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62:半身

 止まっていた時を動かしたのは、シリルだった。

 仮面を被ったように冷たい表情でアオに駆け寄り、腕を振り上げる。手元に何か光るものが見えた。

 数本指を広げたアオの側面でギ、と鋭い音が立って火花が僅かに散る。

 全てが刹那に近い出来事。何とか目で捉える事が出来た。

 からりと何かが転がり落ちる。


「っ、と。危ない……血気盛んな事で」


 苦笑して長い指先を下げる。右手首を押さえ、私の隣でシリルがアオを睨み付けていた。


「過剰反応だね。だけど、守護者マーシェには最適だ」

 

 地面に落ちたものを取り上げて、アオは笑う。

 拾い上げたのは半ばから折れた銀の――ナイフの先端。


「シ、シリル!?」


 思わず悲鳴のような声が出る。刃を所持していたのなら、明らかに殺す気の勢いだった。

 おまけに怪我までしている。慌てて飛び降りようとしたらまた腕で拘束されてしまう。


「でも、無駄。加減をしないから腕を痛める」

「く」


 唇を噛んで悔しそうにスミレ色の瞳が細められた。

 反動を付けて跳ね起きようとしたら強く抱きすくめられて動けなくなった。放せっつーに。


「神に勝てると思うのが間違い。でも、少しくらい彼女を独り占めしても良いだろう。

 どうせ僕達は今生では結ばれないんだから」


 よく分からない事を言って、私の髪を弄くっている。


「シリル取り敢えず無茶は止めて。私には怪我はないんです」


 つい数秒前の出来事で心に衝撃を受けているが、身体に異常はない。

 精神的に傷つけられたからと言って、命捨てて神に斬りつけて欲しくはない。

 たかだか、キスの一つや二つで。一つや……

 なんて事はないとは言い切れないけど、シリルが大怪我を負う方が私はイヤだ。


「……色々頭が痛くなってきた。と、とにかく。アオ! 今何をしたんですか!?

 っていうか何した!」

「神の接吻」


 ああああああ。やっぱり気のせいじゃなかった。

 あれだけはっきりやられたら思考も誤魔化しにくいんだけど。

 そんなキッパリ答えなくても。堂々としてるし。


「私の、初めてが。ファーストキスがぁぁぁっ!」


 思わず頭を抱える。これが、頭を抱えずにいられるか。

 こんな、こんなボンクラ神に奪われた!

 特別な夢を抱いていた訳じゃないけれど、ファーストキスがアオなんて悪夢だ。


「うんうん、良かった」


 何を勘違いしているのか嬉しそうに微笑むアオ。


「良くないっ」

「ありがたいよ。神の祝福」


 涙目で抗議するとそう曰う。言うに事欠いてそれかい。


「アオの祝福は呪いっぽいから欲しくない。

 男はよく分からないけど、女の子の初めてのキスは大事なんですよ。

 一生もんなんですよ、なのに、なのに……」


 なーのーにー。この神はいともあっさり奪ってくれた。

 私の生い立ち知ってる癖に。恋愛すらまだだって知ってるのに。

 普通順序逆と違うのか!? 先にまっとうな恋愛をさせてくれ。


「よしよし」

「撫でるな!」


 人が落ち込んでいるのに原因は脳天気。


「手付け。他はともかくこの初めてくらいは貰っておかないと癪で」


 更に頬擦りまでしてくる。誰か止めろ、この傍若無人なアホ神を。


「意味が分かんないです!」

「確かにマナが言ったように気まぐれはあった。

 でもそれは少しだけで、君は僕の心を捕らえてしまった。

 ずっと乗り気じゃなかった半身を決めたのは、君を愛したから」


「半身?」


 よく分からない単語に腕を押し付ける事で顔を離して、眉を寄せる。


「君達の言うところで言う結婚相手。薦められたり言い寄られたり五月蠅かったし、身動きが取れなくなるから今まで避けていた。

 半身が居ないから好きなだけ異世界を見て回れたしね。だけど気が変わったんだ」


 淡々と告げてくるが、アオの口調に僅かに苦いものが混じっている。かなり強引に薦められた事もあるんだろう。

 いや、それよりちょっと待った。結婚って何だ。


「結婚!? 私は同意した覚えないですよ」


 そんな恐ろしい事聞いた時点で却下している。


「その辺りは君達と違ってこちらは力の強さで決められる。

 強制的に僕に選ぶ権利がある……そのおかげで今まで自由でいられたけどね」


 拒否権なしかい。暴君にも程があるだろ。


「少し時間は掛かったけれど、お膳立ても沢山貰った。君の世界の神の了承も得ている。

 生みの親に承諾されたから問題ないだろう」


 大ありだ。そんな薄情な生みの親はいらん!

 よって、その約束も無効。そんな嫌がらせ生みの親でも育ての親からでも了承取り付けたとしても無効だけど。


「ちゃんと浮気せずに待ってるから、色々頑張ってきて欲しい」


 浮気って何だよ。私達は相思相愛ですらないだろう。


「……だから、意味が良く分かんないです」


 アオが困ったような顔をしてまた私の髪を指で絡めて遊びはじめた。


「うーん、流石にヒトとしてのままだと駄目だから君には一旦死んで貰わないといけないんだ。

 そのためにこの世界でちょっと苦労して貰うつもりだよ。良くある花嫁修業って奴」


 おい。

 言葉を選ぶように告げ、微笑むが内容はとんでもない。


「なんですかそれ。どんな花嫁修業!?」


 苦労して死ぬのが花嫁修業って何なんだ。あげく死んで貰わないとって殺伐としすぎてるだろ。


「出来る限り快適に過ごして貰いたいからね、神格を上げられるように君をここに落としたんだけど。

 まあ、今生では好きなようにして良いよ。男を囲うも良し、誰かと結婚しても良い。

 死んでしまえば関係ない。もし気に入った人間が居るのなら一緒に連れて行ってあげる。

 僕は大らかな神だから嫉妬なんて醜い真似はしないし。君が愛されているのを見るのは楽しいからね。

 そうだ、この際逆ハーレムみたいにしてしまうとかどうかな。女の夢だし」


 どうかなって、それ男から提案するものなのか。ていうかそれは女の夢なのか。

 え、何。気まぐれではなくてこの世界に落とされたのって壮大な花嫁育成計画の一つ!?

 神格って言うのは多分階級みたいなものなんだろうし。死んだ後の事を言ってるよな、これ。

 輪廻の輪から弾かれるのは構わないとは言ったけど、神になりたいとは一言も言ってないぞ。

 死んだらアオの花嫁なんて嫌すぎる!


「守られやすいようにわざわざ姫巫女にしてあげて守護者まで選んだのに、君はわざわざ姿を隠す」


 素直に守られる性格だと思っていない癖に。まあ、姿を隠したのは面倒を避ける為だし。


「私は姫巫女じゃありません」


 それに、姫でも聖女でもない私は、城なんて行きたくない。この教会の方が幸せになれる。 


「君の守護者は乗り気みたいだけどね」


 くすくすと肩を震わせて笑う姿に苛立ちが募る。それがアオの目的だとしてもむかつく。


「シリルは守護者じゃありません。アオの勝手な理由で人を巻き込むのは止めて下さい」

「そうかな」


 相手を睨み付けて唸ると、楽しそうに蒼い瞳を細めた。

 堪忍袋の紐、収まれ。切れるな。これ以上アオに踊らされてたまるか。


「そうです。私は望んで異界を選びました。だけど彼は違う。

 私が面倒に巻き込まれるのは自業自得、でもシリルは関係ない。

 元の世界に戻す事は出来なくても平和に暮らして欲しいんです」


 そう、シリルはアオの気まぐれで連れてこられて。私のせいで色々と巻き込まれている。

 命は助けたけれど、彼が嫌いな悪魔の側に何度も連れて行った。

 平和な日々を暮らしていた彼にこんな生活は酷というものだ。寂しくないと言えば嘘になるけれど、平和に暮らして貰える方が私は嬉しい。

 アオの気まぐれは私の為。そのせいで異世界に問答無用で連行なんて憤るのが普通だ。


「だからせめてシリルだけは――」


 私の声は大きくテーブルが揺れる音でかき消された。


「お断りします!」


 私というかアオの横で両手をつき、剣呑な眼差しを向けるシリルがそこにいた。

 目が怖いです。とても恐ろしいです。

 ええと、お断りって。……守護者、じゃないよね。

 と言う事は、平和に暮らして欲しいというのがお断り!?

 何故!


「な、なんでですか!?」

「あっははは。もうそう言うにぶーい君は可愛い」


 頭をグシャグシャ撫でられるし、オーブリー神父とボドウィンは頭を軽く抑えている。


「だって、助けましたけどそれも命張ってまで守られるようなものでもないですし。

 それに私は姫でも聖女でもないのでそれこそ守護者なんて大仰なものは」

「僕は好きでここに居るんです! 構いませんっ」


 思ったより大きな音が響いてテーブルがまた揺れた。細腕なのに力が強いねシリル。

 ちょっと表面へこんでるよ。ボドウィンが「あーあ」とうめくのが聞こえた。

 なんでシリルはここまで怒っているのか、皆目検討が付かない。


「あのー、えっと。シリル腕は」

「こんなのかすり傷です」


 今まで見た事もない仏頂面で、素っ気なく返された。ああ、何か知らないがとても怒っている。

 アオは凄く楽しそうに笑いっぱなしだ。


「まあ。お姫様に愛されたくても手間は掛かるだろうけどね。なにしろそうしたから」

「――やっぱり何かしたんですね! 体以外に」


 微笑む言葉にざわりと総毛立つ。やはり、と。


「……そんな人聞きの悪い。手を付けたのは唇だけだよ?」


 あはは、と笑う姿は人畜無害そのものだが真実は違う。

 アオは性根から捻れている神だ。それに、思い当たる事がある。


「誤魔化すな。吐け。今すぐ吐け。感覚をいじってますね!?」


 感覚の摩耗。擦れているというレベルではない。

 恥じ入る、照れる。普通の喜怒哀楽までは出来る。

 なのに、ときめきが生まれない。

 植物やお茶には出来るのに、人にうっとりするなんて今まで一度もなかった。

 明らかにおかしい。


「あ、もう気が付いてる。凄いね。自分は鈍いんだと自己完結してると思ったのに」


 おやーと首を傾けるアオ。人間というか、私を馬鹿にしてるだろう貴様は。


「私の精神年齢考えるとおかしい部分があるんです。どんなに綺麗でも目を奪われるほどでも。

 異性にまったくもって胸躍らないというのは女の子として違和感です!」


 違和感というか自分がある種の不感症じゃないかと疑った時すらある。


「……え、そうだったのマナ」

「天然じゃなかったのか」


 マーユとオーブリー神父が驚きの声を上げる。


「こんな天然があってたまりますか。どこが嫉妬しない神だ!

 細工してる時点で独占欲溢れてるじゃないですか」


 驚く彼らに牙を軽く掠めさせ、元凶の神を睨み付ける。


「よしよし、でも結構鈍くなっているだけで全然ではないよ。

 かなり苦労するけどときめく事は出来る。君の年齢が上がれば上がる程ね」

「何十年先の話だーーー!」


 キレる私を抱きかかえたまま髪を掬うアオの目は、シリルを捉え。

 意地悪く口元を歪めていた。

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