君には愛される姿を。この世界で羨望を受ける形に。
幸い君には力があった、だから皆が好む聖女を選んだだけだよ」
耳朶に吐息が掛かる。
くすぐったいだけで何も感じない。
「……言い訳はそれだけですか。ロリコン」
甘く囁かれてもアオの自業自得な枷のせいでときめきもしない。
美青年に口説かれても冷静な自分にげんなりなる。
「どういう意味かな」
首を傾けると綺麗な青い髪が揺れる。
どうあってもとぼけるつもりらしい。
「そのままです。現状証拠はちゃんと揃ってるんですよ。
姫巫女、聖女。今の私よりも年上じゃないですか、元の姿の方が近いくらい!」
絵本に童話、時折聞けたおとぎ話。総合すれば年齢くらいはある程度分かる。
アオが眉をひそめて、首をゆっくり振った。
「君は本当に好奇心旺盛で困るね。せーっかく秘密にしておいたのに」
「理由は自分の趣味とかですか」
殴ろうと考えたが聞きたい事があるので我慢する。
「いいや、君の身動きが取れないようにする為だ」
「姫のように?」
当然のように告げるアオに半眼になる。
さっき言っていた城で守られるように。そのためだろうか。
「そうと頷きたい所だけど違う。必要以上に髪を伸ばしたのもそのためだけ。愛する君に枷と鎖を。
出来るだけ分かるようには気を配っているけれど、余り遠くに行かれると何かあっても見に行けない」
寒気が酷くなる。なんだ、この……違和感。執着を通り過ぎた何かを感じる。
「子供の姿なら不埒な輩も近寄りにくいと考えたけど、君は容姿なんて本当に関係ないね。
そうまでして隠しているのにヒトが寄ってきているからとても困る」
「嫉妬はしないんじゃなかったんじゃないですか」
言ってる事が無茶苦茶だ。嫉妬はしないというのに姿や感覚まで変えて私を束縛している。
「うん、嫉妬はしないよ。ただ、目障りなだけ。
ヒトが増えると遠くから愛する君がよく見えなくなってしまう。消して良いかな」
「駄目です」
微笑みながらのとんでもない発言を一蹴する。よく見えないからで人様を虐殺するなよ。
しかし――この発言で再度納得する。本当に、アオにとって私以外の人間は虫のようなものなんだと。
殺す事に何の躊躇いも感じない。私が困れば手を出さない。全てが私を基として回っている。
ある種に置いて面倒だ。彼は私の為なら国を潰す事も躊躇わない。我ながら恐ろしい人物に執着されたものだ。
「そう。まあ、しょうがないか。お姫様にそう言われるなら髪とその小さな体で戒めるだけで我慢するよ」
寒気と違和感が何によって引き起こされたのか気が付いた。
執着は勿論あった。けど、それを上回る狂気が言葉に含まれている。狂愛、その単語がしっくりとはまる。
アオは狂っている。少々どころではなく一歩間違えるととんでもない方向に暴走してしまう狂気を抱えている。
ああ全く本当に、もう普通の恋なんて望まない。だれかこの狂った神をまともに戻してくれ。
「ふふ。それから、いつまで見てるつもりかな、君は」
頭を抱えているとアオが扉を見つめてくすりと笑う。
君、ってだれ。
ガタン、と何かがぶつかる音がした。まさか、ナーシャ!?
情操教育に宜しくない現場だ。可能な限り見られたくない。
私の想像と焦りは裏切られた。完璧に予想しない形で。
「ア、アルノー!?」
ゆっくりと顔を覗かせた人物に、思わず悲鳴を上げる。
な、なんでどうしてここに。いや、いつも私に会いに来る上に基本的に教会の鍵は開いている。
必然的に野菜を置きに最初は休憩所、次に私の部屋という手順を踏む事になっていた。
つまりつまり……最悪の場面で来訪してきたのか。
「あ、あの。その……」
「初めから見ていた言い訳はまあ良いけれど。僕に用事があるみたいだね」
小さく頷くアルノー。緊張でか、顔が青ざめている。
はじめから!? 更に衝撃を受ける、聞き耳を立てていたとかそう言うのではなく。
あのアオのキスとか様々な事とか全部聞いていた事になる。
事態に脳が混乱しかけているところに、良く通るアルノーの声が響いた。
「異空渡しの旅人様、ずっと前からお願いがあって参りました!」
アオの側で膝をつき、深々と頭を下げる。私を膝に載せていたアオが嬉しそうににやりと笑うのが嫌な予感をかき立てた。