61:導きの死神
またサラサラと耳元で銀髪が掬われる音が聞こえる。
よく飽きないな。膝の上で身じろぎすると折り曲げた指先が白い袖を掴んだ。
見えないけど初めにあった時と同じ偉そうな服か。
「魔術じゃここまでは余程の人間じゃないと無理だ。
……流石にこりゃ本物か」
オーブリー神父が肩をすくめる。
「はー。マナと一緒だと更にこの世のものではない光景ね」
頬に手を当て、息をつくマーユ。
ナーシャには今日はお部屋で大人しくして貰う事にしておいた。
アオの影響を受けるといけない。精神的にも教育的にも大変宜しくない。
「マナ?」
マーユの言葉に疑問の声を漏らすアオ。全てをお見通しという訳でもないのか。
完全にストーキングされてたらどうしようかと思ったが、安心した。
「不便なので名前を付けて貰いました。違反とか言いませんよね」
「名は必要だからそんな事は言わないよ。そこの彼は?」
「シリルです。シリル・ナークス」
視線を私からアオにずらし、シリルが名乗る。
何かあればすぐに飛び込んできそうだ。目が少し怖い。
「マナは?」
問われてしばし黙す。名は知ってるからフルネームを教えろという事か。
「マナ・メムン」
隠す理由もないので素直に答えた。
また名前を消すとか言わないだろうな。
「希望と秩序と協調、ね。ヒトは好きだね、そう言う文字」
「……希望?」
「知らない? メムマイナは古代語の希望。それをもじると君の名前。
本の中では書いてあるよ。主に児童向けが多いかな」
「もしかして」
「勿論シリル・ナークスもね。秩序と協調を意味する言葉だよ」
「ちょ、そんなの知ってたら変えて貰ってますよ!」
なんだその自ら『聖女』と言わんばかりの名前は。
ボドウィンの一言を一発で切った神父の行動を理解する。
たしかはじめ付けられそうになったのは古代語の方だったよね。危な。
っていうかナーシャ。明るい笑顔でそんな分かりやすい名前付けてくれなくても。
幾ら見た目が同じだからって。そして止めろよ神父達も。
「まあ、ナークスやメムンを名乗る貴族や一族も多いから、変とは思われないだろうけど」
アオが一旦そこで言葉を止めた。
変とは思われないだろうけど、この姿だとまずいだろうその名前は。
「そう言う事。まあ、その姿をしていれば言い逃れは出来ないけれどね」
くすくすと笑う奴の腹に思い切り反動を付けた肘を突き入れる。
ごふ、と吐息が漏れた。私の行動に辺りがざわめく。
そんな驚く事でもないだろう。むかついたから思わず攻撃しただけなのに。
「あたたたた」
片腕で私を絡めて、自分のお腹をさする。
「うう、やっぱり攻撃的なのは変わらないんだね。パワーを落としたのにこの威力」
「当然です。自分の言動が原因なのでしっかり反省して下さい」
大体こんな姿にした奴が言うのが苛立ちを煽るのだ。殴られないと考えるのが甘い。
その気になれば頭突きだって出来る。
ちょっと待て。今『パワー落としたのに』って言ったかこの門番。
「やっぱり私の力削いだのアオですね。何で教えていてくれなかったんですか!」
危うく死ぬところだったじゃないか。
抗議にアオは口元を釣り上げ、ちっちっち、と音を立て、指先をゆらす。
「こういうものは、自ら味わって覚えるのが良い。髪だって、試行錯誤をしたようだし」
ストーキングはされて無くてもある程度はお見通しか。
術を掛けてたから刃を入れた時に感知する、と。
「髪、そうですよ。髪! せめて足下まで切って下さいよ。
私、踏んで転んじゃうんですよ。アオは自由自在に髪伸ばしてる癖にずるいです」
肌に当たる感触で分かる。
初め見た時よりアオの髪が伸びている。
こんな短期間で伸びる訳がないから自分で調整しているに違いない。
「動きにくい?」
静かに尋ねてくる。それこそ聞くまでもない事なのに。
この長さで動きやすいなんてあり得ない。
「それはもう」
振り向いて深々と頷くとあの美貌で微笑まれた。
「なら良かった」
待てや。どういう意味だその台詞。
「姫は余り動かないのが相場だからね。座り込んで守って貰えばいい」
ある意味差別的な発言にカチンと来る。
つまるところ、私に飾りのお人形になっていろと言うのか。ただただ守られながらぬくぬくと?
はっ、冗談じゃない。
「姫巫女の名なぞ願い下げ。私が守られるだけの人間? 冗談がきつすぎて反吐がでる」
凍り付く周囲。ぐりぐりとアオが嬉しそうに私の頭を撫でつける。
「あはは。君は本当に変わってるねぇ。
本来ならこの教会からすぐに町に行くと思ってたのに、折角変えた姿を隠してひっそり過ごすんだから。
連れてくる場所を間違えたかな」
「間違えられて助かりましたがね。城でお姫様なんて悪魔以上に寒気がする」
もう遠慮もなくタメ口である。あー、敬語使うのがアホらしい。
何が神だ。姫巫女なんて蹴り飛ばす。そんなの欲しくない。
欲しかったのは、悪魔を倒せる力だけ。
世界の行く末にも興味もなく、名声も名誉も欲しくなくて。望むのは私の一つの生を滅茶苦茶にした奴らへ対抗する力。復讐、報復。
そんな私に聖女の名は似合わない。こんなにも清らかでないのに、アオは配置を間違えている。
「全然思い通りになってくれない」
後ろから引き寄せるように抱きすくめられ、耳元で囁かれる。自分の髪が冷たく首筋を流れ落ちるのを感じた。
当然だ。思い通りにならないように努力して居るんだから。
たとえ生贄の羊だとしても、足掻けるだけ足掻くと決めた。神の気まぐれに付き合うほど私は優しくないし余裕もない。
「そんな君が好ましい」
「……まあ冗談はそれくらいにして。何が目的でこんな事してるのか。
聖女を作って落として、この世界をどうしたい。
私に何を望むの。叶える気はないけど聞くだけ聞いてあげる」
「……特に世界に望みはないよ。
ヒトが死のうが生きようが僕にとっては大した問題ではない。
消えても無数に湧き出す虫のような存在だよ。
今までは色々いじって観察する事しかしてこなかった」
淡々と、アオは語る。軽い口調だが嘘をついている様子はない。
つまり本心と言う事だ。
外道め。
「テメェっ」
流石にこの一言は流せなかったか、一気に距離を詰めたオーブリー神父が腕を振り上げ。
その腕はアオの身体をすり抜けて傷を付けなかった。
え。
「なっ!?」
「愚かなヒト。僕に触ろうなんて大それた事を。触れもしない君達に傷つけられる事はない」
酷く冷たいアオの声が響く。
でも、私は触れたし。事実膝の上にいる。
「止めろオーブリー! 異界の審判を怒らせるな。
混沌の導きでもあり慈愛の導きの死神が文献通りなら……てめぇどころか世界が消えるぞ!?」
「おや。まだそんなのまで残っているか」
ボドウィンの静止の声にアオが楽しそうに呟いた。
「どういう意味、ですか」
青ざめたシリルの問い。
文献の内容。私には何となく予想が出来た。余り聞きたくない。
「迂闊に異界の審判を怒らせると世界まで消される」
「そう言う事。まあ、マナが居るから消すつもりはないけれど、君は別。
なんなら村もアリのように土に潜らせるかな」
あくまでも穏やかな脅しに。ぎり、と音が立つほど歯を噛んで神父が引く。
「……暴君って言葉知ってます?」
銀髪を梳きながらの物騒な台詞に溜息をつく。なんて心が狭い神だ。
たかだか一発二発殴られそうになっただけで世界を消すか。
「さしずめ独裁者」
嬉しそうな返答に疲労感が増した。あー、もうこの神様やだ。
「で、その虫ケラだか相手になんでこう構ってくるのか聞きたいんだけれど。
先程からの発言を考えるに、人間である私もどうでも良い感じなんですよね」
そう、疑問だ。彼はどうして私に付きまとう。
面白いからだろうか。アリの巣に投げ込んだモノの結果を見たいだけなのか。
ゆっくりと髪を撫でていた指が止まる。小さな溜息が聞こえた。
「こんなに手を尽くしてるのにまだ気が付いて貰えない。はあ」
「遊ばれているのは分かってるんで話、進めて下さい」
頬に冷たい掌が触れた。寒気にぞく、と鳥肌が立つ。
身体がいきなりずらされて、膝の上でお姫様抱っこのような形になる。
「姫巫女、聖女。神の寵愛を受けし乙女」
微笑むアオの目がどこか遠くを見ていた。
ムズムズとした違和感。
銀髪を絡み、弄んでいた指先を私の頬に這わせている。
無自覚のような虚ろな動き。
「そして――」
言葉の中に違和感を感じて身体を起こすのと、腕を掴まれたのは同時だった。
ざわりと全身が波立つ。一気に至近距離まで引き寄せられ、手首に軽い痛みを覚える。
顔をしかめると腕を優しく撫でられ、顔を寄せられた。
唇が塞がれる。表面は冷たいのに、合わせた隙間から熱い吐息が漏れる。
衝撃と混乱、唐突すぎる出来事に身体が強張った。辺りが死んだように静まりかえっている。
「神の花嫁。愛してるよ、僕のお姫様」
顔を上げ、艶やかに微笑んで。アオは私を抱きしめた。
違和感の正体を知る。言葉の中には確かな熱と執着が混じっていた。
呼吸も上手くできないほどに固まって、呆然と見つめる私の手を取り、アオは手の甲にキスを落とした。
嬉しそうな笑顔を見て、目眩を感じる。いっそそのまま気絶したい。
そんなことも出来ない自分の精神力を呪った。愛おしそうに蒼い瞳が細められる。
アオの言葉に冗談はなかった。私は本当に神に愛されてしまったのだ。
とても厄介な異界の審判に。